金沢蓄音器館

館長ブログ ほっと物語

2013年10月

その146「81年前のオリンピック応援歌

 


2020年のオリンピックが東京に決まった。

 

オリンピックの歌と言えば、1964年(昭和39)の東京大会で歌われた三波春夫の「東京五輪音頭」が中高年の人たちにとって一番知られている曲だろう。
既にSP レコードではなくEP盤(17cm45回転/分)の時代だ。「あの日ローマでながめた月が 今日は都の空照らす」の歌詞は、4年ぶりの開催を素直に喜んでいる歌詞だ。

 

当館にあるオリンピックのSPレコードで最古のものは、1932年(昭和7年)ロサンゼルス大会の2枚だ。81年前のSPだ。

1枚はコロムビアが、唄・中野忠晴の「国際オリムピック派遣選手応援歌」を5月に発売した。朝日新聞社がわざわざ懸賞募集し、その1等当選歌を文部省が検定している。歌詞は「君らの力は、我らが輝く日本の力だ、意気だ!」とまことに勇ましい。当代随一と言われた山田耕作が作曲している

もう1枚はビクターが同年4月に発売した「応援歌 オリンピック」。大日本体育協会・オリンピック後援会認定として、当時若手作曲家とすでに知られていた堀内敬三を作詞、作曲に起用している。堀内は慶応義塾の応援歌「若き血」の制作者でもある。

歌詞には「日章旗のもとに、、、列島の神は誇る武士の魂、、、堂々と行く者の前に敵はなし、、、」など随分と力が入っている。

 

次の1936年のベルリン大会では初めてラジオで実況放送がなされ、国民は日本人の活躍に歓喜した。実況盤だけでなく、後日スタジオで作られた“そっくり盤“があるのを見るとその喜び様がわかる。(ブログ7374に詳しい)

 

その後のオリンピックでは応援歌だけでなく、運動会など学童用行進曲や踊りのSPもあり国民意識の高揚につながった。

さて、2020年の東京大会はどんな曲が生まれてくるのだろうか。


 




1964年(昭和39):東京オリンピック

1932年(昭和7):ロサンゼルス大会

1956年(昭和31):メルボルン大会

1960年(昭和35):ローマ大会
その145「蓄音器館、いよいよ東京へ出前!



当館の飯田久彦名誉館長(元テイチク社長、現エイベックス・エンタテインメント顧問)から「東京代々木上原にある古賀政男音楽博物館けやきホールでSPコンサートをご一緒しませんか。あの優しい音色を是非、東京の音楽愛好家の皆さんにお聞かせしましょう!館のPRにもなります」と依頼を受けた。

気おくれもしたが、古賀政男音楽博物館、宮本紘視学芸員の強い要望もあって、平成25921日お受けすることになった。 

使用する蓄音器の心配もしたが、同館が所有するラッパのついた「米国コロムビア社AH型蓄音器」の利用、“蓄音器の王様“と言われた「クレデンザ」はビクター社長室から借りられることになった。

しばらく使用していないということで、両器ともゼンマイ、回転部分などねんごろに油を差し、小一時間ほどなじむようにしばらく動かした。
1903年(明治36年)製のAH型も、その本体に比べて大きめのラッパは、名テノール歌手カルーソの「オーソレミオ」を綺麗に奏でた。

藤山一郎「影を慕いて」の古賀メロディをはじめ、二村定一「君恋し」、ビング・クロスビー「ホワイト・クリスマス」、エルビス・プレスリー「ハウンド・ドック」など時代を彩った15曲余りの名曲を「クレデンザ」で堪能した。

フランク永井の「有楽町で逢いましょう」のSP盤の奏でる音色はまるで眼の前で唄っているかのよう。電気を使わなくともこんな音が出るのだ。
“平成の音”と比較してみようと言うことで最新のデジタル音源との音比べもしたが、来場者はどのような感想を持っただろうか。
 

圧巻は、昭和32年ポール・アンカの「ダイアナ」。
レコード演奏が終わると、最初は固辞されたのだが、なんと、飯田さんも歌ったのだ。
とても70歳代とは思えない軽快なテンポでの踊りと歌声!

会場に集まった観客は、エネルギーをもらったことに違いない。

 




スライドで金沢蓄音器館の紹介

クレデンザとコロムビアAH型蓄音器(右)

最新デジタル録音について説明をする
ビクターの鈴木順三スタジオマネージャー

飯田久彦さんの”ダイアナ”の熱唱!

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