金沢蓄音器館

館長ブログ ほっと物語

2018年11月

その280油絵と写真の差

 新幹線効果だろうが、ずいぶん来館者が増えてきている。ありがたいことだ。外国人の方々も目立って多くなっている。

 

平成3010月の末、アメリカ在住で、金沢に初めて来たTさんという50歳前後の日本人男性が来館された。
14時の聴き比べに参加されたが、16時からも聴いていいかと尋ねられた。

「もちろん、どうぞ!」と勧めた。

 

アメリカに戻ってから その方から小生にメールが届いた。

 「今回初めて蓄音器の生音に触れ、感動した。いつもはCDを真空管アンプで再生して気に入っている」というからかなりの音楽通だ。
その彼が、“魂を直接揺さぶられるような感じ”がしたという。

さらに続けて

「例えるなら油絵とその写真に撮ったものとの差でしょうか。
やはりSP盤は、蓄音器で再生される生音を聴くのが良いのだと思いました。音の出口であるラッパの材質による差も大きいのでは」と書かれていた。


そして最後に「蓄音器の生音を聴くことが出来て本当に良かった。金沢に行ってよかった。こうなるとアメリカで蓄音器を探してみたくなりました」と結ばれていた。

 金沢で思いがけない感動に出会えた旅はきっと思い出深いものになったに違いない。
アメリカで感動を呼び起こす蓄音器に出会うことは間違いないだろう。
 


金沢蓄音器館
金沢駅から直線で武蔵ケ辻を通り
徒歩30分弱、金沢市尾張町にある




11、14,16時からある
「蓄音器の聴き比べ」
通常は所要時間:30~40分程度



その279五木ひろしを作った平尾昌晃と山口洋子

 

 平成301110日、古賀政男音楽博物館で6回目を数える「蓄音器とSPレコードで楽しむ日本の流行歌 平尾昌晃特集」がゲストに五木ひろしさんを迎えて開かれた。

 歌手、作曲家である平尾さんが作った曲は3,000曲にものぼる。多くの楽曲を聴くには全く時間が足りないが、親交が深かった五木さん、飯田久彦金沢蓄音器館名誉館長の語りとSP盤、EP盤を交えた思い出の曲で平尾さんの素顔に迫った。
平尾さんが「先生と言わないで、マーちゃんと呼んで」と飯田さんに言われたそうだ。そのときの状況を思い出したのか声を詰まらせた。
飯田さんの人柄を垣間見た。

会場は立錐の余地ない満席だった。

 五木さんが語る。
「よこはま・たそがれ」という曲で今日の自分がある。
この曲を作った作詞:山口洋子、作曲:平尾昌晃との出会いは、昭和45年「全日本歌謡選手権」だった。10周連続勝ち抜いたが、その1週目、2週目の審査員が平尾先生、山口先生だった。10週連続というが最初の2週で決まったといっていい。

 「夜空」も山口、平尾両先生の曲だ。
平尾さん自身「夜空」が自分の作った曲の中で3指に入るといっていたと飯田さんが言う。

 
五木さんいわく、iPodに自分がいろんなところで唄った8,000曲を入れ、車の中などで聞いている。

40年も前の声でずいぶん若い。しかし今の70歳を超えた声も年相応にいい。
作詞家、作曲家の先生方は多くの曲を作れるが、歌手にとってはその歌が1つしかない。
”今”の年で歌を歌っていかねばあの売れない時代の自分に戻ってしまう。
「頭でなく心で唄わないといけないよ」と古賀政男先生が言っていたと平尾さんが語ったという。

 飯田さんから「弾き語りを是非!」と頼まれ、唄った「よこはま・たそがれ」、「夜空」に会場はしずまりかえった。

2時間半を超える語りと歌とレコードだった。
会場満杯の人たちはその想いと歌に酔いしれた。


SP盤、ヒット曲「星は何でも知っている」

舞台の大きな写真は平尾昌晃さん
左から飯田久彦さん、五木ひろしさん、小生

五木ひろしさんの弾き語り

楽屋にて
右から飯田さん、五木さん、小生
その278名前を変えて心機一転!?

 

歌手が自分の芸名を変えることは昔からずいぶんなされていた。

ヒットを願い開運祈願のため、名前を変え心機一転して頑張ろうと思った歌手もいただろう。発売レコード会社を変え別人を装うために変名、改名した場合こともあったという。

 

淡谷のり子は「淡谷規子」、「水町昌子」と名乗ったことがあった。

音丸は「永井喜美子」、「永井貴美子」、「永井松子」、「永井満津子」、「花井音丸」の5つ改名した。

笠置シヅ子は「ヅ」を「ズ」としたり、「三笠静子」と名乗っていたこともあった。

近江俊郎は「近江志郎」、「大久保良俊」、「大蔵敏彦」、「大利根俊」、「大伴博」、「鮫島俊弘」など7つの名前を使った。

東海林太郎は7つある。「朝吹薫」、「小笠原淳」、「荘司三郎」、「荘司史郎」、「高橋文雄」、「藤原英夫」と名乗っていた。

松島詩子は11。「東貴美子」、「幾代」、「島詩子」、「島ユリ子」、「千早淑子」、「広瀬陽子」、「廣田満須美」、「藤田不二子」、「ミスアサヒ」、「柳井はるみ」。

極めつけは楠木繁夫だ。

「秋田登」、「大山利夫」、「小川文夫」、「尾久田龍一」、「川島伸二」、「黒井誠」、「黒田進」、「黒田すすむ」、「島津一郎」、「島津七郎」、「島津文雄」、「島津正之」、「城野文雄」、「白石照夫」、「曽我部邦夫」、「東海治朗」、「遠山秀夫」、「中野忠夫」、「長谷川清」、「長谷川史郎」、「長谷川五郎」、「浜口淳」、「浜村一郎」、「古山静夫」、「藤村一郎」、「堀芳雄」、「堀口一夫」、「松平操」、「結城浩」、「横田良一」、「横山一郎」、「芳野秀夫」、「若木薫」でなんと33もある。こんなにあると、今何と名乗っているのかわからなくなったのではないだろうか?

霧島昇、新橋喜代三、灰田勝彦、山村豊子、渡辺光子など他にも大勢いる。

 歴史上の人物も名前を変えているし、会社名も時代に合わせて変更している。
名前を変えてうまくいったのか、あまり効果がなかったのか、どちらだったのだろうか。


楠木繁夫は「黒田進」と名乗る


東海林太郎は「荘司史郎」


音丸は「永井喜美子」


松島詩子は「千早淑子」

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