金沢蓄音器館

館長ブログ ほっと物語

2010年10月

その35「平和の歌に変わった<里の秋>」

平成18年9月2日「合田(ごうだ)道人(みちと)さんと究める、童謡の謎」が金沢蓄音器館で開かれた。
合田さんは「童謡の謎」などの著作があるシンガーソングライター。

当日は「七つの子」「かなりや」「汽車ポッポ」など10曲あまりのレコードを聴いたほか、合田さん自身の歌と話で歌に隠された秘密を解き明かすイベントだった。

その中での話である。 <静かな 静かな里の秋~>の出だしで始まる「里の秋」 この曲は、戦後昭和20年12月中ごろ、浦賀に南方から最初の復員船が入港するので歓迎する歌をと、NHKからの依頼によって作られた。
頼まれた作曲家、海沼実は昭和16年にレコードメーカーに送られてきた「月星夜」の詞があったことを思い出した。
これは<椰子の島>という歌詞があったからだが、作曲はされずレコードにはなっていなかった。
海沼は、作詞した小学校教員の斉藤信夫にすぐに相談した。
その3番、4番の歌詞は<~父さんの ご武運を 今夜も ひとりで 祈ります><~大きくなったら 兵隊さんだよ~僕だって お国を 守ります>だった。

それを受けて、斉藤は急いで12月24日の放送日に間に合わせるため<~ああ 父さんよ ご無事でと 今夜も母さんと 祈ります>に歌詞を変え、題名も「里の秋」に改めたという。

戦争を支える歌が、無事を喜ぶ平和の歌に変わったわけである。

この曲は童謡歌手、川田正子の端正な歌声と相まって、一躍反響が起こり多くの人たちの心をとらえた。

今も日本の秋を象徴する名曲の1曲だが、昭和16年に作られていたら曲調も随分違うものになっていたのではないか、つくづく平和の歌に変わってよかったと合田さんはいう。

会場に集まった来館者一同大きくうなずいた。


深瀬悠子、川田孝子「七つの子」

川田正子「汽車ポッポ」

田端典子「汽車ぽっぽ」

川田正子「里の秋」
その34「どうして78回転なの?」

SPレコードの回転数は、毎分78回となっている。だが、どうして78回転なのだろうか?

回転数が早いと音質はよくなるが、録音時間は短くなる。反対に回転数が遅いと録音時間は長くなるが、音質は悪くなり音はゆがむ。
良い音で、もっとも長く録音出来る回転数は、いくつか?この問題に、随分試行錯誤がなされた。

フランス、パテ社のセンタースタート盤(内側スタート盤)は90回転、リムスタート(外側スタート盤)は80回転、エジソン社のダイアモンドディスクは80回転、ベルリナーのレコード盤は最初 70回転だった。

日本でも78、80、83回転と各社バラバラだった。
「貝印のレコード(内外蓄音器社製)吹込は1分間83回になってゐますから、この回転数によれば良いのですが、目盛りの不完全な機械の場合は耳で適当に加減することが必要です」
と「正しき音譜(れこーど)の聴き方」としてわざわざ注意書きがされている。

国内のレコード各社は外国の会社と比べ製作技術が落ちるため、また材料も悪いために80から83回転が普通であった。
音を拾うサウンドボックスも100グラム近くの重さがあり、盤に下ろすと正確な回転数にはならず、目安だったと思える。

それが一大技術革新といわれる電気吹き込みが取り入れられてから、徐々に78回転に収れんされていった。
電気吹き込みは文字通り電気を使って録音する方式で、電気によって増幅し大きく音を入れられる。
アメリカの交流電圧は60ヘルツであり、これで回すシンクロナスモーターは毎分3600回転。この回転を落とすギア比が46対1であり、割り算すると約78となる。

欧米、日本ともに78回転になるのに昭和10年までかかった。

電気録音のレコードは、それまでのものと比べて格段に音量・音質ともに上がったのである。


英国コロムビア盤:80回転/分と記載

特許レコードのエンベロップ(袋)に記載

東京レコードのエンベロップ(袋)
その33「"逆流"SP盤の謎

一般的に、LP、EP、SPの各レコード盤は、盤の外側から針をのせて曲をスタートさせるものと思い込まれている。

しかし、SPレコードの中でもフランスのパテ社が開発したレコードは、逆に内側(真ん中のレーベルを貼っている外側)に針先を落とす。針先は盤の外側に向かって曲を奏でるわけだ。
盤の一番外側に針を落とす方が自然なように思えるのだが、どうしてパテ社は内側から曲のスタートをすることにしたのだろうか。

一説によると、カッテイングの際、内側から切るほうが削りカスが出ても、からまなくていいという。カスが出ると同時に掃除機のように吸いこんでしまえば問題がないようにも思えるのだが。

実は、映画の映像のスタートにあわせたためという。
映像と音声を合わせるためには、針を置く場所を決めておく必要があった。
外側ではその印がつけられない。内側だとレーベルに付けることができ、簡単に合わせることが出来る。
長時間映画に合わせるためなんと直径50センチの大きな盤(北海道新冠のレコード館で見れる)も作られた。

しかしフイルムの横溝に音を入れるトーキーが主流になるにつれ、このレコードは姿を消していったのである。

CDの時代になって、片面に様々な録音時間で曲が入ることとなった。
直径8cmのCDシングル盤もあり、そのためには、スタート位置を一致しておかねばならない。内側スタートしかないわけだ。

消えたパテ社の思想が受け継がれ、今も生きている。 金沢蓄音器館でもその内側スタートのSPレコードが間近に見られる。

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フランス:パテ社制作の街頭型
コインスロットル蓄音器

金沢蓄音器館にある
内側スタートのパテ盤
直径12インチ(30cm)
その32「サンドイッチのレコード」

大正初期には、売れているレコードを複写して安く売るメーカーが現れた。

今でいうコピー盤である。
売れているものだけをコピーして売るのだから、宣伝費をかけなくても済むわけで濡れ手に粟で簡単に儲かったという。
関西の大阪蓄音器、東洋蓄音器(京都)を始め、関東の帝国蓄音器(現在のテイチクとは関係がない)も設立されたときはコピー盤専門だった。コピー盤で儲けてから自社盤(オリジナル盤)の制作に乗り出したという。

コピー盤は安く出来たが、さらに安く販売する方法としてレコード盤のA面、B面の間にボール紙を芯として入れた。

レコードの材料はシェラックといってインド方面でとれるカイガラムシの分泌する樹脂を精製し、炭素、石灰、綿くずなどと練り合わせてつくる。輸入品のため供給不足や原材料の高騰が日常であった。

そこでボール紙を入れるアイデアが生まれた。これだと材料費が浮き、さらに価格は下げられるわけだ。
正規の10インチ盤1円50銭が、「ボール盤」だと15銭だったというから驚く。
そのたくましさには脱帽するが、シェラックが薄くなりすぐに下地のボール紙が出てきて聞けない代物になってしまう。
戦中戦後のしばらくは、物資不足でボール紙の入ったSPレコードが発売されていたが、元はと言えばその30年前の大正時代にすでに生まれていたわけである。

しかしサンドイッチ状態にする発想は、昭和に入ってコロムビアが開発したラミネーテッド・ペーパーを生み、耐久性の向上、破損率の低減、雑音の少ない盤を誕生させた。

マイナス面だけでなくプラス面での効用もあったわけだ。金沢蓄音器館ではその食べられないサンドイッチ盤が見られる。


表面と裏面の間にボール紙を入れたSP盤

戦後のSP盤で下地のボール紙が見える

コロムビアの開発した
ラミネーテッドペーパーの解説
その31「大正時代のコピー盤 」

明治時代の末頃は、浪花節、謡曲、義太夫がもっぱら良く売れたSPレコードだった。

とりわけ桃中軒雲右衛門は人気のある浪花節の担い手だった。レコードを出すことに渋っていたが、横浜のドイツ人貿易商ワダマンは、1万5千円の破格な吹き込み料を払ってようやく制作にこぎつけ、三光堂より販売した。
おかげで、当時人気を二分していた吉田奈良丸のレコードは1枚1円50銭だったが、明治45年5月に売りだした雲右衛門の価格は3円80銭もしてしまった。「象印スタークトン盤が本物で、これと違う盤は偽物です」と異例の発売広告までやった。

しかし「偽物」は出たのである。東京音譜会社が発売日に本物を購入し、1800枚複写し1円内外で売ったという。自分で制作せず宣伝もしないわけで、売れているものだけを安く売るのだから儲かるのは当たり前である。

当然、ワダマンは裁判を起こし、一審では勝訴したが、大審院では敗訴してしまった。判決は、正義の観念に反するが取り締まる法律がないことがその理由であった。

著作権法が確立していない時代ではあったが、レコード業界の前途は真っ暗になってしまった。著作権思想が普及している欧米諸国ではコピーは及びもつかないことで、外国人は「コピーは日本人の発明だと驚いている」と当時の新聞は伝えている。

これに対抗するため、レコード会社は正規盤の価格を半値にし人員削減、さらには大幅減資も実施した。
輸入盤のトータル金額も大正元年を100とすると同5年にはなんと11にまで減ってしまった。
しかしコピー盤に対抗する一人が出てきた。雑誌「蓄音器世界」を発刊する横田昇一である。
彼は政府を動かし、ようやく大正9年に法改正を実現させた。レコード生産額は大正3年を100とすると同9年には、なんと445まで回復したという。
日本にしかないレンタルCD制度を禁止すれば困窮を極める今のレコード業界を救えるかもしれない。金沢蓄音器館では、コピー盤のSPレコードが見られる。


雲右衛門の象印スタークトン盤

白熊印(石の上)複写盤
大正前期

白熊印(地球儀の上)オリジナル盤
大正後期

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