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泉鏡花

浪漫と幻想の作家 泉鏡花
 幼い頃に母を亡くした泉鏡花。その作品は亡母憧憬を基底に浪漫と幻想の世界を小説や戯曲という形で紡ぎだしてきました。明治半ばから創作活動を始め、大正、昭和にかけて、300編あまりの作品を生み出した鏡花は、やがて文豪と称えられ、また天才とも謳われるようになりました。「義血俠血」「高野聖」「婦系図」「歌行燈」「日本橋」「天守物語」などまばゆいばかりの傑作の数々は、文学の世界だけでなく、視覚芸術である舞台や映画という手法によっても発展し、現在も人々に愛され続けています。

年表

年度 満年齢  おもな出来事
1873年
(明治6年)
11月4日、金沢下新町23番地に泉家長男として生まれる。
本名鏡太郎。
父清次は彫金師、
母鈴は江戸生まれ、葛野流大鼓師中田猪之助(万三郎のち豊喜)の娘。
1882年
(明治15年)
9歳 母 鈴、死去。享年28。
1890年
(明治23年)
17歳 尾崎紅葉の作品を読み、小説家を志し上京。
1891年
(明治24年)
18歳 10月19日、紅葉宅を訪ね入門を許され、玄関番として住み込む。
1892年
(明治25年)
19歳 京都『日出新聞』に「冠弥左衛門」を連載し文壇デビューを果たす。
1894年
(明治27年)
21歳 父 清次、死去。11月、「義血俠血」を『読売新聞』に連載。
1895年
(明治28年)
22歳 「夜行巡査」、「外科室」を発表し、新進作家として認められる。
1899年
(明治32年)
26歳 硯友社の新年宴会にて伊藤すゞ(のちの鏡花夫人)と出会う。
1900年
(明治33年)
27歳 名作「高野聖」を発表。
1903年
(明治36年)
30歳 10月30日、紅葉死去。その後自然主義の圧力が強まる。
1905年
(明治38年)
32歳 夏、健康を害し、逗子に転地療養。3年半に及んだ。
1907年
(明治40年)
34歳 「婦系図」を『やまと新聞』に連載。
1909年
(明治42年)
36歳 2月、東京へ帰京。4月、文芸革新会へ参加。
1937年
(昭和12年)
64歳 6月、帝国芸術院会員となる。
1939年
(昭和14年)
9月7日死去(享年65)。東京の雑司ヶ谷墓地に埋葬される。

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