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常設展

近代日本を支えた偉人たち 【北方 心泉

明治の書聖
北方 心泉 (きたがた しんせん)
嘉永3(1850)年~明治38(1905)年
石川県金沢市木の新保生まれ
業績

 北方心泉は常福寺の14世住職で、明治時代を代表する書家の一人です。
 本名は「蒙(きざし)」ですが、「心泉」と号し、他にも「月荘」「小雨」「雲迸」「文学禅室主人」「聴松閣主人」などを用いました。
 心泉は、清朝末期に海外布教のため上海に渡り、その地で石碑や拓本に学んだり、文人たちと直接交流したりして、北碑の書風を会得しました。
 心泉の書は、篆隷(てんれい)の書を行書や草書のように自由に書くという意味を込めて、「篆草(てんそう)合体の自由奔放」と称され、見る者を圧倒する書風を確立しました。

心泉の詩稿
 心泉は「我が国の書家はただ筆翰(ひっかん)の美を以て称せられるだけの一技の士である。それ故、私は書僧を以て称せらるを好まぬ。むしろ詩僧を以て称せられたい。」と言っています。
 その時々の心、情感を詠ったものが詩であり、書法を通してそれを紙上に発露させたものが書であるといいます。心泉自身には詩人の自負があったのです。
 

豆知識
 心泉は酒をこよなく愛し、飲むと何にでも字を書きました。晩年、脳出血で右手が不自由になりますが、左手で書作を続けました。

展示品
ゆかりの地
常福寺
北方心泉が住職を務めていた寺で、現在は小将町にあります。心泉記念館もあり、心泉の作品を見ることができます。
真如一実之真海碑
常福寺山門にある北方心泉の書碑です。親鸞の「教行信証」の一節を書いたものです。
麟鳳亀龍碑
卯辰山公園山頂にある北方心泉の書碑です。壮大なスケールで書かれた行書です。
石浦神社標柱(しめばしら)
正面は六朝風偕書で書かれています。側面の日付と著名は偕書ですが、一部に篆書体が混ざる心泉らしい書体です。
石川縣警察部繋剣教授都賀田茂穂先生紀功碑
碑文は書体です。碑文の「繋」は「撃」の誤字ですが、物事にこだわらない心泉の性格からか、そのまま刻まれています。
清水朝之音寿碑(南無阿弥陀仏)
行書で書かれた石碑です。この石碑の横には、心泉の息子・月泉(げっせん)による石碑も建っています。
戸田龍ヶ滝碑(南无阿弥陀佛)
富山県と石川県の境界付近の内山峠にあります。高さ2メートルの自然石に伸びやかな偕書で書かれています。
聖徳太子霊像出土之處
俵原町の熊野神社横の林の中にあります。碑文には、夢のお告げにより太子像が土中より現れたとあり、北國新聞(大正15年3月13日付)によると、太子の像が出現するとの噂に参詣者が多数押し寄せたとあります。
参考文献
『北方心泉 人と芸術』 本岡三郎、1982、二玄社
『かなざわ偉人物語』第2巻 ふるさと偉人絵本館編集委員会、1999、金沢市立泉野図書館
『金沢・常福寺歴史資料図録』 金沢市教育委員会、2001
『北方心泉碑文集 心泉』 北方心泉顕彰会、2004
リンク
  • 法句寺
  • SHINSEN ART
    法句寺は北方心泉によって設立されました。心泉の書を広める活動をしています。

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