金沢蓄音器館

館長ブログ ほっと物語

2015年10月

その197「(続)伝えたい日本の歌」

「ラバウル海軍航空隊」(唄・灰田勝彦)は国民の士気を高めるため日本放送協会のプロデュースで昭和191月に放送用に制作された。作詞はビクターの佐伯孝夫、作曲はコロムビアの古関裕而とメーカーの枠を超え総動員で2月に発売。レコードは飛ぶように売れたと言う。
しかし、実際の戦局ではラバウル航空隊は姿を消してしまっており、歌だけが残っていた。

 童謡・唱歌についての紹介もあった。

 「めんこい仔馬」。この歌は昭和16年封切の東宝映画「馬」の挿入歌だが、高峰秀子が娘役を初めて演じて評判になった。この唄は二葉あき子と童謡歌手・高橋裕子が歌い録音、同年1月からの「国民歌謡」のラジオでは松原操が唄って、幼児から老人まで幅広い層に愛唱された。
が、日中戦争開始1年で軍馬が不足し、原則牡馬だったのを増産のため、雌馬がたくさん配給されていたと石川達三の戦記文学「武漢作戦」に記されている。農耕馬も戦地へ送られた。

この歌の背景は、軍馬愛育の心情だ。さすが名曲なので、コロムビアでは戦後、仔馬と子どもの愛情交流の歌詞に変えて昭和26年、伴久美子の歌で再発売した。

 
「お山の杉の子」。昭和1911月、子どもたちを元気付けようと児童文化関係者でつくる日本少国民文化協会が募集した。
いい詞がなかったので、サトウハチローは「『兎と亀』が出来てから40年経ったが、その後物語歌のいいものがない。10位になった吉田テフ子の歌詞は鉛筆で書かれ句読点もないが、自分の小さい頃の生活そのものを書いたものでこれを補作したらどうか」と提案し、了解された。
出来あがると、明日の希望を感じさせる明るい優しさが心に響き、子ども大人を問わず歌われた。戦争最後に発売された子ども向きレコードだった。
戦後、歌詞に戦争色があるとGHQから放送、発売ともに禁止されたが、サトウは平和色のある詞「野球にテニスにランニング、バレーに水泳、バスケット、スキーだ、スポーツ忘れずがんばって」に変え、安西愛子、川田孝子、伴久美子の唄で昭和26215日発売された。

 新聞各社は歌の懸賞募集で部数を伸ばし、軍部も国民の戦争への関心を高めたと紙の配給を増やした。レコード会社も材料のシェラックの特別配給が得られる。みな、会社が生き残るため必死だった。

トークゲストの長田暁二さん(音楽研究家)、西舘好子さん(日本子守唄協会理事長)の二人は、戦争は絶対してはならないと締めくくった。


「ラバウル海軍航空隊」
灰田勝彦




「めんこい仔馬」
二葉あき子・高橋祐子




「お山の杉の子」(戦後発売された盤)
安西愛子・川田孝子・伴久美子


その196「伝えたい日本の歌

平成2795日、「金沢ナイトミュージアム」協賛事業として西舘好子(にしだて・よしこ)さん、長田暁二(おさだ・ぎょうじ)さんのお2人をお呼びして「伝えたい日本の歌」と題して夜間のSP盤鑑賞と話を聞く会を開いた。

 西舘さんは日本子守唄協会理事長として童謡、唱歌にも造詣が深い方だ。
長田さんはレコード各社で文芸、学芸ものの制作を中心に活躍し音楽研究家として名高い。当館でも2度ほど講演、曲解説などしていただいている。

 選んだ歌の背景を探ろうという企画で、明治の日本に音楽が入ってきたルーツは3つあるという紹介から始まった。
1つは唱歌、2つめは讃美歌、3つめは軍楽隊だ。

明治28年、日清戦争に従軍した軍楽隊員永井建子(ながい・けんし)が雪中で見たままの姿をつぶさに描いたという「雪の進軍」をSP盤で聴いた。
「ヨナ抜き音階」(ブログ194を参照)でなく「ファ」の音を使い、モダンな感じで、歌詞も口語体のため唄い継がれたが、兵隊の絶望的な気分があり士気が落ちるという理由で太平洋戦争中では歌唱禁止になったという。

 長田さんのうんちくに観客はうなずく。怖い話が続く。

 「故郷(ふるさと)」の出だしに「兎追いし かの山」とあるが、これは兎の毛が軍用防寒具に最適であるので、兎を山麓から頂上へ追い詰めて殺し、外地にいる兵隊のために毛皮を送ったことを唄っているのが本来の意味だった。「唱歌」とはいえ軍に関係があることが多いひとつの例だと語った。

 昭和12年に「軍国子守唄」を塩まさるが唄った。
質実剛健な歌というより歌謡曲の雰囲気が出ている曲だ。「軍国」という冠をつけることで当局の検閲をかいくぐったわけだ。塩は歌手の戦地慰門団メンバーから閉め出しを食らったが、そのわけは塩が唄うと兵隊たちがいつも涙を流したからだったという。
塩と交流の深かった長田さんは、

「塩さんの歌声は国に残した妻、恋人、子どもたちの気持ちに寄り添っていた。兵隊には受けたが、それが軍上層部には受け入れられなかったからだ」

という。                          (続く)


西館好子さん(左)と長田暁二さん(右)


ニットーレコード「雪の進軍」
陸軍戸山学校軍楽隊


キングレコード「軍国子守唄」
唄:塩まさる


その195戦意高揚に使われたレコード



平成277月、東京の日テレ報道部の記者から戦前戦中のレコード盤のなかでレーベルの色刷り、スリーブ(レコード袋)の変わったものなどについて問い合わせがあった。8月の桜井翔・池上彰の「教科書で学べない戦争」という戦後70年特別番組で使いたいからだという。

調べてみると随分多くの盤が見つかり、取材を受けることになった。

 その番組では「今も身近なところに残る軍歌」として「ドリフ(ドリフターズ)の爆笑」のオープニングテーマ曲は戦前のヒット曲「隣組」、読売巨人軍のリーグ優勝の祝勝会での「同期の桜」(今でもカラオケでよく歌われる曲だが)が紹介された。
童謡「汽車ポッポ」は戦前、「兵隊さんの汽車」というタイトルだったことも合わせての紹介だった。19371945年の8年間で3,000曲も軍歌が作られたという。

何故こんなにも軍歌が受け入れられたのか?

軍歌100曲の中からその特長を探したところ、その多くの曲が「ヨナ抜き」を採用していた。「ファ」、「シ」の音が使われない曲のことだ。「ド」を1、「レ」を2、「ミ」を3、とすると「ファ」、「シ」は4と7になることからこう呼ばれる。今でもAKB48の「恋するフォーチュンクッキー」のさびの部分、坂本九ちゃんの「上を向いて歩こう」もそうだという。

また、もう1つの特長は音程が5度以上急上昇することも指摘。逆向き(下がる音)は極力使わなかった。これによって気分を高揚させる効果がある。TVの中の千葉工大の先生の指摘だ。

 軍部は「音楽が戦争を左右する。音楽は軍需品だ」、「宣伝は強制的でなく国民を知らず知らずに戦争にかりたたせる」ことが出来ると考えて、レコードのレーベルにも戦闘機、軍艦、軍馬、兵士を用い、カラー印刷もあった。
新聞社もこぞって歌詞を懸賞募集し、1等には軍刀と賞金2,000円(当時の教員給与の4倍)も出したのだ。

 池上さんは「音楽、エンターテインメントは人々を感動させ、奮い立たせることが出来るが戦争にも使われた。国は童話、童謡を使ってまでも戦意高揚を計った」と指摘、桜井さんは「こんな使い方をされるとは恐ろしい」と感想を語った。


放映された金沢蓄音器館

様々な軍歌のスリーブ(当館所蔵)

「父よあなたは強かった」の
スリーブ、レーベル
。下は児童向け
「少国民愛国歌」のレーベル

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