金沢蓄音器館

館長ブログ ほっと物語

2012年2月

その96「失敗の蓄音器税」



第一次世界大戦後の日本は、インフレ政策と関東大震災復興の需要によって財政は膨張の一途をたどり、国際収支の悪化、税収の減少が顕著になり始めた。
そうした矢先、昭和2年大規模な金融恐慌が起こった。それを乗り切るため岡山県では日本初の蓄音器所有者に税金をかけたという。

岡山県知事は昭和3年、農耕のための牛馬税、劇場映画を見る際の観覧税、所有者にかける蓄音器税を検討した。
県全体の税収に比べればそれぞれわずかな金額であったが、地方自治体にとってはそれほど収入に窮していたのだろう。

牛馬税は農家、観覧税は劇場、映画館の反対が多く取りやめになったが、蓄音器店は何の反応も見せず蓄音器税は成立してしまった。

こうして岡山市民の平均賃金が月40円前後の時代に、蓄音器は県税2円+市税付加税2円+都市計画税80銭で計4円80銭となり蓄音器所有者は月収の10%以上を払うはめになった。

その後10年間、レコードの黄金時代に入り全国の蓄音器生産台数は2倍以上に伸びた。
しかし岡山県では昭和3年県内に3000台あった蓄音器が、昭和10年には800台を切り4分の1まで落ち込んだという。
岡山県民は音楽文化を享受できなかったばかりか、県の税収も目論見から大きく外れてしまった。

50~60円の蓄音器がぜいたく品といわれて課税され、百円以上するラジオが非課税だったのはなぜか。蓄音器税が国民の家庭娯楽を奪い成人教育の向上を妨げる悪税だと論調した新聞もあったという。
足りなければ新税を、という考えは間違っていたのだ。

なにやら昨今の消費税増税論議とダブってみえるような・・・。


昭和2年普及型のイーグル6号、35円

昭和3年あたりから部品の輸入を国産化

蓄音器内部
低価格の普及品のためラッパは短い
その95「イブニングドレスは裸?」


プッチーニ作の歌劇「マダム・バタフライ」の主人公、蝶々さん役として一世を風靡した三浦環(たまき)のSPレコードが何枚か金沢蓄音器館には収蔵されている。

環女史は、虎ノ門女学校、上野音楽学校(今の東京芸大)へと進んだ。住んでいた芝の明舟町から珍しかった自転車で通い、「自転車に乗れる麗人」とその美貌を謳われたという。

明治38年音楽学校を卒業するとすぐに母校で教べんを執った。このとき伊のテナー、サルコリ氏は彼女を「偉大なる天才歌手」と折り紙をつけた。

のち大正3年に独、英に渡り、ロンドンのアルバートホールに出演。アンコールが7回に及んだという。
一躍、名声は世界に喧伝され、米ボストンのナショナルオペラ団から1年の契約申し込みがあり、伊の作曲家プッチーニは、環のための「マダム・バタフライ」は自分の理想以上だと絶賛した。
こうして驚くほどの急テンポで、人気は広がり沸き立った。

大正11年4月、懐かしい故国に錦を飾って帰朝した。6ケ月の里帰り中、全国を公演して回った。北海道へ行く途中仙台で皇太子(昭和天皇)一行と出会い、仙台女学校で御前演奏をするという話になった。
しかし戸田侍従の反対で中止になったという。肩を出したイブニングドレスは裸同然で怪しからんという理由だったとコロムビア50年誌の中の思い出話に綴られている。

ニッポノフォン(日本蓄音器商会、コロムビアの前身)は、環女史が連れてきたピアニストのフランケッテイの伴奏でレコード録音の権利金として7万2000円を支払ったという。
蓄音器1台5~60円、レコード1枚1円2~30銭位の時代にだ。

10月には日本を離れたが、その際天洋丸に積み込まれた衣装など金額にして5万円にもなり、調達した三越は腕によりをかけて製作した。

物議を醸すこともあったが、「美しい声と秀でた芸術、何人もひとたび親しむと愛慕せざるを得ないパーソナリティーによって、日本の良き印象を植え付け、祖国の光を大いに発揚した」と惜しみない賛辞を贈られた環だった。


1915年ロンドンオペラハウスのパンフレット

伊、ミラノのパンフレット写真

ビクター、4149、「蝶々夫人」
その94「芸術品のチニー蓄音器」


「チニー」と呼ばれる蓄音器がある。
この蓄音器は針が縦に振動して音を出すレコード、また針を横に振動させて音を出すレコードのどちらもかけることが出来るものだ。縦振動はエジソン社(米)、パテ社(仏)、横振動はビクター社などが出していた。
ビデオでいえばβマックス、VHS両方式が1台で見られるビデオデッキといったところ。

この便利な蓄音器は、アメリカのバイオリニスト、フォレスト・チニー教授が作ったものである。会社は1914年(大正3年)ミシガン州グランドラビッズで設立された。

音を針先からラッパへ伝えるトーンアームは八角形、ラッパはバイオリンの胴体断面のような四角の木製。しかもその各々が滑らかに広がっているのではなく、角ばっているため断面も階段状になっているユニークな設計である。
バイオリニストであったためかメープル(楓)、スプルス材(アメリカ檜)でラッパは作られている。
音色は針(スクラッチ)ノイズが少なく、すこぶるいい。シカゴ、ソプラノオペラ大家のローザ・ライザは「チニーの前に蓄音器なし」と絶賛していたという。

縦振動の針はサファイアの宝石針、横振動は鋼鉄製の針を用いる。それぞれのサウンドボックスを、聞くレコード盤によって取り替えるようになっている。
鋼鉄の針は高音、中音、理想音、低音の4種類あり、さらに「鋼針調整器」なるもので高音、中音、低音の3様に分けることが出来る。つまり全部で12とおりの音色を聞くことが出来る訳だ。

キャビネットのデザインにもこだわっている。バーキー&ゲイ装飾家具会社の専門の技師に作らせ1台ごとに保証させている。1個の芸術品扱いだ。
大正9年、日本向けには座敷用として卓上型でマホガニー仕上げにし、部品は大型のものと同一のものを使っている。10号オーケイ型と呼ばれる。
日本に需要があった証拠だろう。


ラッパは四角形で段々になっている
(ラッパ内部を写した写真)

トーンアームは8角形

チニー10号蓄音器

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