金沢蓄音器館

館長ブログ ほっと物語

2015年9月

その194「作曲家・聖川湧さんをご存知か

平成278月、戦後70年にちなみ「私の歌謡史、聖川湧(ひじりかわ・ゆう)が語る戦後のメロディー」というイベントが地元FM「ラジオかなざわ」主催で開かれ、小生がSPレコード、蓄音器操作と進行役を務めた。

聖川湧さんは野路由紀子「私が生まれて育ったところ」、三笠優子「夫婦舟」、香西かおり「雨酒場」、「流恋草(はぐれそう)」、成瀬昌平「はぐれコキリコ」など演歌・歌謡曲の名曲を数多く世に出した作曲家である。
富山県新湊で昭和19年に生まれ、小学校5年のとき両親が離婚。中学3年で金沢へ引越したが、その後父は失踪し、天涯孤独な身となったところを助けてくれたのが後に「東京の灯よ いつまでも」で紅白歌合戦出場した羽咋市出身の新川二朗(しんかわ・じろう)さんだった。偶然に聖川さんの下宿の隣は新川さんの部屋だった縁からだ。
聖川さんがサックスを吹けたので金沢の卯辰山にあったヘルスセンターのバンドマンとして新川さんが紹介したのだった。
その後聖川さんは歌手デビューし、実母との再会を果した。今や日本を代表する作曲家としての地位を確立した苦労人である。

 実は、聖川さんと小生の父(初代金沢蓄音器館長)は浅からぬ仲である。
聖川さんが小生の自宅のピアノを弾き、デビュー前の学生服の野路由紀子さんが唄った姿を覚えている。それ以前、彼が歌手を目指していたころ「金沢の女(ひと)」のレコード制作費を父が出したという。
レコードは売れなかったが恩を受けた人を忘れない聖川さんは小生の父、母の葬儀に東京から深夜駆けつけ、さめざめと涙を流した光景が目に焼きついている。

 「いろんなことがあったが、今思えば“こんなことをしていられないな。他に出来ることがあるのでは”と、いつも思っていた。随分急いで生きてきたな。それもこれも人との出会いが転機になってますね。歌は心です。詞があって曲があります」
と父のこと、新川さん、漫才師・横山やすし、プロダクションの社長、レコードメーカーのディレクターなど多くの方の名前を挙げた。

蓄音器で戦後のメロディーを聴く会ではあったが、人間・聖川湧の人となりを知りえたイベントだった。

(イベントの模様は平成27830日ラジオかなざわで放送された)


香林坊ラモーダでの「私の歌謡史:
聖川湧が語る戦後のメロディー」





ラジオかなざわの公開放送録音





作曲家:聖川湧さん(左)と小生

その193「優しい風


夏休みも終わりに近くなったころ、老夫人の乗った車いすを押す女の子とその父親らしき3人組が当館の11時からの「聴き比べ」に参加された。
その時間はいつもは2030人くらいのお客様で賑わうのだが、その日は3人の貸し切り状態だった。

女の子の父親らしき方は「何度かこの館の聴き比べに来ていたんですが、その音色に心休まる想いがして、今日は母を連れてきました。娘も夏休みで一緒なんですよ」と、話した。

いつも通り「聴き比べ」はエジソンの100年前の蓄音器の音から始まった。円筒状のろう管レコードと呼ばれるものである。曲は、初期のミッキーマウスの映画音楽のようだと言われることが多いハワイアンソングだ。
6mmの厚さのあるエジソンの円盤型レコードをかけ、次いでラッパが朝顔型になり外に突き出ている蓄音器の演奏になった。曲は童謡「可愛い魚やさん」。ラッパを取り外してみると音量は小さくなる。付けると又、大きくなる。その車いすの夫人の口元がちょっと微笑んだ。

次は卓上型蓄音器。ラッパを大きくする代わりに、腸のように折り曲げて長くしたものを本体の中に納め、大きな音を求めたタイプだ。昭和9年に日本ビクターが作ったものと説明した。「私が生まれた年だわ」と車いすの夫人は言った。

 蓄音器の王様・米国ビクター社の「クレデンザ」、米国コロムビア社の133 A型と進み、英国グラモフォン社の194型では「愛染かつら」の主題歌「旅の夜風」をかけた。
その夫人は一緒に歌っていた。
次の英国EMG社のEXPORTシニア蓄音器では美空ひばりの「リンゴ追分」にした。この蓄音器のラッパはロンドンの電話帳を溶かして作ったといわれ、人の声は手前に、少し後ろのほうで演奏が聞こえる立体感溢れる音だ。目の前で美空ひばりが歌っているように聞こえる。
その夫人の歌声はだんだん大きくなっていく。

 「実は、母は少し痴呆があり、部屋に閉じこもっていることが多いんです。蓄音器の音色を聞かせれば少しは元気になるのではと思って連れてきたんですが、こんなにも! 驚きです」とその次男という息子さんは語った。

大事に車いすを押す小6という孫と母想いの息子に、老夫人にはつかの間の楽しい時間だったのだろうか。
館にも夜風ならぬ「優しい風」が吹いた。


「旅の夜風」霧島昇・ミスコロムビア

英国グラモフォン社、HMV194型

「リンゴ追分」美空ひばり

英国EMG社、エクスポートシニア
その192「詩吟の祖宗・木村岳風を聴く

 

某日、「詩吟」のSPレコードについて問い合わせがあった。金沢蓄音器館には様々なジャンルの音がある。

調べてみると3万枚以上あるレコードの中に「詩吟」の盤は58曲だった。その多くは祖宗・木村岳風(きむら・がくふう)の曲が圧倒的で、「白虎隊」「川中島」「金州城」「少年易老学難成」など学生時代、漢文の授業で習った曲目も多い。

問い合わせをされたのは公益社団法人日本詩吟学院の講師、本野岳耀(もとの・がくよう)先生だ。
この財団は、本年5月に1,200人の会員、観客を金沢に集めて全国大会を開催したばかりという。多くの愛好者を抱えている。

その支部である石川吟詠会神戸章岳(かんべ・しょうがく)金沢支部長は祖宗木村岳風の曲の多さに驚き、
「これは岳風先生の実声を蓄音器で聞いてみたい。必ず私たち詩吟をする者にとって大きな道標になるに違いない」
と語った。

 こうして平成276月、金沢在住の詩吟の講師50名ほどの勉強会で11曲の木村岳風の詩を聴く研修会が開かれた。
曲は「川中島」「楓橋夜泊」「偶成」「桜花の詞」「大楠公」などの10曲、他に「田邉大尉の遺書を詠ず」(金沢一中、陸士出身の軍人)の珍しい盤も含まれていた。

会は、本野岳耀さんの進行で進められた。多くの婦人も含まれ、日ごろ講師と呼ばれる“生徒”たちが、腹式発声を原則とした正しい読みと、ひき(曲調)について祖宗の生の声に触れた。蓄音器、SP盤の時代は録音のやり直しが出来ない。そのままの音だ。

「木村岳風のCDはあるものの電気を通さない声は、全く違って聴こえる。眼前に先生がいるようだった」と、ある“生徒”は語った。
近代吟詠の祖と言われる木村岳風の実声に触れた実のある時間だった。

 


 



コロムビア盤「川中島・城山」

テイチク盤「大楠公・宿生田」

ニットー盤「陽開三畳之詩・易水送別」

昭蓄盤「詠田辺大尉遺書」

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