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常設展

近代日本を支えた偉人たち 【三宅 雪嶺

明治・大正・昭和の言論人
三宅 雪嶺 (みやけ せつれい)
万延元(1860)年~昭和20(1945)年
石川県金沢市新竪町生まれ
業績

 三宅雪嶺は日本近代を代表するジャーナリストであり、哲学者であり、歴史家です。
ジャーナリストとしては『日本及日本人』や『女性日本人』など多くの雑誌を発行し、論稿を執筆。
哲学者としては、宇宙に対する見解をまとめた哲学論文『宇宙』などを執筆。
歴史家としては、自分の生存した時代に対する歴史的考察をした『同時代史』などを執筆しました。
 本名は「雄二郎」ですが、故郷の山「白山」にちなんで、「雪嶺」というペンネームで執筆しています。

国粋主義と政教社
 雪嶺は明治21年に仲間とともに「政教社」を結成し、雑誌『日本人』を発行しました。鹿鳴館に象徴される欧化主義に対して、日本の良さに目覚め、内から日本を造ろうという国粋主義を提唱しました。
 明治35年には世界一周の旅に出発し、見聞を広げました。三宅は著書の『真善美日本人』で「自国の為に力を尽くすは世界の為に力を尽くすなり」と著しています。

家族
 雪嶺は明治24年、元老院の田辺蓮舟(れんしゅう)の長女・龍子(たつこ)と結婚しました。龍子は「田辺花圃(かほ)」という筆名で小説『藪の鶯』を発表した日本で最初の女性作家で、樋口一葉を世に出した人としても知られています。また、大正9年に雪嶺が創刊した雑誌『女性日本人』にも協力しています。

豆知識
 雪嶺は金沢が大好きで、東京に住んでいたときも冬には庭の木に雪吊りし、かぶらずしを作って金沢を思い出していました。金沢から人が訪ねてくると、何をしているときでもすぐに会い、言葉はいつまでたっても金沢弁のままだったそうです。

展示品
ゆかりの地
三宅雪嶺生家跡
三宅雪嶺は1860(万延元)年に金沢市新竪町で生まれました。新竪町小学校のグラウンド横のこの地は小公園となっており、生家跡の記念碑が建っています。
厳霜碑/金沢泉丘高等学校
明治41年、日露戦争で亡くなった一中卒業生の慰霊碑として建てられました。現在は全物故同窓会員の慰霊の碑となっています。碑文は三宅雪嶺によるものです。
三宅雪嶺書斎
東京都渋谷区にある三宅雪嶺の書斎です。第二次世界大戦で母屋は焼失しましたが、奇跡的にこの書斎は残りました。外壁に縄文土器を貼りつけた個性的な建物で、東京都指定文化財に指定されています。
参考文献
『石川近代文学全集12』 石川近代文学館、1988
『政教社の研究』 中野目徹、1993、思文閣出版
『自伝/自分を語る』 三宅雪嶺、1997、日本図書センター
『異彩の学者山脈』  佐藤能丸、1997、芙蓉書房出版
『明治ナショナリズムの研究』 佐藤能丸、1998、芙蓉書房出版
『かなざわ偉人物語』第2巻 金沢こども読書研究会、1999、金沢市立泉野図書館
『公共性のエートス』 長妻三佐雄、2002、世界思想社
『志立の明治人 下』 佐藤能丸、2005、芙蓉書房出版
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