金沢蓄音器館

館長ブログ ほっと物語

2014年3月

その156映画のようなSPレコード"この世の花"

♪赤く咲く花  青い花  この世に咲く花  数々あれど  涙にぬれて  蕾のままに・・・♪

昭和29年第5回コロムビア全国歌謡コンクールで優勝した島倉千代子は、翌年、この「この世の花」でデビューした。
以後「りんどう峠」「東京だよおっ母さん」「からたち日記」「鳳仙花」「人生いろいろ」などヒットを出し、日本の歌謡界を代表する歌手の一人だったが、平成2511875歳で亡くなった。

 宣伝用に作られ、店頭販売されないこの曲のサンプル盤が、金沢蓄音器館に収蔵されている。
「この世の花」は、創刊間もない雑誌「明星」の連載小説のタイトルだ。この小説は評判になり、松竹が昭和30年映画化、その主題歌を島倉千代子が歌った。

当初コロムビア・ローズが吹込みの予定だったが、時の文芸部長・伊藤正憲が作曲家・万城目正を説き伏せて、島倉に歌わせた。これが当たり、鮮烈なデビューを飾った。
「歌手は実力だけでなくチャンスにぶつけることが大切だ」と伊藤はのちの回顧録で語っている。

この当館にあるサンプル盤は、泉詩郎という弁士が映画の内容を説明しながら曲も聞かせる「映画説明」という珍しいジャンルのSPだ。

出だしは、
「君知るや知らずや愛の花園に 訪ずる春も待たずして 哀れこの世の風に散る 悲しからずや 初恋の花」
と独特の口調で語って、1番の歌詞になる。
弁士の説明は、ストーリーの内容だけでなく、出演の男役、女役を一人でつとめながら進み、の曲につなげる。
レコードを聴いているだけなのに、活動写真を見ているかのような想像を掻き立てされる。

 この名調子を聴いてもらおうと、コロムビアから邦楽制作の衛藤邦夫プロデューサーをお呼びして「幻のサンプル盤を聴く」イベントを開いた
島倉千代子のほか美空ひばり、山口淑子、越路吹雪など、曲のみでなく歌手本人の挨拶、曲紹介などが入った珍しい盤の紹介で、満員の来館者は大喜びだった。おりしも朝日新聞の記者も参加しており、1210日の朝日新聞全国版に「心の溝に刻まれる歌声」と紹介された。

サンプル盤からも当時の社会模様が垣間見え、興味深い。



映画説明「この世の花」のサンプル盤
説明のため2番と3番の歌詞が
入れ替わって入る









平成25年12月10日朝日新聞全国版に
掲載された写真

その155「ビクター蓄音器の”価格破壊”」

 




昭和初年、世界恐慌、関東大震災で税収アップのために輸入関税が100%かかることになった。
そこで各社は外国からの輸入レコードや蓄音器は日本国内に拠点をおいて生産しようと、昭和25月にポリドール、7月にコロムビア、9月にビクターの順で会社をおこした。
社名に「日本」をつけて輸入品と同等な品質のレコード、蓄音器を製造するようになった。

さらに、それまでラッパを使って集音する録音方式「ラッパ吹込み」から、SP時代の最大の技術革新といっていいマイクロフォンを使う録音方式「電気吹き込み」が誕生した。
これによって大きな再生音量を生んだのである。

 

電気吹き込み時代にふさわしい"蓄音器の王様“と呼ばれる「クレデンザー」蓄音器と同時期に国内に入ってきたビクターの1-90という卓上型蓄音器は、ビール大瓶142銭の時代に295円したが、昭和410月、外側の木製部分を国産化することで150円になった。それでもとんでもなく高いしろものには違いない。

 

さらに、昭和512月に1-80型を85円、昭和71月に1-60型を65円で販売した。
増え続ける需要に答えるため昭和81月には1-50型を45円、昭和103月により廉価な蓄音器1-35型を35円で売りに出した。
日本の蓄音器の生産は、昭和820万、1026万、1227万台を超え戦前のピークを迎えるまでになっていた。

最初に高性能、高価格の製品を発売し企業イメージを確立して、その後に大衆向けを販売するマーケティング手法を取ったわけである。

 

ビクターの蓄音器の品番の前に「V V」(ブイ・ブイ)と記載されているのは「ビクター・ビクトローラ」の略である。「ビクトローラ」とは、ラッパが蓄音器の中に収納されているものをいう。

 




ビクター1-50、ラッパはストレートフォン

ビクター1-60、アームの取付位置が左

1-60のラッパは折り曲げてある

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