金沢蓄音器館

館長ブログ ほっと物語

2010年6月

その15「食べるレコード」

金沢蓄音器館にはミュージアムグッズを販売するコーナーがある。蓄音器やレコードに関するみやげやグッズを売っている。
今では手に入りにくくなった鉄針、レコードシャワーなどの用品、ポスター、蓄音器館のロゴマークの入った文具、ビクターのニッパー犬、金沢に関するCD、DVDなど様々だ。比較的手ごろな価格のものがよく売れている。

そんな中、金沢と言えばお菓子が全国的にも有名なので、グッズの一つにならないものかと思った。

調べてみると、なんと大正時代の終わりごろに
「もの言う 食べられるレコードせんべい」
が出ていた。

上方落語家である初代の桂春団治の考案により、実用新案をとって大阪にあった日東レコードが発売したという。8枚入り1缶1円50銭、10枚入り1缶1円95銭で、専用の竹針2本がついていた。
草加煎餅のような分厚くデコボコしたものでなく、有馬温泉の炭酸煎餅のような表面がすべすべしたものだったのだろうか?
材料も玉子の代わりに水飴を多く入れていたので色は黒かったという。せんべいの材料でレコードをつくり、何度か聴いて溝が減ったり、割れたりすれば菓子として食べられる。

神戸では「桃太郎」「金太郎」「花咲爺」など童謡を入れたせんべいレコードもあったといわれる。

いずれにしろ手でさんざん触った挙句たべるのだから、不衛生極まりないためか、それとも売れなかったのかわからないが、いつとはなしになくなったという。

実物を見たことはないが、なんとも楽しい話ではないだろうか。
レコードに関したお菓子を作るのに、どなたかお力添えいただけませんか。


桂春団治「黄金の大黒」

「黄金の大黒」解説書

桂春団治「逆さま盗人」
その14「屏風の後ろに人がいる」


明治22年1月のことである。当時、駐米公使は陸奥宗光だった。
その陸奥が、農商務大臣だった井上馨あてにレコード(ろう管)を送った。

そのころ蓄音器は、まだ定まった訳がなく「蘇言機」「蘇声機」「蘇生器」「写言機」「撮音機」「蓄音機」などと新聞用語もバラバラだった。

そのレコード(ろう管)を井上は、時の枢密院議長伊藤博文や森有礼、榎本武揚、前島密等々大臣、識者200名あまりを鹿鳴館に招き、聞かせたことが1月21日の福沢諭吉主幹の時事新報に掲載されている

その時の驚き様はたいへんだった。
声色は紛れもなく陸奥そのものであり、あたかも目の前にいるかのようだ。きっと陸奥が黙って日本に帰ってきているに違いない、屏風の後ろに隠れているのでは?と、裏側を覗いたと記事に書かれている。識者といわれる面々でさえそんな有り様だった。

一般庶民は、翌23年7月に浅草、花屋敷でゴム管を耳にして聞き、多くの人が誰かがいるのではとテーブルの下を覗き込んでいたと報じている。

新しい文化との対面。初々しくもほほえましいエピソードだ。


エジソンのろう管レコード

エジソン社:アンベローラ30ろう管蓄音器
その13「ひばりにしか聞こえない音]

美空ひばり。言うまでもなく、戦後の日本が生んだ偉大な歌手のひとりだ。そのひばりの最後の担当プロデューサーである境弘邦さんに金沢蓄音器館にお越しいただいたのは平成17年6月26日だった。

13年間にわたり身近に接した境さんに、ひばりの歌に関わる姿勢や生活など業界人でないとわからない人となりを話してもらいたいと思い企画した。
「たくさんのことがあり、どれを話してよいものか随分思案しますが」
と断って、想い出の曲をかけながらイベントは進められた。

その中で新宿コマ劇場でおきた<車屋さん事件>の話が出た。人力車で舞台に登場するためカラオケを使用したとき、唄い出しにノイズがあるので修正してほしいと、境さんはひばりから頼まれた。何度聞いてもその音がわからない。

「ノイズはありませんでした」
と翌朝報告したが、公演を終わると
「どこをチェックしたの?」
と呼び出された。
「もう一度調べてみます」。
しかしどこなのかわからない。翌日、気休めに別のケースにテープを入れ替えて
「大丈夫です」
と差し出したが、
「直っていない!いいかげんなら明日から舞台に出ない!」

3300人収容の大劇場の観衆の中でノイズが聞こえるといいはる。クビをかけて黙々と調べるがわからない。果てしのない音の繰り返しの中でほんの小さな「カシャ!」を見つけた。録音スタジオのノブをそっと閉めたものか、半信半疑だった。

翌日、
「やっとノイズが消えて歌いやすくなったわ」
と声をかけられ、ひばりの偉大さに境さんはぶちのめされた。この人は凄い、この人と一緒に仕事をしたいと心から思った。

そういうふうに粘った境さんも又、仕事師だった。


20周年記念レコード(非売品)



30周年記念だるま



35周年記念夫婦茶碗
その12「お殿様の蓄音器]


平成22年5月加賀百万石前田家第17代当主前田利建氏が愛用していた蓄音器が金沢蓄音器館に寄贈された。

蓄音器とともに、利建氏が音質を追及する足跡をのこした「電蓄回顧録」という記録誌もあった。これは昭和3年から14年までの蓄音器に関するもので、中身は随分と興味深いことが書かれている。
あらえびす(銭形平次を書いた野村胡堂のこと。蓄音器、レコードのことでは当時第一人者で有名)氏、東大の隈部博士ともに電気を使わない機械式(アコースティック)蓄音器を薦めると語っていたが、利建氏は機械式より電気式の蓄音器がいいと書いている。なぜその結論に至ったかの細部にわたる時代の先端を行く博学ぶりには脱帽するしかない。

一例は、針についてでもわかる。

針は米国ビクターのフルトーン(強音針)が理想的であり、同じビクターでも日本のものはよろしくないという。理由は、米国針は針の先に近いところが比較的太いのに、日本の針は根本から細くなっているからだ。このため再生音がびりつくことがあるという。

昭和11年には、自らの意見を加えて「トリオ」という理想の針をつくっている。輸入に頼ることなく針に対する悩みは完全に解消したと述べている。

さて、受け入れられた蓄音器のことである。外見は、アメリカビクター社の8-30、機械式のビクトローラ・クレデンザである。「蓄音器の王様」と呼ばれマニア垂涎の名器である。

この蓄音器の中身は、何度か手を加えられて、電気で動くプレーヤー、プリアンプ、メインアンプ、そしてCDプレーヤーにそっくり取り換えられていたのである。1m50cmを超す長さの特注スピーカーは、外付けで左右に1個づつある。
利建氏が、電気式蓄音器がいいというその見本である。


トリオの針

電気式に変わった蓄音器

電蓄回顧録
その11「贋物あっての本物]

金沢蓄音器館1階の多目的ホールには約60台の蓄音器がずらりと並べられている。その中に似たような機種の蓄音器が4台並んでいる。2台はコロムビアとビクターの本物、あとの2台はその偽物である。

コロムビアは1951年(昭和26年)製作のG241というポータブル型であり、その横に贋物である蓄音器が置いてある。コロムビアのマークが16分音譜でなく、32分音譜。音譜の形が思い浮かばない方は来館された際にでもご確認を。コピー商品の極意が見て取れる。
「COLUMBIA」でなく「GONDORA」と書かれてある。外側に貼られた紙は、同様に赤でありちょっと見には区別がつかない。

ビクターも同じく1932年(昭和7年)製作のポータブルタイプの蓄音器:J2―5である。おなじみの犬のマークに「HIS MASTER`S VOICE」と書かれているのが、本物である。偽物は「HIS MADAM`S VOICE」とある。<ご主人の声>が<奥様の声>に変わっている。
偽物なりのウイットに、犬の心境を想像したくなる。これまた予備のSPレコードを載せておくスタンドまで一緒なので、よく見ないとわからない。

贋物が出るのは、本物が素晴らしいからである。

中国からの来館者にこの話をしたら「昔は、日本も中国と同じことをしていたのですね」と言われてしまった。洋の東西を問わず、まねをされることはある意味、勲章なのかもしれない。


コロムビアの偽物

ビクターの偽物

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