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金沢蓄音器館

館長ブログ ほっと物語

2011年2月

その55「淡谷のり子「イタリーの庭」の想い出」

淡谷のり子といえば<ブルースの女王>と呼ばれる。
青森県出身で父を亡くし、苦学して東洋音楽学校に学んだ。その学資を稼ぐために画家のヌードモデルまでやった。その時代ではたいへんなことだった。クラシックを勉強したのだがその道では食ってはいけずジャズに転向した。
和田肇というジャズピアニストとの恋愛が影響したと藤浦洸はのちに語っている。

その淡谷のり子と1991年8月出会った。KOHRINBO109のホールであった「金沢ジャン・ジャン」主催の84歳のバースデーコンサートでのこと。
SPレコードを1曲かけてほしいとのオーダーで蓄音器を用立てた。
本番中にSP盤のタンゴ「イタリーの庭」を聴き、それにからめてご本人が数々のタンゴの名曲を唄うという趣向である。
「私の声も若かったわね」と目を細めたのを覚えている。

高齢のため座るよう勧めたが、「お客様の前ではきちんと立って歌うものよ」と言われ、黒のグランドピアノにちょっと肘をかけながら歌い通した姿には感銘さえ覚えた。

金沢蓄音器館で彼女のSPレコードを見たときに、20年前のその時の情景がまざまざと蘇った。スパンコールのピンクのドレスが浮き上がり「私もピンク(のドレス)が似合う歳になりました」と語った彼女に惜しみない拍手が送られたことを。


淡谷のり子「伊太利の庭」
その54「もう一つあった「石川県民の歌」」

「白山に 朝日は映えて~」で始まる「石川県民の歌」(コロムビア、SPR1898)が金沢蓄音器館にある。梅木宗一作詞、窪田新一作曲、若山彰、コロムビア・ローズが歌っている曲だ。
アラカン(還暦前後)くらいの方々なら昔、学校で随分歌ったことがあるのではないだろうか。

ようやく戦火から立ち上がった余裕からだろうか昭和34年11月に発売された。
ちなみに、「富山県民の歌」は昭和33年、「福井県民の歌」は昭和29年に作られている。
石川県が一番遅く作られたことになっている。
が、実はもう一つの県民の歌が北陸では一番早くレコード化されていたのだ。
戦後しばらくしてテイチクレコード版「石川県民の歌」(レコード番号、20005)が別の歌詞、節回しで作られていた。信原俊行作詞、金沢交響楽団作曲、「月がとっても青いから」で有名な菅原都々子、村澤可夫が歌っている。
物資がない時代だったので、盤の表面はイボ状の突起がいくつもあり質はよくない。
この歌詞がふるっている。「~食糧増産やろうじゃないか よしきた再建だ よしきた再建だ~
ここらでひとついましめあって欲と未練を さらりと流し 闇の売り買いやめようじゃないか~工場(こうば)残らず 煙をはけと 新台ドシドシ送ろじゃないか~次々築き 我等の意気を上げよじゃないか~」などリアルな歌詞で国土復興への応援歌になっている。
戦後、最初にヒットした曲は21年1月に発売になった「リンゴの唄」だった。
人々は並木路子の明るい歌声とともに祖国再建へ向かう精神的きっかけをリンゴによって開放感を得、こころの傷を癒した。
かつて店頭に墨で大きく、この歌詞を書いて張りだしたところ「いつとはなしに道行く人が立ち止り、歌っていたものよ。つくづく平和な時代になってよかった」と母が生前懐かしそうに語っていた。
どんな唄も人々の心にエネルギーを与えた時代だった。


石川県民の歌
コロムビア盤:若山彰、コロムビア・ローズ




石川県民の歌
テイチク盤:菅原都々子、村澤可夫
その53「涙の「有楽町で逢いましょう」」

雪がうっすらと積もった2月のある日、奈良から来たという老夫婦が金沢蓄音器館の聴き比べに参加された。
メガネをかけたご主人は恰幅が良く手にカメラを持ち、ご夫人は白髪の美人だった。

聴き比べは、エジソンのろう管型アンべローラ・モデル30から始まり10台あまりのいろんな蓄音器の音色を聴いてもらうものである。
童謡の「可愛い魚屋さん」、東海林太郎の歌う流行歌「赤城の子守唄」を2人は一緒にほほ笑みながら口ずさんでいた。
映画主題歌である「慕情」、ハリー・ジェームス・オーケストラの「ラビアン・ローズ」の外国曲も英語で歌っていたのには驚いた。聴き比べも佳境に入り「有楽町で逢いましょう」をかけた。曲が終わると二人の眼は真っ赤だった。
「すみません。主人とのデートはいつも映画。終わってからは喫茶店でコーヒーを飲むだけ。
でも、その時にはいつもこの<有楽町で逢いましょう>が流れていたんです。
素敵な時間でした。
あの頃を思い出してしまい、思わず涙してしまいました。
タクシーの運転手さんにここを勧めてもらい良かった!
雪の兼六園も見れたし、金沢をもっと好きになりました。また、必ず来ます」
そう言って席をたたれた。

若かりし日に聴いた、その時の<胸のときめき>に出会えたのかもしれない。2人が帰った館には、暖かい風が流れた。


フランク永井「有楽町で逢いましょう」



かわいい魚屋さん
その52「コロムビア・ローズとのご縁」

歌手を金沢蓄音器館に招いて新曲発表会を開いたことが何度かある。
平成16年11月12日のことである。「三代目コロムビア・ローズと聞く初代コロムビア・ローズ」と題したイベントを三代目コロムビア・ローズを迎えて開いた。

初代コロムビア・ローズの最大のヒット曲はなんといっても昭和32年発売の「東京のバスガール」(作詞:丘灯至夫、作曲:上原げんと)である。
だが「石川県民の歌」(作詞:梅木宗、作曲:窪田新一、昭和34年制作)を若山彰と歌っていることを知っている人は少ない。
彼女は石川県と縁があるのだ。
この曲も含めて懐かしいSP盤を一緒に聴いた。

初代のコロムビア・ローズは美声が持ち味。
素直な歌い方で幅広いジャンルをこなし、一世を風靡した歌手である。
その名前を受け継ぐことは名誉なことであるが、かえって重荷になることもある。
三代目はその負担を吹き飛ばしてデビュー曲「出航5分前」などを熱唱した。

拍子をとる観客の眼差しの優しさが伝わったのか、最後は涙で歌えなくなってしまった。
聴いている方も感涙し、会場ではテイシュペーパーの箱をまわす羽目になった。
みな三代目が大輪のバラとなるよう惜しみない拍手を送った。


若山彰とコロムビア・ローズが
歌った「石川県民の歌」


その51「CDの音はパッチワーク」

CDに録音される曲の作り方は一般的にいって、最初に伴奏をするギター、ドラム、ピアノ、キーボードなどの楽器を別々に録音する。
それらを合わせて1本の歌のバックテープを作る。カラオケを作るわけだ。
歌手はそれをヘッドフォンで聞きながら歌い、さらに1本にして出来上がり(原盤)となる。
生の楽器を使わない場合は、シンセサイザー1台でいろんな楽器の音色を出して音を合成することもある。

この方法だと歌詞を間違えたり、歌い方をかえたいと思えば何度でもやり直しがきく。
その一番いいところを切り取ってつなぎ合わせ、1本のマスターテープを作る。
このマスターテープがCDの原盤となる。
デジタルであるがゆえに出来ることだ。
私たちは、いわばパッチワーク、つぎはぎだらけの音を聞いていることになる。
コンサートなどのライブ会場で聞く曲がCDで聞く音と違って聞こえることがあるのは、そのためだ。

これに対して、金沢蓄音器館で収蔵しているSPレコードの録音方法は随分違う。
ちなみにSPの意味はStandard Playingの略である。
デジタル録音なんぞということは出来なかったので、歌手はバックの演奏者と一緒になってマスター原盤に録音した。
歌詞を間違ったり、演奏を失敗すれば全員が時間のロスになるし、せっかく録音した原盤がパーになる。
録音するときの緊張感はCDのそれと格段に違ったと、レコーディングディレクターが語っていた。

さらに録音されたままの状態でレコードとして再生されることになる。
オペラの歌唱、バイオリンやピアノなどのクラシック等はその演奏者の声、息継ぎ、演奏テクニックなどはCDよりよくわかる。
歌唱、演奏の勉強にはSPレコードを聴くのが一番という人は1人や2人ではない。


「レコードの出来るまで」
ビクター50年誌



ワックス原盤について
昭和13年コロムビア邦楽総目録

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