金沢蓄音器館

館長ブログ ほっと物語

2013年11月

その148家族愛と蓄音器

 

 

平成2510月のある日、富山県魚津市の450代と思われるご夫妻が来館された。薄汚れたクリスマスソングの童謡SP盤と蓄音器1台を大事に抱えている。
なんとか修理出来ないものかという相談だった。

 

それはビクターのJ1-91型。
持っていたのは祖父だという。卓上型の高級器で120円したものだった。ハガキ115厘、タバコ(ゴールデンバット)1箱7銭の時代だ。
1927年(昭和21-90型として発売された蓄音器の改良型である。ラッパを折り曲げて(リエントラント型)長くしたのが特徴で、音量が大きく良質の音を奏でる。

 

埃にまみれ、湿気の多いところで保管していたのか、蓋、横の部分の表面の木製の薄板が剥がれ、前面のクロスもぼろぼろだった。サウンドボックスには針止めするネジもない。これは重症だ。
しかしゼンマイは切れておらず、ゆっくりではあるが動く。内部の溜まったゴミを取って、ミシン油を金属の回転部分にさしゼンマイを廻してなじませると充分レコード演奏に耐えうるようになった。

完全に修理は出来なかったが、SP盤の音を出せるようになった。ご夫妻は大事そうに持ち帰った。

 

後日、そのご夫妻からの手紙が館に届いた。

5年前に大きな手術をして以来、父は畑作業も出来ず何事も喪失体験ばかりで元気が無くなっていった。その姿を見るのは本当に辛かったが、運転免許証返上と同時期に父の手元に戻った蓄音器の音色は、懐かしさのあまり父の頬を濡らしたと書かれていた。

かつて祖父の横でゼンマイを廻した父、クリスマスのレコードを聴いた孫。二人はあの時にタイムスリップしたのだ。「今度は、これでベートーベンの“田園”を聴いてみたい」と父は語ったという。

父だけでなく、その音色は、母の誕生日、孫の21年目の結婚記念日の最高のプレゼントになったと結ばれていた。

小生の方が力をいただいた手紙だった。

 



ビクター卓上型蓄音器J1-91型
(高さ365、幅500、奥行460mm)

レコードのスリープに印刷された価格120円

交響曲第6番「田園」ベートーベン作曲
ワルター指揮ウィーン交響楽団
その147「山中節が新作“無声映画”に

 

 

平成25926日、山中節の魅力を伝える無声映画、新作「加賀山中節物語」の完成記念式が山中温泉の山中座で開かれた。
弁士は女性の澤登翠(さわと・みどり)さん。2010年の第15回「音の匠」受賞者だ。その名調子に会場一杯の観客は拍手喝さいだった。

 

山中節は、1924年(大正13)に制作された松竹、無声映画「山中小唄」で紹介され、全国に広まったという。
当時の日本放送協会初代会長、岩原謙三氏も加賀市の出身でラジオを通じて普及に尽力した。草津節とともに温泉民謡(当時、民謡は俚謡と呼ばれた)の草分けといわれる。

 

「山中小唄」は山中温泉を舞台とする悲恋物語で、そのSPレコードが京都のオリエントレコードから3枚組で発売された。
私蔵しているSPは、残念ながらどの盤もひびや欠けた所があり、ラッパ吹込みのために音は小さくノイズも随分あるが、音ははっきりと聞くことが出来る。
ジャケットは色刷りで綺麗に装丁されており、解説書も付いている。その中の写真には当時のラッパ吹込みの模様が写っており貴重なものだ。

解説の京都歌舞伎座の弁士、東堂荷村は、その最初に

「何という哀調を帯びた唄のリズムであろう。また何と苦しい悶えの表現であろう。加賀山中温泉に唄い伝えらるる山中節の調べに相応しい恋のロマンス、葛藤を綴ったものであります」

と書いている。

 

無声映画は20分程度の上映時間。
3
人の中学生が夏休みに郷土文化を調べるよう学校から課題をもらい、山中節を取り上げることにした。
名曲となった経緯やエピソードを入れたDVDとして、地元のみならず首都圏にも配布し、ふるさと教育の教材、北陸新幹線を見据えての観光素材として行政が役立てる。
小生も加賀市の郷土資料館の副館長、黒川和也役として出演し、一役買っている。

 


写真:「加賀山中節物語」完成記念式典で披露された山中節。右は、加賀市産業功労者の”ぼたん”さん(松風千鶴子さん)、三味線は”正子”さん(重岡正子さん)無声映画に女流書道家として出演。


オリエントレコード「山中小唄」の表紙

解説書:ラッパの前で吹込した様子がわかる

山中小唄のレーベル

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