金沢蓄音器館

館長ブログ ほっと物語

2016年4月

その210中味は竹針だった

 

平成283月、東京三鷹市のHさんから、「参考品」と書かれた郵便が届いた。開けてみると中味は「トリオ竹針」。
昭和17923日の消印がある「商品見本」と印を押したH さんの父親宛ての封書も一緒だった。

さらに竹針を作った「トリオ純鋼鉄針製造所」の挨拶状も同封されていた。(蓄音器のたいへんなマニアであった前田家第17代当主利建氏もこの針を賞賛している。館長ブログ12に記載)

日ごろトリオの鉄針を使用している愛好家あてに「今般、時局の国策に即応し、竹針を製造した。トリオの鉄針の愛好家に見本を少量同封したので試用し、ご用命を」と発売に至った経緯が記されていた。
また、「竹針カッターも新しく発売し、鉄を使わず精選した材料と熟達した技術によって国策にそう理想的な製品だ」と推奨している。

竹針はさみは150銭、竹針(電蓄用)25本入りで50銭、竹針50本入りで50銭と定価を載せ、従来の鋼鉄製より優れていると勧めている。昭和17年、10インチSP1枚の定価が323銭のときだ。

 

鉄を使わずどのように針を切ったのか、竹針も電蓄用と電気を使わぬアコースティック用とどのように違うのだろうか。一度見てみたい。

 

「国策」とは支那事変後、昭和1378日に鉄を蓄音器の製造に使用することが禁止され、同年815日より銅、真鍮も平和産業への用途が制限されたていたことをさす。
日本コロムビアもアルミ、竹、木、ベークライトを使った蓄音器を発売している。もっともゼンマイだけは鋼鉄だったが部品の98%を代用材料に置き換えたという。弱く、華奢(きゃしゃ)だったたためか、当館にはその蓄音器はない。

 

もっとも竹針も鉄針に比べ、早く短くなり音色も小さくなるが盤には優しくあたるため今でも愛好家が多い。(当館では、1袋55本入りで販売している)

「トリオ竹針」という貴重な資料がひとつ増えた。


砲弾型の針、トリオの鉄針

送られてきたトリオ竹針

トリオ竹針が入った袋の裏
価格が印刷されている

封入されていた挨拶状
その209蓄音器が安定して回転するわけ

 SPレコードが78回転になっていった理由はブログ34に書いた。では、ゼンマイの力が強くても弱くても、どうして一定の回転を維持するのだろうか。

それは「ガバナー」という回転安定のための部品があるからだ。

 

出始めのころの蓄音器には2個、のちさらに安定させるために3個の重りがついている。
ゼンマイの力でターンテーブルが回転すると、この重りは遠心力で外へ向かう。さらに外へ向かわないよう鋼の薄板で止めた部品のことだ。

 

平成283月、チニー10型という米国製高級卓上型蓄音器が寄贈されてきた。「チニーの前に蓄音器なし」といわれた名器である。(ブログ94に記載)その蓄音器を整備した時の話だ。

オイル、グリースは硬化しており埃にまみれていた。ひととおり整備し、オーバーホールしたがターンテーブルの回転が速くなったり遅くなったりで安定しない。どうしてそうなるのか?再度入念に分解してチェックし直した。

答えは鋼の薄板を止める直径2ミリほどの小さなネジの座金が1ケ所なかったからだとわかった。
座金は蓄音器の内底に油にまみれているのを小生が見つけ、一緒に直している蓄音器マイスター、天谷貞夫さんが取り付けた。回転はスムースになり、名器の音を奏でた。

小さな部品は、大きな仕事をしていたのだ。

 

日本では、1916(大正5)年に10円という低価格で「クトウ蓄音器」が発売されたという。明治43年に35円で発売されたニッポノホン35号は大正4年には65円になっていた。(コロムビア製品型種価格変遷一覧図より)。

ターンテーブルの両端に2つの分銅がついて2本の皮ひもで結ばれている。遠心力で重りが外へ振られるとターンテーブル下にあるホイールを両側から押さえ「ガバナー」の代わりをしている。作曲家・小林亜星さんが集団疎開先の長野県小諸のお寺で初めて見た蓄音器だったと言っていた。日本人の独創的なつくりだった。


板下に見えるのが、ガバナー
(米国:チニー10型卓上蓄音器)



ガバナー
重りが安定して回転するよう鋼の薄板で
押さえている。ネジと座金は2mmと小さい



クトウ蓄音器
ターンテーブル横に分銅が左右に
付いている
(図説 「世界の蓄音機」より)



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