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館内案内

常設展示室

小説家を志して上京し、19歳でデビューを果たして以降、65歳でこの世を去るまでに鏡花が発表した作品は約300編にも上ります。「生涯と作品」「終の棲家―番町の家」「美と幻想の水脈」「鏡花本の世界」をテーマに自筆資料や初版本、こだわりの遺愛品の展示、また代表作のジオラマなどを通して、鏡花の足跡とその作品世界にふれていただきます。

生涯と作品

 鏡花の執筆の様子については、鏡花のもとで文学修業をしたこともあり、鏡花と親しい間柄にあった寺木定芳が次のように記しています。

 「書き始めて漸く陣痛が納って、すらすらと筆が進んでまん中頃になると、再びはたと筆が途絶えがちになる。茲で一二日再び陣痛が来る。それもすんで、又、すらすらと筆が進む。そしていよいよあと十数枚で完結という所へ来ると、必ず筆が又止まって、陣痛が起って来る。そして、およそ世にも不機嫌な顔色の何日かを過ぎて、目出度く完了となるのだった。」
 「執筆の時間は、文士共通の御多分に漏れず、必ず夜間、然も三更人静まってという、夜中からあけ方までゝあった。だから仕事にかゝると、夕方から午後八九時まで寝て了う。そして十時頃から起きだして、暁まで、孜々として想を練り、筆を走らせるのだった。」(「人・泉鏡花」より)

 鏡花は、明治24年10月に尾崎紅葉の門下生となって以降、昭和14年9月に世を去るまで、主に東京と逗子で創作活動に励みました

終の棲家―番町の家

実生活においても、鏡花は独自の美意識に基づき行動していたようです。その様子は、現在残されている鏡花の遺愛品からも垣間見ることができます。

美と幻想の水脈

鏡花旧蔵 摩耶夫人像

 9歳で母を亡くした後、父に連れられて松任・成(現石川県白山市)の行善寺を参詣して以来、釈迦の生母である摩耶夫人像を信仰した鏡花。大正12年9月1日、東京の自宅で関東大震災に遭遇した鏡花は11月、妻をともなって行善寺を訪れ、その後金沢市内の仏師に小さな摩耶夫人像を誂え、その経緯をもとに小説「夫人利生記」を発表しました。鏡花の亡母憧憬を象徴するこの像は、鏡花が亡くなるその日まで、書斎でその執筆を見守り続けました。

「春昼」ジオラマ

 「春昼」は、鏡花33歳のときの作品で、体調を崩して逗子に滞在していたときに書かれた幻想文学の傑作です。のどかな春の午後、古刹岩殿寺へ足をのばした男が寺の住職から不思議な恋の物語を聞きます・・・
前年の夏、この寺には一人の「客人」が逗留していた。ある夜、客人はどこからともなく聞こえてくる祭囃子に誘われて、寺の裏山へと登っていった。すると靄のなかから舞台が現れ、そこへ一人の女性が上がり、客人の方をじっと見た。恋する女がそこにいた!
恋のせつなさが伝わってくる名場面をサウンド入りジオラマでお楽しみください。

鏡花本の世界

 鏡花の描いた美しい作品世界は、それを収めるための手段である本についても、「美しさ」という個性を発揮しました。それら鏡花本といわれている本の装丁は、現在では再現することができないほど凝った作りとなっています。
このコーナーでは、初版本の表紙や口絵などを展示して、その素晴らしさの一端をご覧頂きます。

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泉鏡花記念館

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