金沢蓄音器館

館長ブログ ほっと物語

2013年8月

その142「お宝のサンプル盤(美空ひばり編)」

コロムビアの歌謡曲もののサンプル盤は金沢蓄音器館に、100曲ほどある。
そのなかには会社の宣伝部員が解説を入れたものも多い。
藤山一郎、近江俊郎、奈良光枝、笠置シズ子などの大物ばかりの歌でなく鶴田六郎、山根寿子などの新人を会社としてプッシュしたものもある。
そんな中で、美空ひばりの「悲しき口笛」に本人自らが紹介、挨拶を入れた貴重盤が見つかった。
レコード発売前の昭和24年9月以前のものだ。盤を見つけたところコロムビアも驚き、急いでその音を聴きに来た。

「こんにちは、皆さん。ごきげんよろしく、美空ひばりでございます。どうぞよろしく、ヘイ」
と、歌で紹介している。
そしてその後に宣伝部員が

「皆さま、このメロディはこの度コロムビア専属第1回吹込みとして、天才少女美空ひばりが唄う松竹映画、秋の豪華大作"悲しき口笛"の主題歌"悲しき口笛"でございます」
と、解説している。
12歳でデビュー、「河童ブギウギ」に続いて発売し、ひばりが一躍スターダムにのし上がった曲だ。

他にも「波止場小僧」(昭和32年6月発売)にも
「ファンの皆様、お元気ですか、私、美空ひばりです。
またまた、私の大好きな歌が出来ました。
それは只今からお送りする"波止場小僧"です。
どうぞ、よろしく」

曲の中ほどには、同様に宣伝部員が
「先に発売され、好評を博した"波止場だよ、おとっつぁん""港町13番地"に続く美空ひばりの波止場シリーズ、自信を持ってお勧めします」
と入れている。
さらに裏面の「夕やけ峠」には

「美しい野山を背景に美空ひばりがしみじみと唄う"夕やけ峠"。
(中ほど)只今おかけしております"夕やけ峠"には、素晴らしい踊りの振り付けが付いておりますので、充分にお楽しみになれます」

と、踊りのオマケまでつけている。会社の力の入れようがわかるというものだ。
館では、貴重なこれらの盤を聞いていただく機会を作ろうと思っている。

(平成25年11月23日当館にて、コロムビアの衛藤ディレクターと制作裏話とSPの音を聴くイベントを開催)


美空ひばり「悲しき口笛」のサンプル盤 レコード番号:SR14B

藤山一郎「あわきあこがれ」
美空ひばり「白百合の歌」
笠置シズ子「買い物ブギー」
片面3曲入りの珍しいサンプル盤

美空ひばり「波止場小僧」

「波止場小僧」「夕やけ峠」の歌詞カード
その141「高嶺の花の蓄音器」



1927(昭和2)年9月13日、日本の商法に従って全額米国ビクター出資で資本金200万円の日本ビクター蓄音器会社が設立された。
初代社長はガードナーで、横浜市中区中村町の旧フォードの組み立て工場が最初の工場であった。

関東大震災で被害を受けた国内産業の育成のため、輸入品には100%の関税がかけられたためだ。
国内生産に切り替えれば価格を安くでき、レコード、蓄音器普及促進になるからだ。
ビクターに限らずポリドール、コロムビアも国内生産になった。

これによって、ビクターの卓上型蓄音器の最高峰である1-90型が290円から150円になった。(昭和4年、ビクター50年誌)
女子工員の日給は50~70銭の時代だ。
一段階低価格の1-80型は85円した。

この両器の違いは、ラッパにあった。
1-90型は音を大きくするため内蔵されているラッパを曲げ、長くした。
1-80型は曲げがなく、ストレートな木製である。

この1-90型は卓上型とはいえ素晴らしい音色を奏で、蓄音器の王様と呼ばれる「ビクトローラ クレゼンザ」と同様「音のビクター」の名前を不動のものにした名器である。

世界中のメーカーが手本にし、日本でも「ゼニス」「ポリドール」「ミカサ」「ダイヤ(ダイアナ)」などが大いに参考にした器械である。

マイクロフォンを使用した電気吹き込みが一般的になり、レコードの回転数が1分間に78回転と統一されるのに昭和10年ごろまでかかったと言われる。
さらなる良質の音が生まれ、蓄音器もより安価になった。
1-90型同様、ラッパを曲げた1-81型が生まれ価格を据え置いた。

それでも帝大卒の初任給3ケ月分近くの価格だった。
高嶺の花に違いない。


1-80のラッパ部。前面のネットを外した写真ラッパは、ストレートに取り付けられている

1-81のラッパ部。真ん中あたりが突き出ているのが見える。ラッパが曲げられているため。

1-81のカタログ
その140「乃木将軍の肉声録音」

乃木将軍の肉声が現存していることは館長ブログ64に書いた。
このレコードは、ビクターから1931(昭和6)年に発売された。
その経緯が小笠原長生海軍中将子爵の思い出話として盤の最初に録音されている。小生がレコードから書き起こしたもので聞きづらく、間違いがあればご容赦いただきたい。

『乃木将軍の肉声が、偶然のことから世に残っておるというのは、我々にとってこの上もない喜びであります。
そうしてその吹込みの際、幸いに私が席に連なっておりましたからまず、その経緯(いきさつ)よりお話いたしましょう。

乃木将軍は平素から深く加藤清正翁を尊慕しておられ、明治43年は清正公の没後300年に相当するので、その祭典を挙行したいと42年10月15日、同志を偕行社に集めて第一回の協議会を開かれました。
するとちょうどそこへ熊本の有志家、湯地氏と令息敬吾氏とが見えて、敬吾氏が蓄音器の吹込みを発明した。
ついては一言で良いから乃木将軍に吹込みをしていただきたいと望まれた。
「いや、これはきっと断られるであろう」と思って見ておりますと、どうした拍子でありましょうか、
「それはおもしろい。皆さんと一緒に吹き込もうではないか」
と快く承諾され、三上博士の紹介についで
「わたしは乃木希典であります」
と吹き込まれ、続いて我々も名乗りを上げたのであります。
もっとも将軍も初めてのことではあるし場所もただの部屋であるので綺麗にというわけにはいかなかったが、ともかくも、この偉人の肉声が残されたのは不思議な因縁と申さねばなりません。

ところで今般、日本ビクター会社が敬吾氏の承諾を得て、いろいろ審議の結果、この将軍の肉声を蘇らせたのであります。
しかし何分にも
「わたしは乃木希典であります」
という簡単な文でありますから2回繰り返しはいたしますが、どうぞお聴きもらしのないようご注意を願います。
では、これより将軍の肉声が出ます』

なお、上記の湯地敬吾氏の子息富雄氏は昭和11年のベルリンオリンピックの女子200米平泳ぎで優勝した前畑譲の録音をされた。
親子二代にわたって歴史にかかわったことになる。


レーベル表:レコード番号51571A
(原盤番号2206)
乃木将軍の肉声と其憶出(憶出話)
海軍中将子爵:小笠原長生
1931年(昭和6年)発売





レーベル裏:レコード番号51571B
(原盤番号2202)
独唱:乃木将軍の歌
歌:徳山璉(たまき)

乃木将軍辞世、東郷元帥作詞
小笠原長生作歌、橋本国彦作曲

ページの上へ