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常設展

近代日本を支えた偉人たち 【三宅 雪嶺

明治・大正・昭和の言論人
三宅 雪嶺 (みやけ せつれい)
万延元(1860)年~昭和20(1945)年
石川県金沢市新竪町生まれ
年譜
年号 年齢 できごと
1860年(万延元年) 0歳 7月1日、恒・滝井(黒川良安の妹)の三男として新竪町で生まれる。
1866年(慶応2年) 6歳 河波有道の塾に入り、四書五経などを学ぶ。
1871年(明治4年) 11歳 金沢の仏語学校に入学し、英語学校に転校。
1875年(明治8年) 15歳 名古屋の愛知英学校に入学。
1876年(明治9年) 16歳 東京開成学校(翌年、東京大学に改称)に入学。
1883年(明治16年) 23歳 東京大学の準助教授として同学編集所に勤務。
1884年(明治17年) 24歳 秩父暴動を取材、執筆。
1888年(明治21年) 28歳 仲間と「政教社」を創立し、雑誌『日本人』を発行。
1891年(明治24年) 31歳 『真善美日本人』、『偽悪醜日本人』を出版。雑誌『亜細亜』を発行。海軍練習艦「比叡」に乗艦し、南太平洋を巡航する。
1892年(明治25年) 32歳 『我観小景』を出版。前元老院議官であった田辺太一の長女・龍子(花圃)と結婚。
1901年(明治34年) 41歳 文学博士となる。
1902年(明治34年) 42歳 世界漫遊の旅に出発。
1907年(明治40年) 47歳 雑誌『日本及日本人』を発行。京都帝国大学総長就任の誘いがあったが辞退する。
1909年(明治42年) 49歳 『宇宙』を出版。
1923年(大正12年) 63歳 雑誌『我観』を発行。
1934年(昭和9年) 74歳 北國新聞祝賀にて講演。地元金沢の新竪町小学校で講演。
1936年(昭和11年) 76歳 新竪町小学校の運動場に隣接の生家跡を金沢市に寄附。同地に三宅雪嶺のレリーフを入れた記念碑が建ち、小公園となっている。
1943年(昭和18年) 83歳 文化勲章受賞。 妻・龍子、死去。
1945年(昭和20年) 85歳 11月26日、死去。

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