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常設展

近代日本を支えた偉人たち 【藤岡 作太郎

国文学の発展に寄与
藤岡 作太郎 (ふじおか さくたろう)
明治3(1870)年~明治43(1909)年
石川県金沢市早道町生まれ
業績

 藤岡作太郎は、幅広い考察と優れた批評を流麗な文章で執筆し、国文学の近代的研究の方法を提唱しました。
 また、『国文学全史平安朝篇』で、論文による日本で最初の文学博士になりました。
 幼少の頃から喘息に悩まされますが、学生時代に育んだ仲間との交流を支えに、国文学における前人未踏の分野を開拓し、国文学研究に新風を吹き込みました。

北國新聞と藤岡作太郎
 帝国大学を卒業する明治27年前後から、作太郎は北國新聞に活躍の場を見い出します。明治26年8月5日の創刊号から随筆『小説管見』、翌年10月からは小説『薄雲月橋(うすぐもりつきはし)物語』を連載しました。その後、『この春』、『われから草紙』、『いろ奴(やっこ)』の小説4編を矢継ぎ早に発表し、作家を志したこともありました。
 また、幼少より絵を描くことが好きで、東京帝国大学の助教授時代には帝展の審査員をしています。

豆知識
 作太郎は小さい頃から体が弱く、喘息という咳が止まらなくなる病気に悩まされていました。また、背が小さかったことから「マメ」というあだ名で呼ばれていました。作太郎は自分のペンネームを「荳圃(とうほ)」や「東圃(とうほ)」にしていましたが、「荳圃」の「荳」という字は「マメ」という意味があります。

展示品
ゆかりの地
藤岡東圃生誕地
藤岡作太郎は1870(明治3)年、金沢市幸町(旧・早道町)で生まれました。1956(昭和31)年に新竪町小学校の児童たちの募金によって生誕地に碑が建てられました。「東圃」は作太郎のペンネームです。
李花亭文庫/石川県立図書館
藤岡作太郎の旧蔵書は李花亭文庫として石川県立図書館に保存されています。作太郎の生家に李(すもも)があったことから、「李花亭(りかてい)」といいます。
第四高等中学校(現・石川四高記念文化交流館)
藤岡作太郎が通っていた第四高等中学校は、石川四高記念文化交流館として公開され、当時の四高の様子を知ることができます。
四高校庭趾
藤岡作太郎が通っていた第四高等中学校の跡地(いしかわ四高記念公園)にある記念碑です。四高同窓会によって建てられました。
参考文献
『藤岡東圃追憶録』 藤岡由夫編、1959
「若かりし日の東圃」『西田幾多郎全集12』  西田幾多郎、1966
『石川近代文学全集12』 石川近代文学館、1988
『かなざわ偉人物語』第2巻 金沢こども読書研究会、1999、金沢市立泉野図書館
『がんばりやの作太郎』 ふるさと偉人絵本館編集委員会、2006、北國新聞社
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