金沢蓄音器館

館長ブログ ほっと物語

2015年11月

その200前田家の殿様が作った蓄音器




金沢蓄音器館には前田家17代利建氏が作った(改良した)蓄音器の王様「クレデンザ」がある。平成223月に“殿様”から寄贈されたものだ。
電気を使わない蓄音器が真空管アンプをつかった「電気蓄音機」に改造されている。SPは聴けないが、LPEPを聴くことが出来る。

利建氏は戦後コロムビアがLPレコード愛好会を組織したときの会長も務め、ソフトにも造詣が深かった。

この蓄音器は、当館に来た時「電蓄」なので錆ばかりでなく何ヶ所も電気部品が壊れており修理不能な状態だった。
それを元ビクターOBで技術者だった金沢在住の茶谷泰彦さんに小生が修理を依頼した。茶谷さんは喜んで、時間をかけてその故障個所を直し、音が出るようになった。

こうしてご当主利祐氏(18代)と当館名誉館長の飯田久彦氏を迎えてお2人で、蓄音器のことはもちろん音楽談義とその音色を聴く会が開けるようになった。

平成27117日、「前田家の殿様が作った蓄音器」と題した会は満席だった。

飯田さんの進行で、茶谷さんの修繕苦労話を聞いた。
アンプは修理不能だったため今回機材を協賛していただいたスペック社の最高級アンプの紹介、殿様が作ったアルティック社(米)の高級スピーカーのコイル断線の修理法、カートリッジの変更等など多岐にわたった。
音が出た時は、思わず「バンザイ!」と叫んだという。

ご当主は「親父が亡くなったのは平成元年。ようやくその音が聴けるというので喜んでいる。皆さんに厚く御礼申し上げます」と喜びを語った。

若き小沢征爾指揮で「胡桃割り人形」、ウィーンフィルの「金と銀」、マランド楽団「イタリーの庭」、メラクリーノ楽団「煙が目にしみる」などクラシックばかりでなくタンゴ、映画音楽などのLP盤も再生された。
ご当主は「LPの方がCDよりいい音です。電子音が多い今の時代、ナマの人間が演奏している音ですね」。
飯田さんはその音色に触発されたのかポール・アンカ「ダイアナ」のLPを急にリクエストした。

観客も、LPの音の暖かさ、優しさ、優雅さを堪能していたようだ。
ご当主の気さくな人柄と偉ぶらない飯田さんのフレンドリーさも手伝っていたに違いない。万雷の拍手だった。




前田家の殿様から寄贈された「クレデンザ」
電気を使わない「蓄音器」から「電蓄」に
左右は、スピーカーEP,LP盤が聴ける

第18代当主前田利祐氏、茶谷泰彦氏、
当館名誉館長飯田久彦氏、小生(左から)

改良された蓄音器の前で

小沢征爾のLP(フィリップス) 昭和50年発売

ポール・アンカ キング・25cm盤 
昭和30年代
その199「金沢蓄音器館の3点が『未来技術遺産』に

平成27915日、国立科学博物館で重要科学技術史資料登録証授与式がとりおこなわれた。
今年度はソニーのロボット「アイボ」を始め、ボトル(ガラス瓶)用自販機、世界初の高感度フィルム、世界初のデジタル録音機、産業用レーザーディスク(LD)プレーヤーなど25の登録がされた。8年前から始まりトータルで登録数205種になった。

 今年度、金沢蓄音器館からは、
①国産量産型蓄音器の最初であるニッポノホン35号(簡便なタイプのユーホン1号を含めて)
36分の長時間録音再生を可能にしたフィルモン蓄音器
③明治42年発売の国産初の10インチ片面盤SPレコードである芳村伊十郎「長唄 鞍馬山」
3種類が認定された。
国産初のLP盤は先に登録されているが、SP盤、蓄音器の領域で今まで1つも受賞されていないとは不思議に思っていたが、1度に3つも栄に浴するとは考えてもみなかったことである。

 当館の蓄音器、SPレコードがわが国の科学技術(産業技術を含む)の発展を示す貴重な資料で、国民生活、経済、社会、文化のあり方に顕著な影響を与えたものと認められたわけだ。
技術革新や産業構造の変化のなかでその従来の意義が見失われ、急速に失われようとしている。科学技術を担ってきた先人達の経験を次世代に継承していくことは大切なことだ。
「未来技術遺産」の名称はそのことを意味している。

 この賞に恥じることなく、この音を若い方々に日々伝えていくことに精進していかねばと心をあらたにした。

 

参考:ニッポノホン35号はブログ166、ユーホン1号はブログ134

鞍馬山はブログ18431、フィルモンはブログ39を参照。


重要科学資料登録証授与式
(27,9,15国立科学博物館)



登録証と登録楯



重要科学技術史資料の国産初のSPレコード
シンフォニーレーベル、「長唄:鞍馬山」
芳村伊十郎

その198「ペギー葉山さんと天国の岩城マエストロ

平成27919日東京代々木上原にある古賀政男音楽博物館で、第3回「蓄音器とSPレコードで楽しむ日本の流行歌」と題して、ミュージアム講座が開かれた。ゲストにペギー葉山さん、当館名誉館長の飯田久彦さんと小生がナビゲーターを勤めた。会場は昨年のゲスト・菅原都々子さんの時と同様満席だった。

 ペギーさんとお会いするのは、平成142月にアンサンブル金沢常任指揮者の岩城宏之さんと連れだって当館に来ていただいて以来だ。(ブログ114に記載)その時のエピソードから話は始まった。

ペギーさんがSP盤をリクエストした、自身のデビュー曲「ドミノ」、ミリオンヒット「南国土佐を後にして」のあと「オー・マイ・パパ」、「アンチェインド・メロディ」、「慕情」などの映画音楽やポピュラーソングが続いた。

訳詞の“音羽たかし”は所属であるキングレコードが文京区音羽にあったこと、少し高台になっていたことから付けられた名前だったことや各歌の思い出話に花が咲いた。

飯田さんも触発されたのかプレスリーの「ハウンド・ドック」を蓄音器の王様“クレデンザ”とポータブル蓄音器の2台で聴き比べ、大いに盛り上がった。

休憩をはさみ、幼いころペギーさんが好きだった「茶目子の1日」、「夢淡き東京」、「フランチェスカの鐘」、ビング・クロスビー「ホワイト・クリスマス」。ペギーさんの「サイレント・ナイト」がかけられると涙をぬぐう観客が舞台から見えた。

録音はしたものの発売されず“幻のレコード”といわれた李香蘭の「月のしづく」(昭和19年制作)では、その歌声に会場は静まり返った。

 最後にペギーさんのナマ声で「学生時代」。年齢を感じさせないその歌声、歌い方に満杯の会場は惜しみない拍手を送った。

一番得をしたのは、申し訳ないが真横で聴いた飯田さんと小生ではないだろうか。

後日届いたペギーさんのお礼状には、「『僕も参加したかったナァ』と岩城マエストロが天国から眺めながら羨ましがっているのでは?」と書かれていた。



古賀政男音楽博物館での模様





飯田久彦さん、ペギー葉山さん、小生と
音楽談義に花が咲いた




ペギーさん「学生時代」を熱唱


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