金沢蓄音器館

館長ブログ ほっと物語

2010年11月

その40「宮沢賢治になった宮司さん」

歳も改まった平成22年の正月、金沢蓄音器館の電話が鳴った。

加賀・山代温泉にある神社の宮司さんからだった。
御堂の屋根の下の棚を整理していたら、レコード数十枚と蓄音器らしきものが見つかったとのこと。ハンドルをまわしてみるとターンテーブルが廻るのでどうも壊れてはいないようだが、ラッパにあたるものが見当たらない。
レコードをかけて蓄音器を壊してしまってはよくない、どうしたものかとの相談だった。

数日後、大事にこの蓄音器をかかえて来館された。
見ると明治44年より作られた国産第1号の無ラッパ式蓄音器「ユーホン1号」だった。
ラッパが見当たらなくて当たり前で、コンパクトに蓄音器に内蔵されているのである。<無ラッパ式>と呼ばれる所以である。
汚れてはいるが、<サウンドボックス>と呼ばれる針をつけて音を響かせる部分は申し分ない。
ターンテーブルやゼンマイなどの金属部にオイルをさしてやり、滑りをよくして、ようやくゼンマイをそっと巻いた。
新しい針をつけて、息を殺して盤にのせてやる。きれいな音を奏でた。顔を見合わせた。みんなほほ笑んでいる。ホッとした瞬間だった。

「ユーホン1号」蓄音器はラッパが内蔵されているため大きさが手頃であり、価格も比較的安いほうで(明治45年で30円)人気があった。
詩人宮沢賢治がこよなく愛した蓄音器である。

この話をすると宮司は顔をほころばせながら「家に帰ったら早速、宮沢賢治になってみましょう」と語り、館をあとにした。


ユーホン1号
手前の板がスライドする


ユーホン1号
手前の板をスライドさせてラッパがのぞく
その39「忘れられた日本人発明の長時間レコードと蓄音器」

SPレコードの演奏時間は、毎分78回転でまわるため片面せいぜい3分程度である。

これだと長唄、清元、浪花節、クラシックなどの長い演奏曲はすぐに盤をひっくり返さねばならない。
CDが直径12cmに決まったのはベートーベンの「第九」が片面にちょうど入るからだった。
レコード盤を取り替えることのない長時間の再生時間に、人々は随分憧れた。

夢のような、そんな長時間レコードと蓄音器をなんと戦前、日本人が考案していたのである。
34分もの演奏が可能だった。(36分という説もある)
<フィルモン>という蓄音器である。

創案したのは、日本フィルモン㈱。昭和12年制作。幅35mm、長さ13mのセルロイド上に100本の溝を刻みつけた。
さらに、両端をつなぎ合わせてエンドレステープにしたレコードである。
テープ形態は世界中どこにもなく、その独創性には脱帽するしかない。
音質も上々で、通常のSPレコードの周波数特性の高域は5~6000ヘルツだったが、フィルモンでは7~8000ヘルツあった。

ヘレンケラーが来日した際、録音にきてその素晴らしさに驚嘆した。
特許を売ってほしいと頼まれたが、会社は蓄音器は売るが特許は断ったという。
金沢蓄音器館にある<フィルモンFA-100>蓄音器は、レコードの回転は電気モーターだが、再生音は電気を使っていない。
モーターの力が弱く、手まわしで回転を助けてみるとその音色は蘇ったのである。

平成22年3月、国立文化財機構東京文化財研究所の面々が来館された。当館にある<フィルモン>の調査である。
レコードにあたるセルロイドのエンドレステープが硬化し、再生出来なくなる前に残しておくためだ。

その<フィルモン>も戦後、ソニーの開発したテープレコーダーに取って代わられた。
さらなる技術革新にアッという間に忘れられた蓄音器である。


金沢蓄音器館にある
フィルモンFA-100 蓄音器

テープ状がレコード

昭和13年、雑誌「無線と実験」の表紙を飾る

レコードは「音帯」と呼ばれる帯状のもの
その38「穴場! 金沢蓄音器館」

平成22年9月、まだ30度を超す真夏真っ盛りのころだった。

金沢に初めて来たという埼玉からの30代と思われるご夫婦が、蓄音器館の「聴き比べ」の時間に合わせて来館された。

いろんな音色を聴き終えて、
「ネットで聞いてから、ここにきてほんとに良かったわ!兼六園、茶屋街、長町武家屋敷跡、21世紀美術館など見どころがたくさんあるけど、金沢は初めてなので、モバゲータウンでどこかいいところを教えてと尋ねたんです。
すると、すぐに<絶対、金沢蓄音器館に行くべし!>と返事がありました。だから来てみました」
と語った。

情報を得る手段は、携帯電話でS.N.S(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)というハイテク利用だが、その元は「口コミ」というアナログだった。

そういえば、今年の5月に中日新聞の読者投稿欄に石川県小松市の中学生が「市場近くの穴場、金沢蓄音器館」と題しての記事が載ったことがあった。

「目立たない建物だけど、蓄音器の聴き比べで会社や年代ごとに音色や大きさに違いがあるので是非訪れたらいい。
高校生以下なら無料も魅力。近江町市場も近くにあっておいしい海鮮丼を食べたり、お土産を買ったり、満足すること間違いなし」

これもまた「口コミ」の大切さを教えてくれている。
さて、その後さらに聴き比べに力が入ったのは言うまでもない。

来ていただいた方々から、逆に私たちがパワーをもらっているのだ。


3階建ての金沢蓄音器館

聴き比べコーナー
若い方々も多い

近江町市場、館から徒歩5分くらい
その37「鏡花を聴く」

金沢蓄音器館の真横に「泉鏡花記念館」がある。
泉鏡花は金沢が生んだ文豪の一人である。

その記念館から、蓄音器館に泉鏡花原作の映画主題歌などの関連レコードはないか、あれば合同でイベントを開催できないものかという質問を受けたのは、平成22年の桜の花が咲くころだった。
調べてみると、10枚程度のSPレコードがあることがわかった。

中でも昭和17年にビクターから発売された4枚組8面の台詞劇「婦系図絵巻」(長谷川一夫、山田五十鈴、唄・市丸)が珍しいものだった。盤質も良好だった。
聴いてみるとセリフ回しがなんとも言えない色気があり、市丸の清元浄瑠璃が主税(ちから)と芸者お蔦(つた)を際立たせている。

これは是非「鏡花を聴く」と題して、鑑賞会を開こうということになり、平成22年9月23日に蓄音器館でと決まった。

舞台は「湯島の境内」。これは同年製作の東宝映画のレコード版といってよい。鏡花文学の大衆化の過程を示すものとしても興味深い。

荒天にもかかわらず集まった30名ばかりの来館者はそのメロドラマを聴いて楽しんだ。さらに藤原亮子・小畑実の「婦系図の歌」(湯島の白梅)のレコードをかけたが、皆、口ずさんでいたことは言うまでもない。

そのあと、戦後小畑実一人で歌った「湯島の白梅」のレコード盤演奏へと続いたが、戦前の盤より格段に音の良さが上がったのがわかる。会場の歌声もさらに大きくなった。

その日の夕暮、「湯島通れば 思い出す~」と歌いながら泉鏡花記念館前にある久保市乙剣宮(くぼいちおとつるぎぐう)を通り過ぎる人に出会った。

きっと来館者の一人で、同宮を湯島天神に見立ててのご機嫌のひと時だったに違いない。


婦系図絵巻

婦系図の歌

湯島の白梅

隣りにある久保市乙剣宮
その36「セノオ楽譜と夢二の時代」

「セノオ楽譜」とは、妹尾幸陽(本名幸次郎:1891―1961)が明治43年より発行した楽譜の総称である。
一般大衆に向けて古今東西の楽曲を紹介するため1000曲近い楽譜を出版したと言われる。
楽曲の解説、訳詞の掲載に加え、表紙を飾る洗練されたイラスト、題字にも魅力があった。
竹久夢二はそれらの表紙絵を誰よりも多く手掛けた代表的な存在であった。

平成22年9月、金沢湯涌夢二館開館10周年記念でこのセノオ楽譜の中から夢二の描いた表紙絵が展示された。
さらに「セノオ楽譜のしらべ」と題して夢二の描いた表紙絵の曲を蓄音器の音色で聴こうという鑑賞会が開かれた。
「ハバネラの歌(歌劇カルメンより)」、「アベ・マリア」、「浜辺の歌」、「宵待草」、「庭の千草」、「故郷の人々(スワニー河の歌)」、「アロハ・オエ」、「POOR BUTTERFLY(可愛や胡蝶)」、「祇園小唄」、「ある晴れた日に」などである。

「ある晴れた日に」は三浦環(みうら・たまき)が歌い、「宵待草」は藤原義江の歌だけでなく李香蘭(日本名・山口淑子)が唄ったものも蓄音器でかけた。
「アロハ・オエ」といえば日本人のバッキー白片の歌とスチールギターが思い出されるが、なんと珍しいことに、あの著名なバイオリニスト、クライスラーの演奏のものもあったのでかけてみた。

使用した蓄音器・ビクター社ビクトローラ1-90(発売は昭和4年。卓上型蓄音器では当時最高級であった)は、よどみなく夢二の時代の音を再現したのである。

集まった110名の観客は夢二の時代にタイムスリップしていた。


三浦環「蝶々夫人」

李香蘭「宵待草」

クライスラー「アロハ・オエ」

夢二館での鑑賞会

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