金沢蓄音器館

館長ブログ ほっと物語

2014年4月

その159伝説の名人の謡~お宝盤

SPレコードで聴く伝説の名人の謡」の出前講座を平成26216日、39日の2回にわけて、金沢能楽美術館で開いた。 

1回目は、宝生流シテ方の松本長(ながし)の「鶴亀」など4枚を紹介した。明治10年、宝生流元老・松本金太郎の次男として生まれ、16世宝生九郎(くろう)より薫陶を受けた。
品格のある芸風で野口政吉(のちの兼資―かねすけー)とともに宝生流の双璧と称される。泉鏡花の従弟でもあり、鏡花の作品の多くに長(ながし)のイメージが投影されているとされる。昭和10年に亡くなっている。

2回目は、宝生九郎と野口兼資の「三井寺(みいでら)」など4枚。
ともに宝生流のシテ方である。
宝生九郎は、1837年に生まれ、明治維新(1867年)に出会い、たいへんなクロウをしたが、明治9年岩倉具視邸での天覧能「熊坂」より、維新後極端に衰微していた能楽を復興へ導いた功績は大きいと言われている。
気品高い芸風、豊麗な謡と高く評価され「明治の3名人」と呼ばれている。

野口兼資は、前名は「政吉」で昭和6年に「兼資」と改名。当館にあるSP盤のレーベルには「政吉」と書かれている。
九郎の内弟子で、松本長と門弟中の双璧と称せられた。

 

鑑賞会では、吉野晴夫金沢能楽美術館長から曲目の紹介があり、小生からは持参したビクター1-90型蓄音器、針、盤の制作会社、吹込み方式などを解説した。
女性の方がやや多くみられた会場には、2030代と思われる若い方々も散見された。嬉しいことだ。謡本を自ら持参し謡っている方々も多い。
さすが金沢だ。大正期の録音盤が多く、ノイズもある。昭和期に入るとそれも小さくなり、まるで目の前で謡っているかのようだ。
 

人間国宝の指定・認定は昭和30年よりスタートしたが、上記鑑賞会で紹介したどの名人も、その時に存命ならば皆、当確に違いない。

能楽美術館で聴く名人の謡は、格別の趣があった。


紹介した「勧進帳」松本長(ながし)


吉野晴夫金沢能楽美術館長の解説
くいいるようにSP盤を見る来館者の面々



「松風」宝生九郎、野口兼資、石田清吉


その158台湾にもあった日本コロムビアレコード

平成26323日、大阪、吹田にある国立民族学博物館で「音盤を通してみる声の近代―台湾・上海・日本で発売されたレコードの比較研究」と題して、研究会が開催された。小生にも声がかかり、当館にある340枚ほどの中国、台湾、朝鮮のSP盤の紹介をした。

会の中で国立台湾大学の王櫻芬(Ying-Fen Wang)教授より、台湾での日本コロムビアのレコード盤について発表があった。

以下はその要旨。

1910(明治43)年、東京に日本初のレコード会社、日本蓄音器商会が(日蓄。レーベルはニッポノホン。後の日本コロムビア)設立され、早くも翌1911年に台湾出張所が作られている。国内だけでなく朝鮮の京城、中国の大連、台湾の台北にも作られ40箇所を数えた。レコードを入れるスリーブに地図を入れ、場所を紹介している。

台湾では、1926(大正3)年に初レコード録音をしている。以後、昭和14年までに録音は2,000面を数えたという。評判がよかったのか1933(昭和8)年には、資本金15万円で台湾コロムビア販売㈱まで作った。(コロムビア50年誌より)いずれにせよ「最早、最大、最久」な会社は、コロムビアだったわけである。(王氏の資料より)

録音は台北と東京で行った。コロムビア社内にある「録音表」でそれがわかる。台北では伝統曲を中心としていろんなジャンルの曲が多く、録音した人員も多い。東京では流行歌、子供の曲が多く、吹込みした人たちも限られている。音質もいい。
1936(昭和9)年93日から1116日まで上京し、東京録音室での写真では録音技師、作曲家のほか歌手6名、演奏者6名が写っている。

しかし録音した数量は多いが、発売した数量はそれより少ない。また録音順序は発売順序と一緒ではない。たくさん録音して、ボチボチ発売していったのだろう。
「コロムビア」レーベルは高く、「赤リーガル」レーベルは中くらい、「黒リーガル」は低価格というように価格もレーベルによって替えている。
おもしろいのは、同じ歌手を様々なジャンルで起用し、歌手名を替えているのだ。例えば、「劉清香」という歌手は、「清香」、「梅英」、「純純」、「愛卿」の芸名を使ったが同一人物だ。

録音に至る過程を知れば、どうしてそんな結果になったのか意味と目的が見えてくる。登場人物も蘇り、様々なことを想像できる。

王教授はそう話を結んだ。これからの調査・研究が大いに期待される。


奈良教育大教授・劉麟玉、台湾大教授・
王櫻芬、日本コロムビア部長・斉藤徹の各氏
(右から


レコード制作方針

1934,9,3~11,16に
日蓄東京録音室での記念写真

民謡・女の運命

その157"おもてなしの心"とは

それは蓄音器館での仕事を終り、徒歩で自宅へ戻る途中の出来事だった。
信号が青に変わり、横断歩道を渡って左へ曲がった折、向かい側からきた、年の頃450代の女性が急にかがんだ。
何事か?と驚いていると、道路に落ちているタバコの吸い殻を一つ拾った。その手には、もう一つ吸い殻があった。
立ち上がった彼女は、何気ない顔で黙って歩きだした。映画のワンシーンのように感じた。

 3カ月に一度来館される東京からの蓄音器館の女性ファンがいる。この女性は金沢のファンになり、退職後は金沢に住むべく街中のマンションを熱心に探している。息子さんも金沢はいいという。

どうしてそんなに金沢が良いのか尋ねたことがあった。まず街が綺麗。いろんな文化的な施設が多く、知的でリーズナブルだという。そんな会話を交わしたことを思い出した。

来年3月には北陸新幹線が開通する。いろんな観光客誘致策にかしましい。対策を練ることは確かに必要だろう。
しかしその前に自分たちの街を住みよくするためどうしたらよいかと行動することが大切ではないか。
「おもてなし」には、たしなみ、振る舞い、挙動、態度の意味もある。吸い殻1本拾って、道を綺麗にする。綺麗な道は、汚れた道より気持ちいい。強制ではない、みんなで拾えばもっと綺麗になる。実践あるのみ。それが、吸い殻を捨てない心を育て、「おもてなし」になる。

翌日の新聞に、小松市の園児11人がお手伝いをして貯めたお金や、保護者からもらった買い物の釣銭を集めた4,784円を日本赤十字社に「世界の恵まれないお友達に使ってほしい」と寄託した記事が出ていた。
おやつを我慢した1円玉募金ももてなしの心を育てた。

 「積善の家に余慶あり」。昔、書き初めに書いたことがある。さて、当館で出来る「おもてなし」とは何だろうか。



女性が吸い殻を拾った武蔵が辻の歩道





園児たちが赤十字社へ寄託した
小松市の粟津温泉保育園