金沢蓄音器館

館長ブログ ほっと物語

2011年1月

その50「ラッパの大きいほうが、音がデカイか」

金沢蓄音器館での「聴き比べ」は、10台くらいの蓄音器の音色の違いを聞くことができる。
その中の1台に、明治・大正時代につくられたラッパ型蓄音器を入れてある。

SPレコードをかけてから、わざとラッパを取り外してみる。
すると、音がずっと小さくなる。
また、ラッパを取りつけると音は大きくなる。
ラッパは、音を大きくする働きがあることがすぐ理解できる。

大きい音を得るにはラッパを大きくすればよいのだが、外づけではその重量を支えたり動かしたりするのがたいへんになる。
そこで、ラッパを内蔵するようになった。

その代表格が「蓄音器の王様」と言われる米国ビクター社のビクトローラー・クレデンザ(大正14年~昭和5年)である。
外からは見えないが、トーンアームの根元で二股にわかれ、中はじゃばらのようになっており、ラッパを大きくしてある。
これを1本にし、まっすぐ伸ばしてやるとなんと9フィート(約2m70cm)にもなるという。
6万7千台以上作られ、ビクターの名前を不動のものにした蓄音器である。
これによって中音、低音の響きと小さな音から大きな音までが素晴らしくよくなる。
とても電気を使っていない音量とは思えない。王様と呼ばれる所以である。

初めてこの蓄音器の音を聞いた東京からの若い男性は、思わず
「CDよりいい音だ!」
と唸った。
これも「聴きくらべ」られる。


ラッパ蓄音器

ビクター社:ビクトローラー・クレデンザ

クレデンザの構造
その49「蓄音器を聞くと眠くなるわけ」

金沢蓄音器館では、「蓄音器聴き比べ」を1日3回行っている。
来館された方々にどちらからお越しになられたか、初めて蓄音器の音を聞かれるのか、また終りにはどの蓄音器の音色がお好きか、聴いた感想はいかがかとお尋ねすることにしている。
皆さん、ニコニコと話していただける。

話もなく、ただSPレコードをかけているだけでは、寝てしまわれる方が多い。
あのシャーシャー(パチパチか?)という針とレコードが擦れる音が、眠気を誘うのである。

大阪から来たという産婦人科の医師が言っていたが、この音は人間が母親の羊水のなかにいたときの音だそうである。
観光疲れで、椅子でゆっくりできるので、つい寝てしまうこともあるだろう。
でも、その考えかたより、母の中に抱かれた安心感からリラックスできると思った方がずっと素敵だ。

実際、来館者の方でこのシャーシャー音がなんとも言えず心地いいと話す人は、一人や二人ではない。

同じ曲でも蓄音器を変えると、音色は異なる。
同曲、同蓄音器でも天候や湿度が違うと乾いて軽やかに感じられたり、しっとりとした落ち着いた感じで聞こえることがある。

こんな体験をすると蓄音器は正に楽器ではないかと思うのだ。
アナログならではの効能である。


聴き比べコーナー(左から)





聴き比べコーナー(右から)
その48「アメリカに渡った曲―支那の夜―」

「支那の夜」(西条八十作詞、竹岡信幸作曲、渡辺はま子唄、昭和13年11月発売)。
そのチャイナ・メロデイーは今聴いても古さを感じさせない1曲である。

平成17年2月19日、「父、竹岡信幸を語る」が金沢蓄音器館で開かれた。元コロムビアレコードの竹岡知幸さんと私の父(当館初代館長八日市屋浩志、故人)の時代からの個人的付き合いもあって実現した。

竹岡信幸氏が生涯作曲した2000曲余りのなかで代表曲10曲ほどのレコードをかけながら、身内でなければわからない制作裏話などの話しとなり、楽しく貴重な会となった。

その中に「支那の夜」も含まれていた。

作曲者である竹岡は何度もこの曲を書き直したそうである。1度も中国に行ったことがなく、チャイナを連想させる曲調に随分と腐心したという。

録音後、戦時にあってこんな甘いメロディーの曲は売れないだろうと、しばらくは発売されず特段の宣伝もしなかった。
しかし軍歌ばかり聴かされていた戦地の兵隊たちは、しみじみと聴ける心の温まる歌を求めていた。
戦場からヒットの芽が出てきて、昭和15年に東宝・東京作品で映画化(主演、長谷川一夫、李香蘭)され火がついたわけである。

戦後、進駐軍であるGHQはこの曲を好み、著作権を取り上げてしまい「チャイナ・ナイト」という曲で大いに演奏した。
アメリカでヒットした「ゼロ号作戦」(アン・ブライズ主演)という映画の主題歌にまで取り上げられた。

著作権が竹岡の下に戻ったのはなんと昭和36年のことだった。
日本では「上を向いて歩こう」がヒットした年である。
海を渡って帰ってくるのに16年かかったことになる。


「支那の夜」
作詞、西条八十
作曲、竹岡信幸
唄、渡辺はま子




作曲家、竹岡信幸
(コロムビア50年誌より)
その47「"秘策"まろやかにする椿油」

金沢蓄音器館では、SPレコード演奏に鉄針を使っている。
竹針を使ったほうが音はやさしくなり、レコード盤にとってもいいのでは? と質問を受けることもある。
そういう面もあるが、竹針を手に入れること自体難しいし、音量は鉄針と比べると小さくなる。
戦争中、鉄は軍需物資で供出され、竹、セラミック(磁器)、サボテンやバラのとげ(!)までも代用された。
人はいろいろ工夫するものだと感心させられる。今は、鉄針はほとんど入手困難で、当館ではメーカーにお願いして作ってもらっている。

一般的には、SPレコード演奏1回毎に鉄針を替えるべきだといわれているが、当館では、発注した針の品質がよいので、何回かかけて針の状態をみて、取り替えている。

実は使用、未使用の区別は、針先を上にして指でつまみ回転させるとわかる。
何がわかるかというと、ピカッと光ると使用した針である。
使うと先端が減ってしまうので光を反射するのである。
未使用針は光らない。

竹針は、減りが鉄針より早い。
専用の「竹針はさみ」でチョキンと減った部分を切り取って、短くなった針を再度使用する。
来館者の中には昔使ったことがあると言って懐かしがる方も多い。

元ビクターのスピーカー開発責任者であった桑波田敏勝氏の弁であるが、椿油につけておいた竹針を使うと実にまろやかな音色を出す。
それも大島の椿油がいいとのこと。
椿油仕込みの針で、実際聴いてみるとなんとも言えないやさしい音で、アナログでなければ聴けない体験だった。

いま当館では椿油の小ビンに入れた竹針が"熟成中"である。


三光堂の紙袋

いろんな針

竹針と竹針はさみ

大島の椿油に熟成中の針
その46「1杯のコーヒから」はビールから始まった

「1杯のコーヒから」は昭和13年12月に服部良一が曲を作って、詞は「別れのブルース」以来の友人、藤浦洸に依頼した。
最初、この歌のタイトルは「1杯のビールから」だったそうだ。下戸だった藤浦は「ビールよりもコーヒーのほうがいいのでは?」と言ってハイカラな服部のメロデイーに合わせて詞を書いたわけである。

ビールもコーヒーも今の時代よりずっと貴重品であったが、若者、とりわけ女性には酒よりコーヒーのほうが人気があった。
藤浦は粋なメロデイラインに合わせた格好のよい詞を書いたが、もともと<ビール>と3文字だったため<コーヒー>も<コーヒ>として字数を合わせたのである

霧島昇とミス・コロムビアの松原操が歌ったこの曲は翌年3月に発売になった。
曲の中で<1杯のコーヒから>と唄っており<1杯のコーヒーから>と伸ばして唄っていないのはそのためだ。
曲調が高尚でヒットするだろうか?と霧島も松原もいぶかったそうだが、予想外に売れた。
若いサラリーマン、大学生の通った喫茶店ではよくこのレコードがかけられた。
今、聴いても垢抜けし随分ハイカラな曲だと感じるのは、私だけはないと思う。

「この曲と<愛染かつら>の2曲が、歌った二人を結婚へと導いたのです」
と、二人の三女である大滝てる子さんが語ってくれた。
平成17年11月6日の金沢蓄音器館主催「霧島昇・松原操 父母の心を歌い継ぐ」のイベントでの一こまである。


一杯のコーヒーから

霧島 昇

霧島昇と松原操の結婚式
媒酌人は山田耕筰夫妻

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