金沢蓄音器館

館長ブログ ほっと物語

2014年6月

その165アメリカンポップスの時代




戦後、アメリカの音楽レコードがどっと日本に流れ込んできた。


進駐軍のキャンプの演奏、レコードがそのはじまりだ。
小林亜星さんはレス・ブラウン楽団で歌うドリス・ディの「センチメンタル・ジャーニー」を聞いて、その音から「こりゃだめだ!日本が戦争に負けるはずだ」と思ったと言う。これは小生が直接本人から聞いた話だ。


彼だけでなく進駐軍クラブでは、江利チエミ、フランク永井、伊東ゆかり、フランキー堺、ジャズ界の大御所原信夫など他にも多くの歌手、演奏家がその中から育っていった。
 

「これからは、洋楽だ」と、日本コロムビアは昭和249月に第1回「L盤」を発売した。美空ひばりがこの年の8月にコロムビアに入社している。
「L盤」とは洋楽レコードの頭に「L」をつけたレコード番号のことだ。
以後、毎月2枚ずつ発売された。ダイナ・ショア、ドリス・ディ、フランク・シナトラ、ローズマリー・クルーニー(あのジョージ・クルーニーは甥)などそうそうたるメンバーが揃っており、大きな人気を得た。


ビクターも昭和23年トミー・ドーシー楽団、翌年にはアーティー・ショー楽団、ペリー・コモ、ダイナ・ショア、グレン・ミラー楽団などの演奏陣で、レコード番号の前に“S”をつけた「S盤」シリーズを作り、競った。
さらにラジオ番組として「S盤アワー」を全国に流した。


キングはキャピトルレコード、ロンドンレコード、コロムビアはさらにMGMレコードを加え、テイチクはデッカレコードを出して洋楽花盛りの時代を迎えた。
各社は専用のスリーブ、カタログを作り、ラジオで自社盤を流して宣伝に大いに力を入れたのである。

 

金沢では、RCAビクターのEPレコードが連続してかけられる「ゴールデン・スロート」(“黄金の喉“の意)という電蓄を用いて、のちの本多町のアメリカ文化センターが音楽鑑賞会を開いた。
スピーカーから出る大きな音色にいつも満席で、立ち見が出たという。
そのアメリカ文化センターは役割を終えて1968(昭和43)年閉館された。
現在の石川県社会福祉会館の場所だった。





右の写真:RCAビクター社製のゴールデン・スロート電蓄(モデル 45EY2
RCAは昭和24年2月、EPレコードを米国で発売。日本では、銀座のPX(進駐軍の米人向け商業施設)で販売した。



コロムビアL盤シリーズのスリーブ

ビクターS盤シリーズのスリーブ

テイチク、デッカ盤のスリーブ

ビクターS盤シリーズのカタログ
ダイナ・ショアの写真入り
その164蓄音器、金沢駅前で響く

北陸新幹線開業1年後に迫った平成2632223の両日、金沢駅のもてなしドーム地下広場で、「MROこどもみらいフェスタ、開業1年前カウントダウン・イベント」(北陸放送主催)が開かれた。

当館も参加してほしいと市サイドから依頼があり、実際の蓄音器を聴くコーナーを担当した。多くの子どもたちとその家族に、電気を使わなくとも音が出ること、しかもリアルで自然な音を知ってもらい、一人でも多く関心を持っていただければとの思いからだった。

両日とも少し寒さが残っていたが、いい天気に恵まれた。

会場には、石川県のゆるキャラ「ひゃくまんさん」の挨拶、根深い人気のウルトラマンショー、地元サッカーチームのツエーゲンの選手たちのゲーム大会、子どもたちのチアーリーディングの披露、人気ゲーム「パズル&ドラゴンズ」の達人・マックスむらいさんによるゲーム攻略法などなど子どもたちに焦点を当てたいろんなイベントが盛り沢山だった。

当館に与えられた時間は30分あまり。持参したビクター1-90卓上型蓄音器に童謡、クラシック、ポピュラーの4曲を選んだ。

ステージ前の椅子の数は100。満席で、その周辺も多くの立ち見客で溢れた。
最初の曲は春らしく「春の小川」を選んだ。次いで昔、小学校時代よく校舎に流れていたビゼー作曲の「アルルの女」、保護者向けにと思いグレン・ミラー楽団の「ムーンライト・セレナーデ」、もっともこの曲も1939(昭和14)年につくられているから子どもたちの曾祖父母の時代になるかもしれないが。
最後の曲は、童謡「さくらさくら」で締めた。


最前列の人たちには蓄音器の音が聞こえるが、後ろの方までは音は届かず、聞こえない。そこで曲の途中からマイクで拾って大きな音にした。

終了後、親子連れから「マイクを通しても、蓄音器の音ってイイですね!何かほっとする感じです。今度、蓄音器館へ行きます」と言われた。

駅前と蓄音器館がつながった。



金沢駅のもてなしドーム地下広場入り口
平成26年3月22日




会場は満席。立ち見の方々も多い




「電気を使わなくても、
大きな音が出るんです」
その163LPEP、回転数の謎


SPレコードの回転数が78回転/分になった理由は、先のブログ34に書いた。だが、その後開発されたLPレコードが1分間33⅓回転、EPレコードが1分間45回転になったのはどうしてなのだろうか。

ラッパ吹込みからマイクロフォンを使った電気吹き込みという一代革命によって再生帯域の改善は著しく、それまでの3003000ヘルツが1005,000ヘルツまでに広がった。
さらに1944(昭和19)年に英デッカ社は軍事利用を主目的として帯域を拡げ、3012000ヘルツとなり音は随分と良くなった。

 ラッパ吹込み時代の映画は110分程度の音声を1枚のレコードに入れたかったのだが、78回転12インチ(30センチ)径のSPでは無理な話だった。
回転を遅くすれば音質は落ちる、回転を速くすれば音質は良くなるが再生時間は短くなる。
映写機と速度を合わせるためには電源周波数によって回転数が決まるシンクロナス(同期)モーターとその回転を再生に合わせるため減速するギヤの採用が必要だった。

そこで米コロムビアは、電源周波数60ヘルツのアメリカで1800回転/分のシンクロナスモーターを1:54で減速し、レコードの速度を33⅓回転にした。
50ヘルツの地域では1500回転/分のシンクロナスモーターを1:45で減速すると33⅓回転になる。
長時間録音再生出来るので“Long Playing Record”と命名。こうして片面25分(のち30分)のLPレコードが誕生した。

 
しかしEPレコードは、電源周波数60ヘルツの国では1800回転/分のシンクロナスモーターを1:40で減速すると45回転になるが、50ヘルツの地域では1500回転/分を1:33で減速すると4545、、回転、となり正確に45回転を出すことは不可能。多少の誤差が生じ、ピッチ(音の高低)が違って聞こえることになる。
しかし開発した米ビクターは市場開発に力を注ぎ、コインを入れて好きな曲を自由に聞ける“ジュークボックス”を開発した。
これは若い人たちの人気を博した。プレスリー、パット・ブーン等の曲をジュークボックスで楽しんだ記憶のある方も多かろう。安定した走行のために真ん中の穴を大きくしたので“ドーナツ盤”と呼ばれた。EPレコードは、LPとは違ったニーズに答えることが出来たのだ。

こうしてLPEPの規格が両立した。


EP盤(直径17cm)LP盤(30cm)の比較

レーベルの下部に33⅓と記載

レーベルの左上に「45RPM」と記載
中央三足を取ると穴が大きくなり
「ドーナツ盤」と呼ばれた

ビクターのジュークボックス

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