金沢蓄音器館

館長ブログ ほっと物語

2013年12月

その150作詞家ポリス

 

金沢蓄音器館に「石川県警察歌」のSPレコードがある。この盤はこの作詞者、梅木勝吉(うめき・かつよし)氏のご子息が当館に寄贈されたものである。

 

石川県警察本部は、昭和29年県警察の発足を記念して「警察歌」の制定を企画した。広く一般に歌詞を公募した。129件が寄せられたという。
審査の結果、鶴来警察署勤務の梅木勝吉巡査が選ばれた。その歌詞は明るく、正しく、強く県民の安全を願って職務に励む決意が現れている。


梅木さんは「歌づくりのお巡りさん」として知られた存在で、多くの作詞を手掛けている。
金沢弁の歌詞で今でも親しまれている飯田景応作曲の「加賀ばやし」「百万石ぶし」をはじめ、「珠洲市民の歌」「輪島音頭」「輪島小唄」「鶴来ばやし」「七尾音頭」「津幡音頭」「柳田音頭」など県内各地の市・村民歌を作っている。

歌謡曲では藤間大助の「ああ、前田利家公」、三島敏夫の「片山津ブルース」、デュークエイセスや小松みどりが歌った山代温泉の旅館のコマーシャル曲、ペギー葉山の「ありがとう年金さん」も手掛けている。
警察歌では、中部管区警察学校寮歌「暁つげる雲間より」も彼の作品だ。

 

作曲は、当時の泉丘高校安藤芳亮教諭。歌は、同校の安野喜隆、桜井わか子両生徒の独唱、裏面は合唱部が録音している。
伴奏は、金沢市立工業高校吹奏楽団。2校のコラボレーションだ。

 

平成2511月、当館にこの盤があることを知った安野喜隆さんが、奥様を伴って来館された。

昭和32年、高校2年のときにNHK金沢放送局のスタジオで作曲の安藤先生のピアノ伴奏で歌ったという。58年前のことだ。

出だしの「白山の嶺より来る 新しき光をあびて~」を聞いた瞬間、あの時の模様が目の前に現れたのか、涙ぐんでおられた。タイムマシーンに乗ったのだ。
安藤先生、桜井さんは亡くなられてしまったが、当時のメンバーともう一度歌ってみたいとその時話された。

 






A面は独唱。金沢泉丘高校、
安野喜龍、桜井わか子両生徒。
伴奏は、安藤芳亮教諭


B面は金沢泉丘高校合唱部。
伴奏は金沢市立工業高校吹奏楽団


昭和9年、北原白秋作詞、山田耕筰作曲
「大日本警察の歌」も作られた
その149五木寛之氏"蓄音器の時代"を語る

 平成251118日、「蓄音器の時代」と題して五木寛之さんの講演と、後半は蓄音器の音を聞きながら出版プロデューサーの冴木彩乃(さえき・あやの)さん、小生との鼎談が開かれた。

使用蓄音器は、エジソンの「アンベロール30」ろう管型蓄音器、国産初のラッパ型「ニッポノホン35号」、蓄音器の王様といわれた「クレデンザ」、国産最後の「コロムビアG-241ポータブル蓄音器」、特許を取得した“CDの音をラッパの音に変換させる”「CD蓄音器」の計5台で、時代を彩った曲を聞いた。

 

五木さんは、
「平安、鎌倉時代の人々を熱狂させたのが“今様“であり、その歌詞は”梁塵秘抄”という文字として現代に残っている。
しかし、その曲調、歌い方がどんなものであったのかはわからない。年表ではその時代の事象として後世に伝えることが出来るが、その時代に生きた人々のどんな唄だったのか音はわからないのだ。

私の親の時代になって、ようやくレコードを蓄音器できく、ラジオをきくことでわかるようになった。
金沢では“謡”が盛んだったが、“義太夫”や“浪曲”が時代の求めた音だった。私は、今でも親がきいていた壽々木米若(すずき・よねわか)、梅中軒鶯童(ばいちゅうけん・おうどう)などの浪花節を覚えており、うたえる。
唄は父の生活の支えであったのだろう。

しかし、それもいつしか“歌謡曲”に変わることになる。村田英雄、三波春夫も元は浪曲師だった。
“流行”とははかないものだ。“時代”には“時代の音”がある。

金沢の色、人、味、音、もてなしとは何か。
それは名所旧跡を残すだけではなく人々が“生きた姿”を残し、未来へこんな時代もあったと伝えることが大切なのではないだろうか。
“近過去”を(音楽文化の側から)“未来”への橋を架けることも金沢蓄音器館の大切さではないだろうか」
と、結んだ。

 

当館に求められる役割に心を新たにした講演だった。
(平成25年12月26日日テレ系、テレビ金沢にて放映される予定です)



国産初の蓄音器、ニッポノホン35号を解説
(金沢駅前:アートホールにおいて)






ビクター クレデンザ8-30型蓄音器の
音を聴く





五木寛之さん(右)と冴木彩乃さん

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