金沢蓄音器館

館長ブログ ほっと物語

2015年6月

その188市電の名物車掌さん

市電がまだ走っていた昭和30年代の金沢。時計をいっぱい身につけている電車の車掌がいて、子ども心に不思議な印象だった。その存在が、小生の館長職としての支えにもなっているというチョットいい話。

いくぶん新しい車輛もあったが、多くは大正時代に造られたガタゴトと走るチンチン電車だった。車輛の前後には大きく1、2、3、5など数字の看板があり、その電車の行き先を示していた。出入り口は車輛の前後にあり、高低差のある2段になっていた。床が高く、年配者や子供は「ヨイショ!」と足を延ばして乗り降りした。

運転手と車掌が乗車しており、氏名を書いた木の札が車内にあった。
たしか片道切符は茶色でレールのデザイン、往復の切符は、青で金沢城(石川門)と桜が印刷されていたと思う。車掌の仕事は次の停車駅の案内、切符の販売、乗り換えする乗客には駅名を書いた小さなわら半紙のような切符にパチンと小さな穴をあけて渡すことなどだった。


その中に一人ユニークな車掌がいた。木の札には「藤井佐代治」と書かれていた。小柄な方だったが、小さな子供を連れた客には自らが電車を降りて、抱き上げて乗車を手伝った。金沢駅に近くなると列車時刻を覚えていて、発車する汽車の時刻の案内やホーム番号などすらすらと大きな声で伝えた。

クォーツや電波時計のない時代だったからか正確さを求めて、腕時計、懐中時計など時計をいくつも持ちその全部の時間を確認して時刻を伝えたのだ。その様子に乗客は皆、くすくすと微笑んだ。

 藤井車掌の電車に乗り合わせると何か得をしたような気持ちになった。

この市電会社に勤務経験のある、県議会議長のN氏から「藤井さんは楽しい大先輩」であり、「名物車掌さん」だったと教えていただいた。

 
ことし平成27年3月の北陸新幹線の開通で、かってない観光客が押し寄せ、「おもてなし」の大切さが叫ばれている。車社会の到来で、市電は昭和421967)年廃止されたが、この藤井佐代治さんの心を残しながら蓄音器館の運営をしていきたいと思っている。



2番の電車、昭和40年
(村本外志雄氏撮影、能登印刷「昭和モダンの金沢」より)











3番の電車、香林坊で
(城南公民館提供、能登印刷「昭和モダンの金沢」より)





その187ハイレゾをご存知か?

平成2758日、「SP盤をハイレゾで聴く」イベントをビクター青山スタジオの鈴木順三さんを呼んで当館で開いた。
鈴木さんはビクターきってのデジタル技術者で、小生と一緒におこなった国立国会図書館のSP盤のアーカイブ化事業以来親しくしている方だ。

 「ハイレゾの音はアナログの音に近く、CDをしのぐ音質だ。伝わる臨場感はLPレコードに似ている」と最近新聞、雑誌などに大く取り上げられている。(ハイレゾリューションhd-music.info/html.cgi/support_03.html

ならば、SPレコードと比較したらどうだろうかと思った。
SP盤の音を蓄音器で聴いた音と、同じ盤をハイレゾ音源でデジタル化した音をミニコンポで聴く音とを比べてみようと考えた。

 使用機器は大正時代、2階建て家1軒と変わらぬ値段だった蓄音器の王様「クレデンザ」、かたや今日価格で10万円程のビクターウッドコーンスピーカーのミニコンポである。

クライスラー演奏の「愛の喜び」、「ツゴイネルワイゼン」、諏訪根自子演奏の「ドリゴのセレナーデ」、フランク永井の「有楽町で逢いましょう」の比較を観客は聴き逃さないようにとみな静まりかえって聴いていた。

 SP盤の登場から30年あまりで録音がラッパ吹込みから電気吹き込みに変わり、30年ほど後の戦後にLP,EPが発売された。
さらに、それから約30年後の1982年にCDが発売された。
最近ではそのCDも音楽配信の急上昇に押されている。
30年ほどのスパンで大きな技術革新が起きていることになる。

いずれも、さらにいい音を、さらに長い録音時間を求めてのことだ。CD発売32年後のハイレゾもその流れにそっている。
原音探求は、まだまだ続く。

 来館された方が、帰り際に「ハイレゾのことがわかったよ。ミニコンポでハイレゾをもっと聴いてみたい。一部の金持ちしか楽しめなかった音が今では誰でも聴けるんだから」と語り、ある若い女性の方は「もう一度蓄音器の音色を聞かせてみて」とせがんだ。

アナログの耳を持つ人間にとって「温故知新」ともいえるイベントだった。



解説するビクター青山スタジオの
鈴木順三さん



ハイレゾとは?




鈴木順三さんと「クレデンザ」をはさんで


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