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常設展

近代日本を支えた偉人たち 【山本 良吉

校長として新しい教育を実践した教育者
山本 良吉 (やまもと りょうきち)
明治4(1871)年~昭和17(1942)年
石川県金沢市鶴間谷生まれ
年譜
年号 年齢 できごと
1871年(明治4年) 0歳 10月10日、金田清三郎の三男として鶴間谷で生まれる。
1878年(明治11年) 7歳 小学校に入学。学区変更で百々木小学校など5回も変わる。
1884年(明治17年) 13歳 石川県専門学校に入学。
1885年(明治18年) 14歳 鈴木貞太郎(大拙)、藤岡作太郎らと雑誌『明治余滴』を発行。
1887年(明治20年) 16歳 第四高等中学校に入学。
1889年(明治22年) 18歳 第四高等中学校を退学し、大谷中学校の教員となる。
1892年(明治25年) 21歳 帝国大学法科大学政治学科選科に入学。後に文科大学哲学科に転科。
1894年(明治27年) 23歳 山本なおの養子となり、金田から山本姓となる。
1895年(明治28年) 24歳 京都府立尋常中学校の教諭となる。
1897年(明治30年) 26歳 静岡県尋常中学校の教諭となる。
1898年(明治31年) 27歳 小沢起久と結婚。
1900年(明治33年) 29歳 京都府立第二中学校の教頭となる。
1908年(明治41年) 37歳 京都帝国大学学生監となる。
1909年(明治42年) 38歳 第三高等学校教授を兼任。最初の修身教科書『中学修身教科書』を発行。
1918年(大正7年) 47歳 学習院の教授となる。
1920年(大正9年) 49歳 欧米における学生生活状況調査のため、アメリカ・イギリス・オランダ・ドイツ・フランス・スイスを視察旅行。
1922年(大正11年) 51歳 武蔵高等学校の教頭となる。
1936年(昭和11年) 65歳 武蔵高等学校の校長となる。
1942年(昭和17年) 71歳 7月12日、死去。

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