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常設展

近代日本を支えた偉人たち 【飯盛 里安

放射化学の父
飯盛 里安 (いいもり さとやす)
明治18(1885)年~昭和57(1982)年
石川県金沢市鶴間谷生まれ
業績

 飯盛里安は放射化学が日本に導入される初期から関わり、本格的な学問としての創設に大きな功績を残しました。
 理化学研究所の創設期から主要研究員として放射性鉱物の探査、放射能測定器の考案、希有(けう)元素の精錬、後進の教育などにあたり、放射化学の主要な分野で活躍しました。
 アイソトープ(isotope)の和訳を「同位元素」と提唱したもの飯盛里安です。
 第四高等学校では八田與一と同学年でした。

放射能の測定
 里安は大正10年から放射能測定器の製作にとりかかります。
 αβγ放射能測定用検電器(大型ラジオスコープ)、鉱泉および気態試料の放射能測定器(IM泉効計)、ラジウム測定用ラドン定量器(理研精密ラドン計)などを開発し、理化学研究所の工作部で製作供給しました。
 これらの機器を使い、国内の放射性鉱物、希有素鉱物の探査を行い、石川県能登柴垣海岸で新種の放射性鉱物「長手石」を発見するなど、多くの新種鉱物を発見しました。
 晩年は自宅に研究室を設け、人造宝石の合成を行いました。

豆知識
 飯盛里安の家の納戸にはおもちゃ箱があり、その中には本物のおもちゃではなく、マヨネーズの赤いキャップやアイスクリームのスプーンなど、ガラクタのようなものが入っていました。飯盛里安は一見ガラクタに見えるものから発明の発想が生まれると考えており、何にでも興味を持つ好奇心旺盛な人でした。

展示品
ゆかりの地
桜井錠二先生誕生之地
金沢市東山にある桜井錠二の生誕地碑は、弟子であった飯盛里安が書いたものです。
第四高等学校(現・石川四高記念文化交流館)
飯盛里安が通っていた第四高等学校は、石川四高記念文化交流館として公開され、当時の四高の様子を知ることができます。
四高校庭趾
飯盛里安が通っていた第四高等学校の跡地(いしかわ四高記念公園)にある記念碑です。四高同窓会によって建てられました。
参考文献
『科学風土記』 石川化学教育研究会、1997、裳華房
『飯盛里安博士97年の生涯』 中津川市鉱物博物館、2003
『かなざわ偉人物語』第8巻 金沢こども読書研究会、2010、金沢市立泉野図書館
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