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常設展

近代日本を支えた偉人たち 【西田 幾多郎

日本を代表する世界的哲学者
西田 幾多郎 (にしだ きたろう)
明治3(1870)年~昭和20(1945)年
石川県河北郡宇ノ気村生まれ
業績

 西田幾多郎の哲学は、東洋思想と西洋哲学を融合させようとしたもので、「西田哲学」と呼ばれています。
 幾多郎自身の私生活は、家族の死や病気が重なり苦難に満ちたものでした。幾多郎は「哲学の動機は人生の悲哀でなければならない」と言っていますが、「西田哲学」は自身の体験が基本となっています。

『善の研究』
 幾多郎は明治43年、40歳のとき、京都帝国大学の助教授として京都に赴任しました。その翌年、最初の代表的な哲学書『善の研究』が出版されました。明治・大正時代において学生の必読書といわれた『善の研究』は、幾多郎が第四高等学校で教授をしていたときの講義内容が基本となっています。幾多郎の生涯において、第四高等学校の教授時代は極めて重要な期間であり、「西田哲学」として完成する第一歩を踏み出した時期といえます。
 幾多郎は58歳で京都帝国大学を退官するまでの約20年間に、「絶対矛盾的自己同一」など多くの論文を発表しています。

豆知識
 幾多郎は第四高等中学校で鈴木貞太郎(大拙)、藤岡作太郎と同級生で、「加賀の三たろう」と呼ばれています。
 幾多郎は多くの短歌を詠んでいます。「人は人 吾(われ)は吾なり ともかくも 吾ゆく道を 吾はゆくなり」

展示品
ゆかりの地
西田幾多郎先生旧跡
西田幾多郎は第四高等学校の教授時代、何度も転居していますが、芳斉に住んでいたときの跡地に旧跡の石柱が建っています。
西田幾多郎先生旧跡
西田幾多郎は第四高等学校の教授時代、雪門老師ものとで卯辰山山麓にあった洗心庵で参禅していました。この洗心庵の跡地に旧跡の石柱が建っています。
第四高等中学校(現・石川四高記念文化交流館)
西田幾多郎が通っていた第四高等中学校は、石川四高記念文化交流館として公開され、当時の四高の様子を知ることができます。
四高校庭趾
西田幾多郎が通っていた第四高等中学校の跡地(いしかわ四高記念公園)にある記念碑です。四高同窓会によって建てられました。
参考文献
『祖父 西田幾多郎』 上田久、1978、南窓社
『続 祖父 西田幾多郎』 上田久、1983、南窓社
『大拙と幾多郎』  森清、1991、朝日選書
『西田幾多郎 心象の歌』 伊東宏見、1996、大東出版社
『西田幾多郎と仏教』 竹村牧男、2002、大東出版社
『二人称の死』 浅見洋、2003、春風社
『寸心の思想』 桜井歓、2005、金沢市
『思想のレクイエム』 浅見洋、2003、春風社
『西田幾多郎世界のなかの私』 桜井歓、2007、朝文社
『西田幾多郎』 藤田正勝、2007、岩波新書
『みんな仲良し幾太郎きょうだい』 ふるさと偉人絵本館編集委員会、2007、北國新聞社
『かなざわ偉人物語』第8巻 金沢こども読書研究会、2010、金沢市立泉野図書館
『西田幾多郎の憂鬱』 小林敏明、2011、岩波現代文庫
リンク

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