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ブログ(2017年9月)

2017年9月

「写真で見る戦後の金沢」7.パノラマ写真編
2017年9月29日

 パノラマ写真は通常より広い範囲を撮影した写真のことですが、今回の展示では複数回に分けて撮影したものを合成して紹介します。


 上の写真は昭和36年頃(1961)に、寺町の寺院から犀川大橋~片町・香林坊~広坂を撮影したものです。現在の写真と見比べてみると、大きなビルがあまりなく、見通しがよかったことが分かります。当時は町家が多くあり、寺町から見ると瓦屋根が黒光りしてまぶしいくらいだったそうです。

 3枚目(左)は片町にあった大和付近を拡大したものです。当時は片町の近代化が進められており、ビルが目立ってきていますが、手前には町家が連なり木々がたくさん見えてのどかな雰囲気があります。
 4枚目(右)の現在はビルにすっかりとりかこまれて、かつての大和がどこにあったか分からなくなるほどです。

 5枚目(左)は犀川の河原を拡大したものです。大型の機械で砂利を掘り出しているように見えます。当時は河原に遊歩道は無く、2年後の昭和38年(1963)10月に県政90周年事業として犀川右岸の緑地帯が作られ、約400メートルの遊歩道が作られています。その後昭和40年まで緑地帯の工事は行われ、下菊橋~犀川大橋周辺まで緑地帯がつながりました。
 6枚目(右)の現在では犀川の両岸に河川敷があり、人々の憩いの場となっています。犀川も変わらないようで少しずつ景観が変わってきているのです。

レンタル着物で撮影がありました
2017年9月27日


 先日、市内の着物レンタル店による新プランのイメージ撮影がありました。
 大正時代の着物と当時をイメージした髪形で、レトロな雰囲気を楽しめるプランだそうです。全国の観光地でレンタル着物の人気が高まっていますが、伝統ある建物や町並みが残る金沢に映える装いということです。


 大正から昭和初期にかけての着物は鮮やかな色づかいや洋装のような柄デザインが特徴で、明治時代の建物を再利用している当館の建物と雰囲気がとても合います。建物の外観だけでなく、玄関まわりや階段などで撮影が行われました。

 2階の体験ルームでは昔の道具にふれたり記念撮影ができますが、写真のように足踏みミシンや電話も小道具として使用可能です。なお、窓のブラインドは撮影のため特別に巻き上げていますが、ふだんは下ろしてありますので、ご了承ください。
 このほか1階に赤い座敷などもありますので、館内を巡りながら記念撮影していただければと思います。

「写真で見る戦後の金沢」6.航空写真編
2017年9月21日


 航空写真は広い範囲の建物を撮影することができるため、写真に残りにくい裏通りなどの街並みの様子も知ることができます。

 1枚目は昭和34年頃(1959)に撮影されたものです。本町の上空あたりから金沢駅方向にカメラを向けています。
 当時は駅周辺にしか大きなビルがなく、金沢都ホテルができたのはこの後の昭和38年(1963)のことでした。

 2枚目(左)は金沢駅周辺を拡大したものです。バスターミナルは道路を挟んだ所にあり、駅周辺にはあまり車の姿が見られません。
 3枚目(右)は駅西周辺を拡大したもので、田んぼが広がり、その間に住宅が並びます。手前は国鉄の線路の一部が写っており、転車台(回転させて方向転換)などがありました。

 4枚目は昭和48年(1973)に撮影されたものです。近江町市場の上空あたりから金沢駅方向にカメラを向けています。
 中央に写っている大きな建物は「金沢スカイビル(現・めいてつエムザ)」です。よく見ると工事中のため、完成する直前に撮影されたと思われます。
 周囲にはビルがあまりないため、金沢スカイビルがひときわ高く感じられます。当時は金沢駅と武蔵ヶ辻を直線で結ぶ道路がなく、写真のように家がたくさん建っていました。

 5枚目(左)は金沢スカイビルの斜め前にあった「丸越」周辺を拡大したものです。丸越は昭和48年(1973)10月1日に「金沢名鉄丸越百貨店(現・めいてつエムザ)」として移転し、跡地は昭和56年(1961)に「ダイエー金沢店」が入りました。平成17年にダイエーが閉店した後は更地になり、平成26年に「ル・キューブ(かなざわはこまち)」がオープンしました。
 6枚目(右)は金沢駅周辺を拡大したものです。駅西(写真上部)に50m道路が作られ、周辺の家も増えており、開発されていく様子がわかります。駅の西口(現・金沢港口)ができるのは昭和60年(1985)のことで、当時はまだありませんでした。

「写真で見る戦後の金沢」5.武蔵ヶ辻・横安江編
2017年9月15日

 金沢駅から中心地へ向かう時に多くの人が通る「武蔵ヶ辻」交差点。庶民の台所である近江町市場もこの一角にあります。

 1枚目(左)は武蔵ヶ辻交差点(南西側)で、昭和20年代後半に撮影したものと思われます。
 信号設置前のため、警察官が中央に立って誘導しています。香林坊交差点では中央部に市電のポイント切り替え(半地下)を設置していましたが、武蔵ヶ辻交差点では北東側に塔を立てていたため、このような風景になったようです。
 右奥に写る「田守呉服店」は昭和31年(1956)に廃業し、跡地には広告看板が並んだ時代もありました。
 2枚目(右)は同じようなアングルで撮影しましたが、「めいてつエムザ」ができたのは昭和48年(1973)のことで、1枚目に写っていた多くの店が姿を消しました。

 3枚目(左)は昭和31年(1956)に撮影された近江町市場です。現在のように整備される前の雰囲気が伝わります。4枚目(右)の昭和48年(1973)の航空写真は近江町市場付近を拡大したものですが、アーケードにそって多数の家が並んでいるのが分かります。

 5枚目(左)は横安江町商店街です。昭和34年に長さ330メートルのアーケードが完成し、6枚目(右)のような風景になりました。天気の悪い日の多い金沢ではアーケードは欠かせないものでしたが、平成17年に撤去されました。

「写真で見る戦後の金沢」4.広坂編
2017年9月9日

 「広坂」は兼六園と香林坊を繋ぐ大通りであり、市役所などが並びます。

 1枚目(左)は広坂にあった県庁です。昭和40年(1965)頃に撮影したものと思われます。鞍月への移転に伴い平成14年に閉庁しましたが、庁舎の一部が「しいのき迎賓館」として残り、周辺にあった建物は取り壊されて公園に整備されています。

 2枚目(右)は広坂の大通りです。当時はまだ市電が走っており、人々が道の両端を歩く姿が見られます。現在のように道路が拡張されるまでは、植木の部分まで四高(後の金沢大学)や県庁の敷地であり、今よりもずいぶん道幅が狭かったようです。

 3枚目(左)は広坂交差点付近を昭和20年代に撮影したもので、郊外のような雰囲気を感じます。4枚目(右)は同じようなアングルで撮影しましたが、左側の兼六園の木々が生長してよりうっそうとしています。


 5枚目は3枚目の左手前に写っていた「テニスコート」を昭和40年代に撮影したものです。昭和22年(1947)に石川県で開催された第2回国体に合わせて作られました。現在はいもり堀となっています。
 この近くには石川県体育館(現・玉泉院丸庭園)や兼六園球場(現・本多の森ホール)があり、かつては中心地に多くのスポーツ施設がありましたが、現在は郊外に移転しています。

「写真で見る戦後の金沢」3.片町編
2017年9月1日

 金沢最大の繁華街「片町」は昼も夜も多くの人で賑わう町であり、大通りだけでなく裏通りにも様々な店が並んでいます。

 1枚目(左)は昭和32年(1957)に、香林坊交差点の魚半ビルの屋上から片町大通りを撮影したものです。左手前の「松屋時計店」には松竹座の映画看板があり、この年に公開された「禁男の砂」の文字が見られます。

 2枚目(右)は1枚目の当時片町にあった「大和」付近を拡大したものです。大正12年(1923)に金沢初の百貨店「宮市百貨店」として開店し、昭和5年(1930)に「宮市大丸」、昭和18年(1943)に「大和」となりました。昭和31年(1956)に増築したのが写真の姿です。建物内には映画館があり、屋上には遊園地がありました。
 昭和61年(1986)に「香林坊アトリオ」に移転し、残った建物は「ラブロ片町」となりましたが、平成26年3月に閉店して取り壊されました。跡地は現在「片町きらら」となっています。

 3枚目(左)は昭和41年(1966)4月の「香林坊片町近代化完成」記念で撮影されたものです。町家がビルに変わり、道路も拡張されて片側アーケードが設置されています。この近代化事業は8年の歳月と約50億円の費用をかけて行われ、現在の大通りの景観に引き継がれています。

 4枚目(右)はスクランブル交差点の南西側で、右側のビル「寿会館」(現・elleビル West)はビアガーデンなどがあったそうです。このようなビルのネオンも近代化によって登場し、夜の片町を彩っています。


 5枚目は現在の片町大通りで、1枚目と同じようなアングルで撮影しています。

 ビルの高層化が進み、店の入れ替わりも多い片町は市内で最も変貌をとげている場所とも言えます。

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