金沢蓄音器館

館長ブログ ほっと物語

2014年10月

その173山口淑子の声が蓄音器館に




平成26915日、テレビは山口淑子(よしこ)さんの訃報を伝えた。94歳だった。
戦前「李香蘭(り・こうらん)」の中国名で、銀幕や「蘇州夜曲」「サヨンの夜」「紅い睡蓮」など数多くのヒット曲を飛ばし、北京語、英語、日本語に堪能な大スターだった。

戦後「中国人でありながら日本のスパイでは?」と嫌疑をかけられもしたが、日本人だとわかり銃殺刑を免れた経験もした。
「私の故国は日本と中国。戦争はどことも絶対してはいけない」と語っていた。

そんな彼女は昭和25年、アメリカ・カリフォルニア州都であるサクラメントでコンサートを開いた。
その模様は、「テープレコーダー」が開発される以前の細い針金に録音する「ワイヤーレコーダー」に残っていたという。聴いてみたが、ノイズも少なく明瞭な音だ。

「さくらさくら」、「蘇州夜曲」、「夜来香(イエライシャン)」、ハワイの名曲「スィート・レイ・ラニ」なども歌い、その年の新曲「東京夜曲(セレナーデ)」も歌っている。サクラメント市長の挨拶もあり、いち早く日米両国親善に力をいれたという。

その「東京夜曲」の宣伝盤が当館にある。

「美しい東京、若い東京、この美しい夜の歌“東京セレナーデ”。
ビクターが皆さまに捧げる佐伯孝夫作詞、佐々木俊一作曲の新しい歌“東京夜曲(セレナーデ)”。お聞きくださいましたでしょうか。私、山口淑子でございます。
いずれこの歌を通じてステージで、スクリーンで皆さまとお会いする日が近い将来まいると思います。
どうぞそれまでにこの歌をお覚えになって、私と一緒にこの歌を唄ってくださいませ」

と、2番の歌詞にかぶせてPRしている珍しい盤だ。

優しく、丁寧な言葉使いだが、身に降りかかった困難を越えて生きる彼女の強さと聡明さに驚かされる。



「夜来香」山口淑子

「紅い睡蓮」歌詞カードの李香蘭

「蘇州の夜」李香蘭
発売 1940,10,20

「東京夜曲」山口淑子
その172汗びっしょりの蓄音器演奏




平成26824日東京代々木上原にある古賀政男音楽博物館で、ゲストに米寿の菅原都々子さんを迎え
「蓄音器とSPレコードで楽しむ日本の流行歌」
と題して、ミュージアム講座が開かれた。
飯田久彦さんと小生がナビゲーター役となった。会場は満席だった。

 使用した蓄音器は、ビクター社長室からお借りした蓄音器の王様「クレデンザ」と、昭和26年に日本で作られた最後のポータブル型「コロムビア、NO.G-241」の2機種だった。

講座も順調に進み、6曲目の「佐渡島エレジー」がかかっていた時のことだ。
この曲は会場からのリクエストがあり、ゲストの菅原さんも選んだ曲。
菅原さんが「悲歌(エレジー)の女王」と呼ばれていたころの昭和27年発売のものだ。

2番が終わった頃、鳴らしていた「クレデンザ」が突然止まった。

会場は思わぬ出来事に驚いたり、笑ったり。

 「クレデンザ」には、演奏が終わると自動的に回転が止まるオートストップ機構がある。
針がスムースに盤の溝を滑ればよいのだが、傷があったり、レコードプレス時に材料により「イボ」状の突起物が出来たりしていると演奏が終わったと蓄音器が勝手(?)に判断して止まってしまうのだ。
経年劣化でゼンマイの力も落ちているのもその一因だろう。
再度挑戦しても同じ所で止まってしまった。

そこで蓄音器をG-241のポータブル型に変えてレコードをかけてみたところ最後まで聞くことが出来た。

会場からは大きな拍手!
蓄音器らしい思わぬハプニングに、かえって来場者の方々は2台の蓄音器の聴き比べも出来て大喜び。

お客様の前では平静を装っていたが、飯田さんと小生のワキは汗でびっしょりだった。



左から飯田さん、菅原さんと小生
クレデンザのオートストップ機構

盤の真ん中に”イボ”がある盤

菅原さんの熱唱

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