金沢蓄音器館

館長ブログ ほっと物語

2011年10月

その84「最初の慶応義塾塾歌」

「見よ 風に鳴る わが旗を」で始まる現在の慶応義塾塾歌(校歌)以前に別の塾歌があったことをご存じだろうか。

旧塾歌は明治37年に創られ、現在の塾歌は昭和15年に制定されたものだ。昭和7年にコロムビアから発売された旧塾歌のレコードが金沢蓄音器館にある。
これは作詞・角田勤一郎、作曲・金須(きす)嘉之進(よしのしん)で、現在歌われている塾歌と随分趣きが違う曲である。
作詞家・角田は明治19年に入塾し中退しているが、文芸評論家として活躍。いくつか新聞記者を経て、東京日日新聞の学芸部長となった人物である。塾歌ばかりでなく、「カンテラ行進曲」なる曲も塾のために作詞している。作曲家・金須は、バイオリンと作曲で当時名を馳せており、塾の合唱団であるワグネルソサエティーの教師も勤めていた。

明治34年2月に福沢諭吉が亨年66歳で没した3年後に創られた。歌詞を読むと、創設者亡き後を担う塾員、塾生の熱き決意が見られる。

1、天にあふるる文明の  潮東瀛(とうえい)によする時 血雨腥(せいふう)雲くらく 国民の夢迷う世に 平和の光まばゆしと 呼ぶや真理の朝ぼらけ 新日本の建設に 人材植えし人や誰
2、使命ぞ重き育英の 勲業千古に末長く 山より高き徳風を  偉人の蹟(あと)に仰ぎ見る心の花もうるわしき 宇内(うだい)子弟の春一家 独立自尊の根を固く 進取確守の果(み)を結べ
3、修身処世の道しるき 慶応義塾の実学は
両大陸の文明を  渾一(ひとつ)に綜(す)べし名教ぞ 形勝天賦(てんぷ)の国にして 起てよ吾友栄誉(ほまれ)ある 独立自尊の旗風に  広く四海を靡(なび)かせん

難解な言葉が多用され、漢文古文の素養がないと意味がわかりにくい。しかしメロディーは鉄道唱歌の響きとも、勇壮で軍歌の曲調とも言える旋律で、日本に西洋音楽が導入された創世期の雰囲気が伝わってくる。

(YouTubeで「金沢蓄音器館 旧慶応義塾塾歌」としてその一部を聴ける)


昭和7年製造の旧慶應義塾塾歌





創立90周年記念盤
新しい塾歌
その83「針がもったいない」


金沢蓄音器館ではSPレコードをかけるのに、鋼鉄製の鉄針を使っている。針先の減り具合を見て、取り替えている。

来館者の方から「竹針を使わないのですか?」と尋ねられることがある。竹針は「竹針はさみ」で磨り減った先端をチョキンと切って使う。
レコード盤にとっては、優しくあたるので良いが、すぐに針は短くなってしまう。しかも鉄針と比べて、音量は小さく、音のメリハリは少なくなる。
これに対して鉄針は盤に対してはきつくあたるが、音量は大きく、メリハリが出る。鉄針は生産されているが竹針は既に作られておらず入手困難なこともその理由だ。

戦前、鉄は軍需物資であった。
昭和13年7月8日、蓄音器に使用禁止が決まった。店頭演奏では軍歌のみが許されるようになった。
蓄音器は戦線の兵隊を鼓舞する以外その価値を認められない時代に入ったとビクター50年誌に書かれている。

さらに同年8月15日非鉄金属使用禁止令が出され、銅、真鍮までも使うことが出来なくなった。
このためコロムビアでは昭和14年10月には従来品の98%をアルミ軽合金、木、竹、ベークライトの(ゼンマイだけは鉄を使用したが)代用材料を使ったポータブル蓄音器を発売した。

当館に「蓄針再生研磨盤」なるものがある。

「廃物の針も磨けば又いきる。熟練を要せず子供でも簡単に使える」

と記載されている。これはやすりをターンテーブルに乗せて、使用済の針を30度の角度で削るものだ。
針は小さいため「蓄針保持棒」なるものの先に取り付けて尖らせる。研磨時間は10秒から20秒。1本の針が「数十回」使用できるとのこと。

実際に使ってみた。確かに針先は尖り音われのない綺麗な音色を奏でた。
困難な時代に合わせて、物を大事にし、商売に結び付ける知恵に感心する。


鉄を使わない蓄音器(除ゼンマイ)

蓄針再生研磨盤

使用法を書いた裏面

説明部分を拡大
その82「不滅の歌」


平成23年10月1日、金沢蓄音器館で元ソニーミュージック洋楽部長、高橋裕二さんを迎え「私の音楽人生」として話を聞く会を開いた。
聞き手は仏映画、音楽評論家の永瀧達治さんである。

蓄音器館なのでまずはSPを聴かねばということで、トニー・ベネット1951年ヒットの「ビコーズ・オブ・ユー」をかけ、その後、今年10月に発売になったばかりのあのレディー・ガガとのデユット曲「気まぐれレディー」のCDをかけた。
このアルバムはビルボード・ヒット・チャート第1位に輝いたばかりである。

トニー85歳、レディー25歳、年の差60をものともしないのだ。

高橋氏いわく。
「この曲は1930年に作られた80年前の曲だ。作品が良いと今でも充分通用する。現在ヒットしている日本の曲は多分10年後に残っていないだろう。
欧米はプロの作詞家、作曲家がいるのに、日本では素人だらけ。個人的には、詞がいいと残っていける曲だと思っている。
日本では桑田佳祐、ミスチル、スピッツ、尾崎豊などがそうだ。
尾崎は詞が出来ないと曲は作らなかった。いい詞は未来の人たちも魅了する。今の日本の若手に一番欠けているところでは?」
という。

また「出来不出来は声の質が大切。いい声は人々を魅了させる。まずはそんな声に生んでくれた父母に感謝せねば。
小田和正はあの声でなかったら、きっと売れなかっただろう」ともいう。

長くレコード会社製作畑に籍を置き、ヒットメーカーと言われた人の話は軽快で説得力があった。
すっきり、はっきりの高橋節の続きを聞きたいと願ったのは、会場一杯に集まった方々だけではない。


高橋さん(右)と永瀧さん(左)

トニー・ベネット「ビコース・オブ・ユー」

レディー・ガガをかけたCD蓄音器

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