概要

開館時間

9:30~17:00
(入館は16:30まで)
休館日 展示替え期間、
12/29~1/3

入館料

一般 300円
団体
(20名以上)
250円
65歳以上・
障がい者手帳をお持ちの方およびその介護人
200円
(祝日無料)
高校生以下 無料
くらっしー&さんちゃん

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三尖塔校舎

 博物館の建物は、明治32年(1899)に石川県第二中学校の校舎として建てられました。入り組んだ屋根、玄関の車寄せ、上げ下げ窓、胴蛇腹、ランプ吊りなど、明治時代の西洋風木造学校建築を今に残した貴重な建物です。
 この「二中」と前後して建てられた「三中」(石川県第三中学校、現・七尾高校)、「四中」(石川県第四中学校、現・小松高校)の校舎と内部構造、そして前庭の植え込みもほぼ同様に作られましたが、屋根に尖塔があるのは金沢二中だけです。
 左右両翼の尖塔、そして正面玄関の上にある屋根を尖塔に見立て、金沢二中時代から「三尖塔校舎」と広く呼ばれてきました。
 学校時代には講堂などの建物が多数ありましたが、現在は本館のみが残されています。昭和49年(1974)に金沢市の文化財に指定され、平成11年(1999)に石川県有形文化財の指定を受けています。


入り組んだ屋根

玄関の車寄せ

上げ下げ窓

胴蛇腹(1階と2階の境)

ランプ吊り

階段

廊下

透かし彫り

避雷針

なお、「四中」の校舎も現存しており、小松高校の記念館として公開されています。

金沢二中

 石川県第二中学校は明治32年(1899)4月に創立されましたが、当初は兼六園内にあった県勧業博物館を校舎としていました。同年9月に三尖塔校舎が完成し、授業が行われました。当時は本館、そして便所などが渡り廊下でつながれていましたが、200名以上の生徒を収容するには不十分でした。明治35年(1902)に階段教室や生徒控所が完成し、さらに講堂などが次々と作られていきました。
 金沢市内の中学校には本多町の「一中」、大樋町の「三中」(大正11年に小坂村に創立後、移転)があり、特に一中は最大のライバル校であり、学業やスポーツで競い合いました。また、二中は自由かっ達、個性豊かな校風で知られていました。
 しかしながら、戦後の学制改革で旧制中学校(5年制)は廃止になり、新制高校(3年制)に引き継がれることになりました。このため、昭和23年(1948)3月をもって、二中は廃校となりました。後継校の錦丘高校が創立されたのは昭和38年(1963)で、二中の校歌の「紫錦が陵(にしきがおか)の学窓に」から校名がつけられました。
 なお、残された校舎は昭和23年4月から昭和45年(1970)まで金沢市立紫錦台(しきんだい)中学校の校舎として活用されました。このため、三尖塔校舎は今も紫錦台中の敷地内にあり、校門を入った正面に立地しています。

略年表

区分 年号 西暦 事柄
金沢二中 明治32年4月 1899 石川県第二中学校創立
石川県勧業博物館を仮校舎とし、授業開始
明治32年9月 三尖塔校舎において授業開始
明治34年5月 1901 石川県立第二中学校と改称
明治35年2月 1902 特別教室、生徒控所新築落成
明治40年3月 1907 石川県立金沢第二中学校と改称
明治42年9月 1909 皇太子(後の大正天皇)来校
明治44年6月 1911 講堂(至敬堂)新築落成
昭和23年3月 1948 金沢二中の新中学転用決定(廃校)
紫錦台中 昭和23年4月 1948 金沢市紫錦台中学校創立
昭和30年代半ば ベビーブームで生徒が急増し、教室が不足
昭和38年1月 1963 三八豪雪で体育館が傾く
昭和45年9月 1970 新校舎完成
博物館 昭和49年 1974 金沢市から文化財の指定
昭和53年6月 1978 金沢市民俗文化財展示館開館
平成11年 1999 石川県有形文化財の指定
平成18年4月 2007 金沢くらしの博物館と改称
平成27年10月 2015 建物の耐震工事開始
平成28年10月 2016 リニューアルオープン

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金沢くらしの博物館〒920-0938  石川県金沢市飛梅町3-31(紫錦台中学校敷地内) TEL / FAX:076-222-5740
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