金沢蓄音器館

館長ブログ ほっと物語

2011年11月

その87「ラッパ管のない蓄音器―ルミエール460型―」



普通、初期の蓄音器はSP盤にきざまれている音を針で拾い、「サウンドボックス」と呼ばれる雲母板を振動させる。
振動させられた音は「トーンアーム」と呼ぶラッパ管を通る。その管の中で徐々に大きくなる。
管が長ければ音はさらに大きくなる。

その出口であるラッパ(英語ではホーン、あるいはスピーカー)を通って、空気の振動として我々の耳に伝わるわけだ。

レコード盤にきざまれた小さな横の振動をラッパ管に通すことで、音を増幅させ、より大きな音に再生させるのだ。

しかし、英国グラモフォン社の「ルミエール」という蓄音器は、このサウンドボックス、ラッパ管、ラッパがない。
雲母板を紙に変えて振動盤そのものを大きくし、直接空気の振動を起こして音を出す独創的な蓄音器である。

その振動盤は金色に塗装され、見た目にも美しいので、収集家の間では垂涎の的である。
発売から1年ほどでカタログから消え、1927年(昭和2年)初頭には正式に製造中止されたという。
既に電気吹き込みの時代に入っており、より大きな音が求められるようになったためではないだろうか。

金沢蓄音器館では、音を出す仕組みをわかってもらうのに、カレンダー用紙を折り曲げてルミエールをまねて作り、聞き比べの時間に使っている。

単にチラシの紙の端に針をセロテープで貼ったもの、ルミエールに似せて作ったもの、紙コップの底に針をつけたもの、さらにその紙コップの音を大きくするため発砲スチロール製のラーメン鉢をつけたものなどもあって、さながら理科の時間。

その音色の違い、音の大小の差に驚かれる来館者の顔を見るのも私の楽しみのひとつだ。


英国グラモフォン、ルミエール

ルミエールの広告

カレンダー用紙を折り曲げて音出し

ラーメン鉢で大きくなる音
その86「発禁レコード②ー忘れちゃいやヨー」


私が学生のころ流行ったフォークソングに「イムジン河」があった。
この曲は、朝鮮半島北緯38度線付近を流れる臨津江(りむじんがん)を歌ったもので、発売されるとすぐに発禁レコードに指定された。政治的に利用されるのを恐れたためという。

戦前、政治家が狙撃されたり心中事件が新聞をにぎわしたり世の中が騒然とし、その助長にレコードも一役かっているとして昭和9年8月に出版法改正が行われた。
いわゆる検閲強化である。
メーカーは同じSP2枚を内務省に届け出すことになった。
1日平均20枚提出され、月を追って増え11年3月には3万枚にも達したという。

検閲は厳しく、漫才まで対象となった。
「お客本位」というタイトルのレコードが発禁になったのは、内容がふざけすぎているというのが理由だったという。

同年6月には、渡辺はま子が唄った「忘れちゃいやヨ」も治安警察法が適用され、原盤の破棄、流通在庫の回収を求められた。

「街で曲を聞くと家へ帰りたくなる。女房を思い出すというのらしいので、家庭的エロとでも言うべきか?」

と当時の新聞は書いている。
「"いやヨ"がエロッぽい」というのだ。

他にも「南京豆売り」「のぞかれた花嫁」「可愛がられて」「恋をしたのよ」「ふんなのないわ」「あなたなしでは」「逢いに行く夜」などなど書ききれない。
12年6月には尾崎行雄の「立候補の御挨拶」のレコードまでが政府の解散云々を論じているというので発禁。
言論・思想弾圧が立法に携わった当人にも降りかかったという笑えぬ話である。


EP、再発された「リムジン江」

渡辺はま子「忘れちゃいやヨ」

「のぞかれた花嫁」
その85「発禁レコード第1号」

詩聖といわれた北原白秋が芝居のために書いた劇中歌が日本の発禁レコード第1号になったことは、あまり知られていない。

日本で最初に売れたレコードといえば、大正4年に発売になった松井須磨子の歌った作詞・相馬御風、作曲・中山晋平の「カチューシャの唄」だろう。大正3年、島村抱月が主宰していた芸術座の「復活」が帝劇で上演され、カチューシャに扮する松井須磨子が、幕切れに無伴奏で「カチューシャかわいや」と歌った。徳田秋声が<哀調をおびしみじみとした幕切れを見せていた>と読売新聞に感想を語ったという。

一方で「悪い女の"カチューシャの唄"などもっての外!」と歌唱禁止になっていたが、学生たちの人気は凄く、「歌を聞いたときは、心臓が止まるほど感動した」と中学生だった作詞家・藤浦洸は後に語っている。当時、須磨子は抱月と同棲しており、ひんしゅくを買っていたのだ。

その後「ゴンドラの唄」でも当てた芸術座は、大正7年トルストイ原作「生ける屍」の上演に、劇中歌を北原白秋に依頼した。

そこで白秋は

"今度生まれたら 金箱もっておいで
金はよいもの、 呉服屋呼んで
そこで緋繻子(ひじゅす)を どっさり買って
かわいい女子(おなご)と 寝て暮らそ"

と書いた。ところが、この「かわいい女子と寝て暮らそ」が問題になったという。

抱月、須磨子とも長野県出身だったが、その長野で「生ける屍」のレコードに発売禁止の通達が出たのである。続いて山梨、静岡、神奈川、群馬県もならった。

いま聞くとどうという歌詞とも思われないが、詩聖といわれた白秋の、しかも最初に書いた作品が発禁レコード第1号になったのだ。

現在では、日本レコード協会で発売予定レコードを歌詞の面から事前チェックをしており「徒(いたずら)にみだらな性的観念を刺激する」歌は発売を自粛することになっている。
(つづく)


芸術座劇(生ける屍)さすらいの唄
唄、松井須磨子
ニッポノフォンレコード番号 2529




芸術座劇(生ける屍)
今度生まれたら、わしが好きなは
唄、松井須磨子
ニッポノフォンレコード番号 2530

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