金沢蓄音器館

館長ブログ ほっと物語

2013年6月

その137「小林亜星氏語る、音楽は「時代」だ」


「三田評論」平成25年6月号で「SP盤(レコード)の音と輝き」というタイトルで作曲家:小林亜星さんと対談した。
生きた音楽史に興味は尽きなかった。

5歳くらいの時、親父の弟がそこの娘を嫁にもらったものだから新宿のカフェへよく連れてってくれました。
そのカフェで日本ジャズ界の草分けである二村定一が歌った"沙漠に陽が落ちて~"で始まる「アラビアの唄」のSP盤が、大きな蓄音器でいつもかかっていたんです。
"赤い灯、青い灯"に浸り、女中さんたちがいい香りなんです。子供のくせに、"大きくなったらこういう世界で生きていきたい"と思いましたね。
この歌詞の中の"恋人よ、アラビアの唄を歌おうよ"の「恋人」を「小人(こびと)」と歌っている風景を想像していました。
これがSPを聞いた最初の思い出かな。
素晴らしい空間でしたね。

戦争が始まる少し前、ものすごく流行ったのが「愛国行進曲」。
右翼がオート三輪で怒鳴ってましたね。今とかわりませんね。

「小さな喫茶店」の歌詞には"二人は、お茶とお菓子を前にして、一言もしゃべらずに~"とあるんですが、昔の男女は純情だったですね。
隔世の感があります。

戦後になると、音がとてもよくなりました。
レス・ブラウン楽団でドリス・ディの「センチメンタル・ジャーニー」なんてのは、すごい音で

"こりゃだめだ。日本が戦争に負けるはずだ"。

それで僕はそっちのほうに狂ちゃって。
これが進駐軍だ!という音でしたね。
中1のときに終戦。
兄の楽器を借りて原田って男がバンドをやっており、彼はのちに小坂一也とワゴンスターズのバンマスになりました。
そんな訳で、僕はジャズにかぶれちゃったんです。

平野愛子の「港が見える丘」を聞くと、とんでもなく頽廃的で、戦後のやけっぱちな感じが本当によく出てるんです。
これを聞くと戦後の焼け跡を思い出します。人の声や歌い方はやっぱり時代を表わしているんじゃないでしょうか。(続く)


小林亜星氏

「アラビアの唄」唄:二村定一

「愛国行進曲」唄:コロムビア専属歌手

「センチメンタル・ジャーニー」唄:ドリス・ディ

* いずれも当館所蔵
その136「イーグル蓄音器が来た」



「イーグルNO.30」と蓋の裏側にかかれた蓄音器が県外にお住まいの有志の方から寄贈されてきた。
イーグルとは、コロムビアが昭和2年と3年に使用したブランド名である。

昭和2年(1927)製作されたもので価格は50円。
ラッパはしっかりと溶接された金属製である。
だが、内側は錆びがあり、これを落としてラッカー塗装を施した。

サウンドボックスは"イーグルNO.4、モデルNO.114422"と刻印され、ジュラルミンで出来ていた。
既に電気吹き込みのSPレコードに合うよう取り付けられている。
ただ、ダイヤフラム(振動板)に小さな穴があり、音がビビる原因なので取り替えた。
ゼンマイは2重だが、1つは切れていた。
残りの1つで25センチ盤片面がかけられるので、まぁ良しとした。
オイルとグリースを新しく補充した。

本体は赤色マホガニー、前面にネットが貼られているが、カタログでは木製の扉が付いていることになっている。
実際、東京代々木上原にある古賀政男博物館の「イーグル30号」には木製扉がついている。

蓄音器内部には、小さな保証書らしき紙が貼られている。
「この蓄音器に対する通信、不満はNO.CO676を記入して連絡されたし」
と日英文併記で書かれている。メーカーの良心だろうか。
本体表面はワックスを掛けて、艶が出た。
修理完了だ。

蓄音器は、ちょっと硬めな綺麗な音色を再現した。

その翌日、今度は「イーグル1号」が新しく金沢市内の方から寄贈された。
同じ昭和2年に製造され、大きな違いは木製ラッパとサウンドボックスが異なることだ。価格は60円した。
「山田屋蓄音器専門店」で購入したものだという。私の祖父が開いた店だ。90年近くたって、その孫に会いに帰ってきたわけだ。
まだ修理・メンテナンスが完成していないが、今度はどんな音色を奏でるかわくわくしている。


イーグル30号:フロントがネット張り
ふたの裏に「イーグルNO.30」と記載

イーグル30号: 中のラッパ部は鉄、鋳物製
アームの根元は右側に寄っており、
トラッキングエラーを減少させている

イーグル1号:ラッパは木製で、
木管楽器のレコードに向いた音色?
アームの根元が中央にあるため、
針が中央部に行き、音量が上がると
トラッキングエラーで、歪みやすくなる

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