金沢蓄音器館

館長ブログ ほっと物語

2010年4月

その5「百年後に残る音」

エジソンが、いわゆる蓄音器を発明したのは、1877年(明治10年)のことだった。今から134年前のことである。
日本コロムビアが作った最後のポータブル蓄音器G241 は、1951年(昭和26年)58年前に発売された。
エジソンのろう管式からポータブル型まで電蓄、ラジオ、ステレオ等、金沢蓄音器館には、開館後もいろんな方々から寄贈を受け、今では570台あまりになっている。

しかし、部品も既に作られていないので、万一、壊れても修理が効かない。寄贈を受けた蓄音器でも壊れてしまっている状態のものも多くある。そんな蓄音器の使える部品を取り出して、新たな蓄音器に生まれ変わることがある。当館でもそうして"治療"したことがある。

蓄音器は、ゼンマイが切れずに、油さえ挿してやれば百年後でも音は出る。
その証拠に、今でも蓄音器は百年前の音を奏でてくれるではないか。LD,CDは、ポリカーボネートと銀幕が剥離して用をなさなくなったものがあると聞く。
この先100年後にキチンと音を出してくれるのか、私は死んでいるのでわからないが、あと100年ガンバレ!との想いで、油さしにいそしんでいる毎日である。


コロムビア最後の蓄音器
G241型、昭和26年

ゼンマイ
その4「蓄音器を集めたわけ」

「そんな粗大ゴミを拾ってきてどうするの?」
「治るかもしれない」
そんな会話が蓄音器を集め始めた最初の言葉だった。

父である初代金沢蓄音器館長、八日市屋浩志が蓄音器収集を始めたのは、昭和50年頃からだった。

父は、旧制中学の1年になった時、学校から帰ってから金沢市尾張町(橋場町の枯木橋たもと)にあった「山田屋蓄音器専門店」の店番を祖父から命ぜられた。
以来、途中戦争で中断はしたがずっと音楽産業に身を置いた。昭和50年代は大量生産、大量消費の時代だった。
「今、残さねばなくなってしまう」
父にとって道ばたに棄てられていた蓄音器を見逃すことはいたたまれないことだったに違いない。

昔取った杵柄(きねずか)で修理したところ、なんと懐かしい音色を再生することができたではないか。
それ以来国内の古道具屋はもとより海外に出かけては様々な蓄音器やSPレコードを集めるようになった。もちろん<ゴミ拾い>は続いていた。壊れているものをすべて自分で直し、昔ながらの音を奏でるようになったときの父の眼は、まるで少年のようにきらきらしていた。

もとはといえば曾祖父が明治26年米国シカゴでの万国博覧会で買ってきた古い蓄音器を父は聴いていた。
それは朝顔型のラッパのついたもので赤の朱塗りのあるコロムビア社のディスク・グラモフォンだった。その音に馴染んで育ったと言っていた。

蓄音器の音はノイズはあるもののどこか優しく、ゆったりとした気分に浸れる。ゼンマイが切れずに、油さえさしておけば今でも、そしてこれからも大丈夫だ。
蓄音器の保存と活用は、日本的に見ても金沢蓄音器館の役割なのである。


修理した蓄音器ビクター 1-90
その3 「鳥肌がたつ音楽」

それは、金沢蓄音器館で1日3回行っている午後4時からの「蓄音器の聴き比べ」の時間のことだった。15分ほど遅れて女性3名、男性1名が入ってこられた。

ちょうどアメリカ、コロムビア社の133Aという蓄音器で、ハリージェームズ楽団の「ラビアン・ローズ」(邦題:バラ色の人生)のレコードをかけようとしていた。

演奏が終わると、その中の帽子をかぶりメガネをかけた女性が
「ああ、鳥肌がたったわ!」
と言われた。娘さんと思われるもう一人の女性は
「なんと優しい音なの!」
と感激された。

蓄音器の音を初めて聴かれると「優しい音ですね!」とか言われる方が多い。昔、その音を聴いている方は「懐かしい!」とか「あの頃を思い出しました」と言って涙を流されるかたもいらっしゃる。そんな場面に出会えると仕事冥利に尽きる思いがする。

「金沢に行ったら蓄音器館に行こうと思っていた。今日は、仕事が早く上がったので、急いできました。思ったとおりで良かったわ」
と話された。
その人が大空真弓さんだったことに気付いたのはそのあとだった。追いかけたい気持ちになったのは、ウソではない。


コロムビア133A蓄音器

ハリージェームズ楽団「ラビアン・ローズ」
その2 「蓄音器には、ボリュームがある?」

あるのである。金沢蓄音器館は、1日に午前11時、午後2時、4時の3回、「蓄音器の聴き比べ」がある。エジソンのろう管式、「蓄音器の王様」と呼ばれるビクトローラ クレデンザを始め10台余り聴き比べられる。1回は解説を伴って30分くらいだ。

その中で、当たり前だが、「電気を使っていないので、停電でも鳴ります」と言っている。音の大きさに来館者は驚く。「こんなに大きな音が出るんですね!ボリューム(音量)調節は、どうなっているの?」とよく尋ねられる。
四角く切った紙(いつも蓄音器館の茶色い包装紙を使っているが)の一つの角に、セロテープで貼り付けた鉄針を、レコード盤になぞらえる。すると、音が聞こえる。紙を内側に曲げると、さらに大きな音になる。来館者は、皆一様にびっくりする。針は、溝に合わせて左右に振幅し、その振動は紙全体に拡がり、さらに空気を通って我々の耳に伝わる。
この小さな溝が音を刻んでいるからだ。

i-PodやCDのようなデジタルで録音されたものでも同じだ。音を発するところは、アナログに変換され、空気の振動に変わることで、音楽を楽しむことができる。すべてエジソンのお陰である。

さて、ボリュームであるが、蓄音器の前にある扉の開け閉めで音量を小さくすることができる。もっとも、さらに大きくすることは出来ないが。ご来館いただければ、ただちにその個性に接していただくことができる。


聴き比べコーナー

扉がボリューム
その1 「亡き父が現れた」

それは、12月に入った金沢蓄音器館での「蓄音器の聴き比べ」のときだった。金沢蓄音器では1日に3回聴き比べを行っている。午前11時、午後2時、4時で、1回あたり30分くらいだ。

横浜から来館したという40歳台と思われる夫婦ずれだった。クリスマスも近いので、ビングクロスビーの「ホワイト・クリスマス」のSPレコードをイギリス・EMG社のエキスパート・シニア(1935年、昭和10年製)という蓄音器でかけたときのことである。

いきなり奥様と思われる婦人が、急に泣きだした。どうしたことかと思った。

「ごめんなさい。私がまだ小さい頃、亡くなった父がクリスマスにいつもこのビングクロスビーのホワイト・クリスマスの曲をかけながら、プレゼントをくれたものでした。今、目の前に優しかった父が現れ、あの時の情景が想いだされました。金沢で父に会うことが出来ました。ほんとうに素晴らしいひと時をもらえて、ありがとうございました」

この仕事をしていてよかったと思えるひと時だった。


EMGエキスパート・シニア

ビングクロスビー

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