金沢蓄音器館

館長ブログ ほっと物語

2010年7月

その20「ビクター:犬のマークの誕生秘話」

ビクター商品のトレードマークになっている蓄音器を聴いている犬は、世界でも有名な1匹だろう。

この犬のマーク、最初書かれた絵は違っていた。
1899年イギリスの画家、フランシス・バラウドは最初、エジソンのろう管式蓄音器を聴いている「ニッパー」という名のフォックステリア犬を描いた。

「ニッパー」を随分可愛がっていた主人(フランシスの祖父、兄という説もある)は、亡くなってしまった。その主人の声が入っているレコードをフランシスが架けたところ「ニッパー」は蓄音器に走り寄り、チョコンと座って聴いたという。フランシスはその姿に感銘し、絵に残した。

しかし、その絵をエジソン社で断られたからという話もあるが、こともあろうにエジソンの競争相手である英国グラモフォン社、支配人ウイリアム・オーエンに売り込みにいったという。

オーエンは、おおらかな人だったらしくエジソンのろう管蓄音器をベルリナーの平円盤の蓄音器に書き換えることを条件に買い上げた。
バラウドは蓄音器の部分だけを書き替えたために大英博物館にある元の絵は、年々その部分が薄く透けてきて、ろう管が見えてきており関係者が困っているともいわれている。

いずれにしろ1900年7月10日、ベルリナーはこの絵をたいへん気に入り線画化し"HIS MASTER`S VOICE" (彼のご主人の声) の文字を加えて商標登録した。

ビクター全製品に使用され世界中の人たちに親しまれた「ニッパー」になった。

金沢蓄音器館では、いろんな大きさの陶器で出来たニッパー君に出会える。


ろう管蓄音器を聴くニッパー犬




いろんな大きさのニッパー
その19「しおりに託した想い」

それは、6月に入った少し蒸し暑い日の閉館少し前だった。
50代前後と思われるきちんとした身なりのビジネスマンでスーツに身を固めていた。館に入ってきて蓄音器グッズコーナーの前で何かを探している様子だった。

当館の受付嬢が声をかけると、汗をかきながら
「確かここにピアノのデザインのしおりがあったと思うんですけれど?」
と聞かれた。
「ございますが。こちらでしょうか?」
と言って、そのしおりをお見せした。
「そう。これこれ!」
と、ほっとしたような嬉しそうな顔をされた。
「いかがされましたか?」
と尋ねると、その紳士は
「実は、知り合いのピアニストが元気がないので、なんとか勇気づけたいと思ってね。手紙でも書こうかと思ったんだけどね、筆不精で」
と照れた。
「そう、金沢蓄音器館になかなかいいピアノのしおりがあった!それを送れば元気になってくれるのではと思ってね。走ってきたんだよ」
「きっと、お心が伝わりますよ。ちょっとだけメッセージを添えた方がいいと思いますけど」
「そうしましょう!」
紳士は、包まれたそのしおりを大切にしまって館を後にした。

送られたピアニストが、若い女性か男性かわからなかったが。


ピアノデザインのしおり


蓄音器館のミュージアムショップ
その18「NHKラジオ深夜便で全国デビュー」

「蓄音機は古き、良き楽器」というタイトルのNHKラジオ深夜便に出演した。(平成22年6月1日深夜1時10分から約40分、再放送7月7日同時間)金沢蓄音器館で毎日行われている「蓄音器の聴き比べ」の様子を中心に、来館者の感想や渡辺プロデューサーからの質問に答えるという構成だった。

事前に具体的な質問項目はなく緊張したが、間違えばやり直しますからとの話で少し和らいだ。
インタビューも順調に進み、終りのほうで「何故、金沢にこの館があるのか?」と尋ねられた。「先代館長がいたから」ととっさに返事した。やはり想いを持った人がいなければ始まらない。
その想いに多くの方々が賛同し、協力があって初めて達成される。金沢には数々の音楽的な文化の伝統もある。 そこには能、ひがし、にし、主計の芸妓だけでなくアンサンブル金沢、金沢工大のPMC(ポピュラー・ミュージック・コレクション)など新しいチャレンジがある。それを進めていこうとする人が必ずいるわけだ。

翌朝、全国からたくさんのメール、電話、手紙をいただきその反応の多さにびっくりした。遅い(早い?)時間なのに、さすが20年の長寿番組だけのことはある。
早速、富山県小矢部市から男女2名、岐阜県大垣市からの男性が「聴いたよ」と言って来館された。金沢市内のホテルマンも「是非、来館者を当ホテルへ!」と見えたが、その商魂たくましさに驚いた。

SPレコードや蓄音器が自宅にあるので寄贈したい、蓄音器が動かないのだがどうすれば良いか、壊れた蓄音器を修理したいがどうすればよいか、蓄音器はないが自宅にあるレコードを聞きたいのだが、館に行きたいが聴き比べの時間はいつか、道順は、などなど。

また、ある手紙には「なんと言っても来館者に親切に応対することが一番。金沢の印象を決定づける!」と書かれていたのには身の引き締まる思いがした。

「先人のしたことを手本とするな。先人の心を師とせよ」を胸に抱いて、優しい音色を伝えていきたい。

金沢に来るとゆっくり出来る!


聴き比べ取材光景

来館者が使える蓄音器の一台

初代館長:八日市屋浩志
その17「昔からあったご当地ソング」

全国各地に「ご当地ソング」がたくさんある。
その最初で最大のヒット曲は、昭和4年に発売された「東京行進曲」(西条八十作詞、中山晋平作曲、佐藤千夜子唄)だろう。25万枚売れたという。
日活映画「東京行進曲」が作られることが決まり、その挿入歌として作られた。それまでは曲がヒットし、そのあとに映画がつくられていたが、逆の手法がとられた訳である。

しかし、それ以前にも「ご当地ソング」はたくさんあった。
「民謡」である。
石川県の山中節はじめ小原節、佐渡おけさ、江差追分、安来節などもいってみればご当地ソングなのだ。
金沢蓄音器館から山中節をピックアップしてみる。 
 *唄い手(レーベル、レコード番号)

力彌(オリエント、2678)
小原花房(オリエント、4004)
堺屋席なべ(ニッポノフォン、15178)

新鈴木はがき(ニッポノフォン、16718)
佐々木静(ヒコーキ、70024)
越廻家高麗蔵(リーガル、65849、66174)
根岸松子(リーガル、66040)
豆千代(ニッチク、1007041)
蔦の家小雪(ビクター、50814)
葭町勝太郎(ビクター、51664),(パーロフォン、E1953)
佐々木静奴(ビクター、51558),(ポリドール、214)
小原萬龍(ビクター、50658)
小唄勝太郎(ビクター、40399)
音丸(キング、C715)
菊栄(ツル、6849)
山村豊子(ツル、5351)
金津家米八(ニットー、6173、5545)
市三(テイチク、664)
山中、米八(ポリドール、7616)
柳香(タイヘイ、500)
作栄(タイヘイ、150)
末広屋小広(ナショナル、327)

そもそも「民謡」は「俚(ひな)謡(うたい)」と呼ばれていた。一地方のひなびた歌のことで、東京に現れたのは明治42年のことだった。
札幌芸妓が東京に出てきて「追分」を唄ったのが初めと言われている。
<ひなびていて興が深い。江戸では見られぬ図>と絶賛を博し、会場となった寄席は満席となった。それまで寄席は女義太夫が全盛だったが衰退してしまった。

大正期には山中節、安来節など盛んとなり、SPレコードも大いに作られることになった。時代と共に好まれる曲は変わっていく一例である。


オリエント、力弥


オリエント、米八


スタンダード、山村豊子

]
ビクター、小原萬龍
その16「"高嶺の花"の扱い方」

平成22年3月現在、金沢蓄音器館の所有する蓄音器は、約570台余りを数える。

その中の1台、ビクターの手提げ型J2-7型には、商品についての取り扱い説明書が残っていた。
この蓄音器は日本ビクター創立10周年記念に1937年(昭和12年)発売されたものである。価格は当時50円した。
その説明書は13ページにわたる絵入りのもので、おもしろい記述がある。

針とSPレコード盤との接する角度は68度でないとよろしくないと書かれてある。一体どうやって68度を測るのだろうか。

 レコードの回転数は通常毎分78回転だが、その測り方がふるっている。
今は「ストロボ」を使って50サイクル、60サイクル毎にきちんと測れるようになっているが、説明書によると、ターンテーブルとレコードの間に白い紙をはさんで時計で確認してほしいとのことである。
随分と原始的ではあるがわかりやすい。

 回転数を微調整するのにスピード調節(レギュレーション)がついている。これを使うのには50銭銀貨を使うとよいと書かれている。
昭和初期の50銭銀貨はけっこうな金額と思うが、蓄音器を持つ人にとってはたいした額ではなかったのかもしれない。はからずも一般庶民には高嶺の花だったことを思わせる記述だ。

オイルをさしてやる箇所もグリースは歯車に、オイルは軸受けにと図入りで丁寧に記載されている。モービルの油がよいとも書かれている。
アメリカ資本が入った会社だけのことはある。


ビクターJ2-7蓄音器カタログ

解説書

解説書の中

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