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常設展

近代日本を支えた偉人たち 【中西 悟堂

野鳥の父
中西 悟堂 (なかにし ごどう)
明治28(1895)年~昭和59(1984)年
石川県金沢市長町生まれ
年譜
年号 年齢 できごと
1895年(明治28年) 0歳 11月16日、富男の長男として長町に生まれる(自伝)
※戸籍上は1896(明治29)年1月26日生まれとなっている。
1897年(明治30年) 2歳 父・富男は日清戦争の負傷がもとで亡くなり、母は長崎の実家へ戻る。東京にいた父の長兄、中西元治郎の養子となる。
1901年(明治34年) 6歳 麻生区朝倉町の小暮小学校に入学。
1905年(明治38年) 10歳 秩父山中の寺で座行・滝行・断食を行う。これより、虚弱体質から健康児に変わる。
1911年(明治44年) 16歳 神代村(現・調布市)の天台宗深大寺で得度、法名をもらい、戸籍上の名も「悟堂」となる。本郷駒込の天台宗学林第二学年に入学。短歌を作り始め、歌誌『抒情詩』に投稿、掲載される。
1913年(大正2年) 18歳 曹洞宗学林4年に転入。四国愛媛の瑞応寺の僧堂で禅生活に入る。(10月には東京へ戻る。)
1916年(大正5年) 21歳 「中西赤吉」のペンネームで第一歌集『唱名』を刊行。
1920年(大正9年) 25歳 天台宗に復帰。島根県の長楽寺の住職となる。
1922年(大正11年) 27歳 松江市の普門院(小泉八雲が茶を習いに通った寺)の住職となる。第一詩集『東京市』を刊行。
1926年(昭和元年) 31歳 北多摩郡千歳村(現在の世田谷区烏山付近)で火食を断ち、木食菜食生活に入る。虫類や鳥類の観察を始める。
1929年(昭和4年) 34歳 杉並区井荻町(現在の善福寺風致地区)に移り、野鳥の生態観測に取り組む。
1934年(昭和9年) 39歳 3月に「日本野鳥の会」を創設。5月に機関誌『野鳥』を創刊。6月に富士山麓須走で日本で最初の探鳥会を開催。
1935年(昭和10年) 40歳 『野鳥と共に』を刊行。文部省推薦図書となる。これにより、「野鳥」という言葉が世間に定着する。
1951年(昭和26年) 56歳 詠進歌が入選し、宮中の新年歌会始に出席。
1955年(昭和30年) 60歳 白山の生息鳥類の垂直分布調査で55種類の鳥を確認。下山時にダムに転落し、重傷を負う。
1956年(昭和31年) 61歳 霞網猟が禁止となる。
1959年(昭和34年) 64歳 トキの調査のため、羽咋市・輪島市の実地調査。
1962年(昭和37年) 67歳 白山が「国定公園」から「国立公園」に昇格。
1963年(昭和38年) 68歳 「狩猟法」にかわり「鳥獣保護法」の新法律が成立。
1968年(昭和43年) 73歳 『定本 野鳥記』により読売文学賞を受賞。
1970年(昭和45年) 75歳 日本詩人クラブの会長となる。
1971年(昭和46年) 76歳 勲三等旭日中綬章を受賞。琵琶湖の全湖面禁猟を実現。
1977年(昭和52年) 82歳 文化功労者として顕彰される。
1978年(昭和53年) 83歳 金沢市の広坂公園に加賀白山山頂詠歌碑が建つ。
1982年(昭和57年) 87歳 羽咋市の文化会館前に朱鷺の歌碑が建つ。
1984年(昭和59年) 89歳 12月11日、転移性肝臓ガンにて死去。

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