金沢蓄音器館

館長ブログ ほっと物語

2013年1月

その126「SPレコードの若返り」



金沢蓄音器館には古いSPレコードを蘇らせる独自のノウハウがある。

当館には国内外の多くの方々からSPレコードを頂く。開館時から1万枚以上を超し、今では3万枚を超す所蔵枚数になっている。
親の遺品を整理したい、多くの方々に再利用してほしい、など理由はいろいろ、レコードのジャンルも様々だ。
聴いていた方が、どんな音楽を楽しんでいたのか想像を掻き立てさせられる。

送られてきたSPは、埃にまみれエンベロープ(レコード袋)も破れたり、なかったりで、カビが点々と白くこびりついているものがほとんどだ。
大きな埃は掃除機でおおまかに取り、市販のカビキラーで両面をふく。
5分程度置いてぬるま湯で流す。しばらく盤を立てて水を切る。まだ濡れているうちに乾いたタオルで盤の目に沿って拭く。

カビを落とすためには、この方法が一番いい。
レーベルが剥がれるのでは?と、思われるかもしれない。だから盤が乾く前にタオルで拭くのだ。レーベルは優しくだ。このころあいがちょっと難しい。

それからは、しばらく乾燥させ、すべり剤としてシリコンスプレーをほんの少し吹きかけ、目のついだ化学タオルでレコードの溝に沿って再度よく拭く。
細い綿の繊維を残さないためだ。これでピカピカになる。

レコードメーカーのアーカイブ録音担当者は、この方法に最初目を丸くしたが、「ガッテン!」とお墨付きをくれた。
ガラスクリーナーで拭くと、含まれている界面活性剤のせいで盤は光るが、レコードの溝に入り込んだカビはおいそれとはとれない。
手も荒れ、塩素系の匂いも付くが、光り輝く盤を見る喜びの方が勝る。

こうして生き返った盤に針を落とす。
昔、このレコードを楽しんだ方の想いに一歩近づくのだ。


送られてきたSPレコード

カビだらけのレコード

若返ったレコード
その125「音の匠特別功労賞」



12月6日はエジソンが1877年(明治10年)初めて錫箔式蓄音器「フォノグラフ」を発明した日と言われている。
音の記録と再生の文化を生んだオーディオの誕生日ということになる。
1994年、社団法人日本オーディオ協会は日本レコード協会、日本音楽スタジオ協会などと協調して、この日を「音の日」として定めた。
さらに1996年からは音を通じて文化や生活に貢献した人たちを「音の匠(たくみ)」として顕彰し、オーディオ、音楽、放送業界のみならず、広く一般に音の世界の深さを広めていこうというものだ。

第17回目にあたる本年(平成24年度)は、テレビ、ラジオで流れる「緊急地震速報」、あの最初に流れる警報音を開発した東京大学研究員の伊福部達(いふくべ・とおる)氏が「匠」に選ばれた。
音のスペシャリストとして福祉工学を活用し健常者だけでなく聴覚障害のある人々にも的確な警報音を伝え、避難行動につなげられることがその理由だ。

恐怖感あふれる「ゴジラ」の鳴き声は、伊福部さんの父上で音楽家の昭氏が作ったものだ。
伊福部さんは、研究していたアイヌの音楽から警報音開発のヒントをもらったと受賞後の講演で語っている。
親子二代にわたっての音に対する思い入れが伝わってくる。

そして「音の匠特別功労賞」をはからずも小生がいただけることになった。
当時のろう管、SPレコードを、蓄音器を使って当時のまま再生することで音楽、オーディオの奥深さを伝える活動が、音楽文化に貢献しているとのことだった。
気恥ずかしくも、ありがたい思いだ。
関わりをいただいた様々な方の想い、力添え、多くの来館された音楽好きの方があったからこそだと思う。
こちらが力をいただいているのだ。

蓄音器の音色は、かつてそれを聴いた若かりし頃にタイムスリップ出来る「タイムマシン」であり、初めてその音を聴く人にとっては、そのリアル感に驚く「未知との遭遇」なのだ。

そのお手伝いに、さらなる精進を重ねねばならないと肝に銘じている。


出井伸之・元ソニー社長の挨拶

CD開発者・中島平太郎氏と
校條(めんじょう)亮治日本オ-ディオ協会長

伊福部達氏と
後列は平山哲生電波新聞社長、校條会長

記念公演の模様

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