金沢蓄音器館

館長ブログ ほっと物語

2011年3月

その60「奥が深い"針"と前田の殿様」

SPレコードをかけるのは鉄針か竹針が一般的だった。現在、金沢蓄音器館では鉄針を使用している。

戦争中は、鉄は軍需物資だったためもっぱら竹針が使用された。竹はすぐに摩耗し減ってしまうので、竹針はさみでチョキンと切って使用するが直に短くなって使えなくなる。
音は、鉄針に比べて小さいが、優しい音色を奏でる。

九谷焼きのようなセラミック針も使われたが、使用中に折れてレコード盤を傷つけてしまうので余り用いられなかったという。

他にもサボテン針、バラのとげ針などの珍品も試された。使ってみたがどれも音は小さめ。優しい音色だったが、先端が減ったってやはり長くは使えない。
しかしまあ、人はいろいろ考えるものだと感心させられる。

また何度も使えるようタングステン針、クロミニウム針(100~150回使用可能)も考案された。コロムビアのエンベロップ(レコードを入れる紙袋)にその使い方など書かれている。

普通、鉄針は3種類ほどに分けられる。
強音針(ラウド、太い針)、中音針(ハーフ、普通の太さ)、細音針(ファイン、細い針)だ。
ラッパの大きな蓄音器では強音針がいいと言われる。ラッパが短く再生音が比較的小さな蓄音器は中音針が向いているという。

大きなラッパの蓄音器に弱音針を使うと音はビリつくことを、蓄音器マニアであった加賀百万石第17代当主前田利建氏はその著書「電蓄回顧録」に書いている。
望ましい針は、米国ビクター社の強音針で、手に入らないと言うので自分で「トリオ」という針のメーカーまで作ってしまったお殿様であった。

さらに、鉄針の中ほどをつぶして楕円状にした針もある。
この膨らんだ楕円状をサウンドボックスに直角にして取りつけ、レコードを鳴らしてみると音は大きくなる。平行にしてみると音は小さくなる。
1本の針で音量を変えられる針である。
元ビクターの桑波田敏勝氏はこの針でノイズの多いSPレコードをかけてみて、平行にするとノイズが減るとわざわざ連絡されてきた。

針1つでも随分と奥が深いものである。


竹針と竹針ばさみ

いろんな針

針の種類を説明している

楕円針
その59「コビトが入った蓄音器」

蓄音器にとって、致命的なことはゼンマイが切れてしまうことである。

現代のようにJIS規格などない時代だったので、メーカーが一緒でも蓄音器の商品番号が違うと部品も異なった。
ゼンマイなどもそうである。長さ、幅、厚さ、皆サイズが違う。その機種のみのゼンマイしか使えず汎用性がなかったのである。

ゼンマイは強く巻くと切れてしまう。
切れるのを恐れて緩く巻くとSPレコード演奏中回転スピードが遅くなってしまう。
切れないように巻く<ころあい>が難しい。犬や猫をなでるようにゆっくり、そっと巻いてやるのだ。
金沢蓄音器館でも「聴き比べ」の時間の前には、ゼンマイを手で巻いてみて、その具合をチェックしている。
これにはちょっとした経験がいる。
それでも演奏の途中でゆっくりとした回転になる時がある。あせらず、また巻いてやれば音は元の状態に戻る。
切れるよりずっといい。

年配の来館者の中には、子供のころ家に蓄音器があったが、絶対にさわるなときつく言われていたものだったと懐かしがられる方もいる。
また、あるご婦人は

「蓄音器の中には小さな人が一杯入っていて、あなたが触るとそのコビトさんが逃げていってしまうのよ。だから、蓄音器には触らないでね」

と言われていたと語った。

不慣れな子供が蓄音器にさわらないよう親がきつく言うより、なんと微笑ましい言い方ではないかと感心した。


切れたゼンマイ

ゼンマイの修理

蓄音器の聴き比べコーナー
その58「涙なしでは歌えなかった"湖畔の宿"」

長田暁二(おさだ・ぎょうじ)さん、1930年生まれ。

キングレコード、ポリドールレコード、徳間音工の制作部門で活躍し、退社後は民謡、童謡、歌謡曲、クラシックと幅広い研究をし、とくに日本の歌の歴史的研究では権威的な存在である。

何度か金沢蓄音器館でもその識見を披露してもらうイベントを開いた。その中での逸話である。

昭和15年6月に発売され、高峰三枝子が唄った「湖畔の宿」は彼女の最大のヒットとなった。
作曲は服部良一、作詞は佐藤惣之助である。
<ランプ、トランプ、クイーン>との英語の語句、戦時色のない、失恋の感傷的な歌詞は、時代の求める戦意高揚からかけ離れている。
軍当局は好ましくない曲と考えていた。

作詞家の佐藤は、女優でもある彼女の魅力を引き出すために、歌詞の2番と3番の間に長いセリフを付け加えていた。

彼女は慰問のために多くの戦地に赴いた。
兵隊たちは勇壮な軍歌のような曲を求めなかった。郷愁を誘うこの曲を必ずリクエストした。

「もう何千回歌ったかわかりませんが、明日をも知れぬ兵隊さんの心情を思うと、ジーンとなってセリフの部分はいつも涙が溢れるのです」
と述懐していたと語った。
そのセリフは人々の心をとらえて離さぬ名文句、名調子だった。

軍歌よりも「湖畔の宿」に心をよせた兵隊たちの気持ちを想うと、心に迫るものを感じる。


「湖畔の宿」高峰三枝子
昭和15年6月発売
写真は戦後の盤


長田暁二(おさだぎょうじ)氏
その57「CDの音を、蓄音器の音に」

蓄音器は、レコードを回転させるため、演奏毎にゼンマイを巻かねばならない。また、針も減っていれば取り替える必要がある。音を出すためには、ちょっと面倒なのだ。

そこで、「楽」が出来ないものかと思ったのがきっかけだった。

針は、レコードに刻まれた溝にそって、左右に振動して音を出している。だったらレコードを回転させなくても針さえズーッと左右に振動させておけば、音は出続けるのではないかと考えた。

音源はテープ、ラジオ、CDなど音が出るものなら何でもいい。そこから出る音を左右の振動に変換して、針に伝えてやれば、音を流し続けることが出来るのでは?

そう考えて「CD変換器」なるものを考案したら特許をもらえた。

さらにこの変換器をSP、LP、EPがかかる3スピードレコードプレーヤー付きラジカセに搭載し、大きなラッパを取りつけて「CD蓄音器」として販売したところ完売した。

「金沢蓄音器館でしか聴けない蓄音器です」

と言って、1台しか残っていないその蓄音器の音を来館者にきいてもらうと、予約したいといわれる方も多い。

国内の電機メーカーに作ってもらえないものかと相談すると、海外生産になるので最低ロット3000台はほしいとのこと。国内の工場を海外に移転したためである。

とてもそんなに多くの数は無理である。どうしたものかと今もって思案中だ。


CD蓄音器

CD変換器
その56「天使の歌声、岩崎宏美」

デビューして30周年を迎えた岩崎宏美さんが、記念の新しいCDアルバムの発表イベントを金沢蓄音器館で開いた。平成16年11月20日のことだった。

この企画は、当館名誉館長でもある当時テイチクレコード社長の飯田久彦氏のお陰だった。
岩崎宏美さんは昭和50年にデビュー、「ロマンス」「聖母たちのララバイ」など多くのヒット曲を生んだ息の長い女性歌手の一人である。
7年ぶりのオリジナルアルバム「Happinese」には岡本真夜さんの「手紙」、韓国語で初めて歌った「忘れないで」のほか、大江千里さん、土屋昌巳さんなど多彩なアーティスト等が手掛けた12曲が収録されている。

登場した岩崎さんは会場に訪れたファンにこのアルバムを作った思いを語り、新曲を披露した。多くの人のエネルギーと愛情が詰まっているので、癒され、元気になってほしいと語った。
イベントも順調に進みファンとの交流の時間となった。
一人のファンは岩崎さんが初めて歌ったうたを教えてほしいと懇願した。思わぬ質問に岩崎さんは一瞬戸惑いを見せたが、思い出したように話し始めた。
「題名は覚えていないのですが」とことわって、「たしか合唱団に入った幼稚園のころに歌った<すみれ>の唄でした」と言った。
会場にいる人たちは「是非歌ってください」とリクエストした。
カラオケテープもないし、当然歌わないと思ったが、優しく「アカペラでもいいですか?」と言って歌いだした。
会場は割れんばかりの拍手の渦だった。

その歌声は、天使の歌声のように聞こえた。岩崎さんがファンを大切にし歌の心を大事にしていることも。


スペシャルイベント看板


30周年記念アルバム

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