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講座「犀星」

これまでの講座


第71回講座「犀星」 『室生とみ子の原稿を読む―七尾での教員生活』
 犀星の妻となる以前のとみ子の教員生活について、当館に所蔵する、未発表のとみ子による自筆原稿を読みながら、たどりました。教員免許を取得したとみ子は女学校を中退し、大正元年、17歳で能登七尾の小学校に赴任しました。題が付されていないこの原稿は、病に倒れた後、おそらく50歳のころに書かれたものですが、初めての下宿、教員としての日々、子供たちや教員同士の交流など、若き日のはつらつとした職務への気概と、文学や音楽への強い憧憬が滲み出ていました。犀星の妻だっただけではなく、とみ子にも教員として、文学少女として輝いた日々があったことを再認識しました。

(学芸員 嶋田亜砂子)
平成30年5月26日(土)

第70回講座「犀星」 『犀星の戦争詩を考える』
 犀星には戦争を詠んだ数十編の詩があります。『つくし日記』(昭17)の「臣らの歌」(9編)『美以久佐』(昭18)『日本美論』(昭18)『余花』(昭19 「詩集 千代よろづ世」32編)等が対象として挙げられます。尤も、『日本美論』の詩は日本人の美意識に着目したもので、直截には戦争は謳われませんが、背景に戦争の旋風が渦を巻いていたと詩人は言っています。「ペンと剣」という詩には「ペンをまもることは/己をまもりつゞけることに外ならない」という詩行があり、それが詩人の武器であったと述べています。
 確かに、「マニラ陥落」「シンガポール陥落す」と言うような勇ましい詩もありますが(『つくし日記』)、概して言えば、犀星の戦争に関わる詩は平板で戦意高揚、国威発揚というようなプロパガンダ詩とは一線を画するように思います。この点で時代を代表した詩人は高村光太郎や三好達治であって、『大いなる日』(昭17)『をぢさんの詩』(昭18)『記録』(昭19)や『捷報いたる』(昭17)『寒柝』(昭18)『干戈永言』(昭20)で犀星詩との違いを指摘しました。抽象的な観念や概念というものから犀星は遠く、富岡多恵子はそれを「インテリ」と「庶民」の対比で説明しています。確かにそれを肯うように犀星は「戦争といふもののいのちの別れめや、それがいかに小さなものに影響してゐること、そして国民生活の呼吸づかひなども挙げられるべきであつた」(「詩歌小説」)と述べています。日常の現実や庶民の生活に密着した視線こそ犀星の手放さなかった武器です。「見えすいた嘘や歯の浮くやうな宜い加減なことは勿論、ありもしないことは一行も書けない男であつた。」(「神国」)と述べている通りです。
 犀星の戦争期の詩を論ずる難しさは、これらの一見、戦争と無関係と思える詩篇をどのように位置づけて論ずるかにかかっています。戦時を生きる庶民の息づかいや苦悩、喜び、つまり、時代的共生感がそこに謳われており、これはその時代を生きた人間にしか分からないものでしょうが、この感情や思いを今一度、確認することが今を生きる我々にとって重要に思われます。確かに、『室生犀星全詩集』(昭37)に収録する際に、犀星は『美以久佐』の戦争詩篇を「心のにごり」を見たくないからの理由で全編削除しましたが、好戦的な詩は数編あるものの、それ以外の詩も多く、戦争の時代をどのように詩人が受け止めて生きてきたかを知る上でとても大切な作品群です。どのようにこれらを位置づけるかを現代の我々は問われているのです。
(館長 上田正行)
平成30年1月27日(土)

第69回講座「犀星」 『見果てぬ夢~詩人小畠貞一の生涯』
 開催中の企画展関連講座として、小畠貞一とその詩についてお話いただきました。生い立ちをひもとき、厳格な父との生活に思いを馳せ、父との確執が進路問題から深刻化し、貞一の文学生活に大きな影響を与えたこととの関連を考察されました。
 貞一の詩については、はじめは犀星を追いかけるように詩風が変化していきましたが、やがて枯淡な詩を書くようになり、さらには新しい境地を模索するようになったことについてお話されました。とくに大手拓次の、日本的な伝統から隔絶した詩に強く惹かれていたといいます。詩の新境地である「私の最後の世界」を夢見、目ざした貞一でしたが、病魔を克服することができずに、その夢は叶わないままに54歳の生涯を閉じました。
(室生犀星学会会員 森 勲夫氏)
平成29年12月9日(土)

第68回講座「犀星」 『優しい人―犀星 ―ジェンダー・バイヤスを越境―』
講師に渡邊澄子氏(大東文化大学名誉教授)をお迎えし、特別講座を行いました。
平成29年10月14日(土)

第67回講座「犀星」 『犀星と猫』
 犀星の作品に登場する猫の描写と、実生活における猫との関わりについて、お話しました。
 俳句に猫が登場することは意外にも少なく、他愛のないものばかりでした。
 「短夜や猫の子を生む納屋の隅」は、18歳のときの句です。
 詩は14篇紹介し、自身の悩みや悲しみを投影させた猫(「愛猫」「深空」「猫」)、大切な守るべき、高貴なものとしての猫(「クリスマス前夜」「たそがれの市街」)、情欲の深さを象徴する猫(「神」「雪くらげ」)などがありました。
 小説「結婚者の手記」や「愛猫抄」には、妻の深すぎる愛情によって、夫に疎まれる猫が登場します。猫への「執念深い愛」(「愛猫抄」)は精神を浪費しすぎるために、霊的な現象を引き起こす存在として描かれています。
 実生活においては、下宿で飼った子猫、金沢から連れ帰ったツマロとの別れ、軽井沢で拾ったほくろのあわれな事故死、カメチョロへの哀悼など、さまざまなエピソードを紹介しました。犀星が猫を愛するのは、その肢体が柔らかく、毛並みが美しいからで、それ故にいじりすぎて大抵嫌われてしまうといいます。また、猫はずるいほどよいといいます。
(学芸員)
平成29年9月9日(土)

第66回講座「犀星」 『我が愛する詩人の伝記』を読む 「佐藤惣之助」
 最終回の佐藤惣之助は不幸な詩人です。世間によく理解されなかった詩人という意味もありますが、犀星が愛情を込めて書いた佐藤の項が遺族の反対で単行本に載らなかったことです。愛情を理解するということはかくも難しいことかと改めて思い知らされます。犀星は惣之助の意を汲み昭和18年に3巻の惣之助全集を編みますが、22冊ある詩集のほんの一部と僅かのエッセーを収めたに過ぎませんでした。今以て戦中、多くの戦争詩と多くの流行歌を書いたという理由で完全な全集が出ていません。詩の仕事も通俗と見なされていますが、絢爛たる言葉の世界は朔太郎や金子光晴から早くに注目されていました。
 我が犀星も改めて惣之助の詩に対し、「田舎の女」「我身知らず」「棒きれ」「女王の船」「鋳掛師」「龍」「私の家」「必死の男」の8篇の詩を引用しています。驚いたのは「我身知らず」です。犀星が引用している詩は14行で完結していますが、実際の作品は200行を越える長編詩です。(抜き書)と犀星が断っている通り、適当に原詩から抜粋したものです。すべてを受け入れることの天才のような女性を書いて、大正期ヒューマニズムの典型のような詩ですが、犀星はそれを14行でまとめているのです。同じく俳句から出発した二人の詩人ですが、惣之助にとって俳句は省略の文芸では無かったようです。言葉が無限に増殖していく世界は白秋にも喩えられますが、全く、別の世界を構築していたようにも思われます。遺産相続云々よりも、違った角度で惣之助の世界を、小説も含めて見直す必要がありそうです。堀辰雄、津村信夫、百田宗治の3人が残りました。又、機会があれば。
(館長)
平成29年2月25日(土)
第65回講座「犀星」 『我が愛する詩人の伝記』を読む 「千家元麿」
 今回は千家元麿でした。元麿と言えば、子供を扱った詩や「自分は見た」の詩で馴染みの方も多いかと思います。分かり易いということで親しまれましたが、その詩の意義については必ずしも充分、理解されているとは言えません。しかし、近くに居た犀星はその詩の本質に見事に迫っています。多くの作品を引用し的確なコメントを付しているのは流石です。
 第一詩集の『自分は見た』(大7・5)が出た大正7年は注目すべき年です。『愛の詩集』『自分は見た』『抒情小曲集』『風は草木にささやいた』と注目すべき詩集が次々と刊行され、新しい詩の時代の到来を思わせます。前年には朔太郎の『月に吠える』が出ており、「感情」詩派と「白樺」系の人道主義の詩が時代をリードしようとしていた事が分かります。時代も大正6年のロシア革命、7年の米騒動、「新しき村」の建設という具合に大きく動こうとしていました。漸く民衆が歴史の表舞台に登場してきたのです。その意味で「民衆」詩派が詩話会(大6~15)の中心となってこれをリードして行ったのは必然かも知れません。
 しかし、民衆の時代にあって詩の世界で誰が最も民衆的であったかは、その詩集が雄弁に語っています。犀星、元麿、暮鳥が最もヒューマンな詩人であったことは中野重治、武者小路実篤、長与善郎等が語ってくれています。『自分は見た』はそのことが明瞭に分かる詩集です。巻頭の「車の音」はそれまで詩の素材とも対象ともならなかった「肥車」を詠んだ詩です。天からの使いの如く木の輪の音を立てて早朝に押し寄せる無数の車を「喜びの歌」「朝の歌」と歓迎し、是を自動車、汽笛、機械という文明の音に対置しています。「倫敦塔」の漱石とも近いのですが、この文明へのアパシーが逆に疎外されていく人間性への傾斜となって詩に現れているとも言えます。「月の光」の比喩の見事さ、「冬枯の空に桜は彼女の飾りの無い髪を編んで」(「桜」)という1行に感嘆した犀星の批評の的確さ。冬枯れの桜の枝に美を認める元麿の美意識や人間性には考えさせられるものがあります。
 「自分の幸福が堪えられないやうに見える」と長与は千家を評し、「最も深い意味に於て千家は民衆の心と一心同体になつてゐる」と述べているのは、千家の本質を見事に突いています。出雲大社の宮司の家系という重荷故に、それらから自由でありたかった願望が千家という類い稀な詩人を作り上げたのかも知れません。
(館長)
平成29年1月14日(土)
第64回講座「犀星」 『我が愛する詩人の伝記』を読む 「山村暮鳥」
 暮鳥は犀星、朔太郎とは深い関係の詩人です。共に「卓上噴水」を出し、「感情」でも一緒でした。しかし、暮鳥は生涯、福島や茨城に住み、あまり上京しなかったので、意志の疎通という面では二人とやや隔たりがあったようで、「感情」を途中で抜ける理由にもなったようです。暮鳥の大きな特質の一つとして指摘されるのは基督教の伝道者であったという点です。文学と宗教という矛盾の中に身を置き、詩を書き続けることで次第に基督教者としての位置も危うくなり、ついに教会から離れて行くことになります。
 朔太郎は暮鳥をさして「基督を信じない基督教の伝道者」と言い、犀星は「芸術的宗教を奉じた側の人」と呼んでいます。暮鳥の中で文学と宗教はどういう関係にあったのかということが問われるわけですが、それの重要な答えが『聖三稜玻璃』(大4・12)という詩集です。始め『聖プリズム』というタイトルでしたが、これがこの詩集を考える場合の重要なヒントになります。プリズムを通して見れば世の凡ての物象は変形して見えます。これは見方を変えれば、文学と基督教という激しいせめぎ合いがあったればこそ、暮鳥にだけ見えた幻想の世界であったのでしょう。「今世紀にはあまりに早き出現である、千年万年の珍書である」と豪語した暮鳥の自信もよく分かります。
 しかし、残念ながら朔太郎や犀星を除いては全くと言っていいほど理解されませんでした。『聖三稜玻璃』の近代性や現代性を個々の作品に当たりながら、また、「魚」も出てくるので犀星、白秋、朔太郎の作品とも突き合わせながら、その意味を考えました。
(館長)
平成28年11月26日(土)
第63回講座「犀星」 朗読とお話 
 朗読 室生犀星「情痴界隈」 押野市男
 お話 当館学芸員
 押野市男さんが犀星の小説「情痴界隈(じょうちかいわい)」を朗読しました。
 痴情のもつれで未決監(留置所)に入れられた作曲家の男が、どうしてこうなったのか、回想する物語です。最後に、カネタタキが登場し、ちん、ちん、ちんという声がかすかな幸福感をもたらしてくれます。この小説は、陥れられてスキャンダルを起こし、未決監に収容されたことのある北原白秋を連想させます。
 さらに童話「二人のおばさん」を朗読しました。犀星が子供の頃にお世話になった近所のおばさんとの交流を書いたものです。
 途中、北原白秋の童謡を参加者も一緒に歌い、盛り上がりました。
 初めと終わりに、学芸員が少し解説をつけました。
(押野市男氏・学芸員)
平成28年9月10日(土)
第62回講座「犀星」 朗読とお話 
 朗読 室生犀星「鮠(はや)の子」 押野市男
 お話 当館学芸員
 犀星晩年の小説「鮠の子」を、当館解説ボランティアの押野市男さんが朗読しました。この作品は、犀川下流の川の中を舞台に、鮠(はや)と呼ばれる魚たちが生殖本能と運命と使命感に突き動かされ、翻弄されながら、前へと進んでいく物語です。メスの美魚「鮠子」と4尾のオスが人生をかけた真剣勝負を繰り広げます。50回以上も読み込んだ押野氏の熱の入った朗読に、参加者一同、引き込まれました。
 朗読の後、学芸員による解説があり、犀星がなぜ魚を特別に愛するのか、結論は出ませんでしたが、若い頃からの詩や小説を紹介しながら、魚への思いに迫りました。
(押野市男氏・学芸員)
平成28年5月28日(土)
第61回講座「犀星」 「蜜のあはれ」考―犀星版異類婚姻譚
 今回は映画で評判になっている「蜜のあはれ」を取り上げてみました。特に原作では登場していない芥川の存在から話を始めました。犀星は芥川にコンプレックスを抱いていたかも知れませんが、その行きついた所は全く違っていたということを説明しました。「河童」という知のどんづまりのような作に対して、犀星の方がはるかに自由で、開かれた地平に居たということです。
次に変身譚、異類婚姻譚からこの作に迫ってみました。変身譚はギリシャ、ローマ時代からあり、中国にも多くの類話があり珍しくはありません。自分以外の何かになってみたいという詩人の願望や夢が金魚の女性を作り上げているのでしょう。異類婚姻譚の一つに魚女房があり、この変形譚のように金魚が老作家に嫁いでくる物語とも読めます。タブーを男が犯すのではなく、金魚自らが命を絶つように書かれている点が昔話と大きく違う点です。一見、新しいように見える「蜜のあはれ」ですが、話型としては古い民潭の踏襲と言えるでしょう。
 作品では金魚にまつわる中国の故事が多く引用されています。何に拠ったのかは明確ではありませんが、中国の文化として時間をかけて金魚が人工的に飼育されてきた歴史の背景があります。そういう文化への敬意がこの時期の犀星に強く働いており、それが優美で自在の金魚を生み出しているのでしょう。
 作品では一尾の金魚が燃えながら死を遂げるまでを書きたかったと犀星は述べていますが、この自己犠牲の象徴のような女性の鮮烈な生き方をこそ、書きたかったのではないかと思います。とすると、派手な金魚の背後に隠れて目立たない田村ゆり子こそ、その女性ではなかったかとも思います。既に指摘があるように、「鶴白く」で書かれ、その最終章の「無名の詩集」でその死が悼まれている女性への挽歌、鎮魂歌として、この作は書かれているとも言えましょう。多くの女性がその背後にいるのですが、「蜜のあはれ」という生き方を象徴する女性が田村ゆり子であったと言えるかも知れません。
(館長)
平成28年4月23日(土)
第60回講座「犀星」 朗読と解説 
 朗読 室生犀星「夕餉」(『作家の手記』より) 押野市男
 解説 「犀星の思い出の味」          当館学芸員
 犀星の書き下ろし自伝小説『作家の手記』より、「夕餉」を、当館解説ボランティア押野市男さんが朗読しました。母の留守中に、他の家族が結託してこっそり御馳走を食べた、というお話です。参加者はたっぷりと作品世界に浸り、ときおり笑いも起こる楽しい会となりました。犀星が育った家の食事風景、人間模様、犀川べりの様子など、具体的なイメージの感じられる体験となりました。
 朗読の後の学芸員による解説では、犀星の少年時代、金沢での食事は精進の日ばかりで、魚や肉を食べられない日が多かったこと、各家庭では漬物や乾物などで一年分の保存食を用意していたこと、夏の夕方にはどじょうの「かばやき」を買いに行くのが子供たちのお使いだったことなどをお話ししました。
(押野市男氏・学芸員)
平成27年11月21日(土)
第59回講座「犀星」 『田端でつながる縁-犀星と彫刻家田嶼碩朗(たじませきろう)』
 開催中の企画展「犀星と田端文士村」に登場しています、犀星の4人の隣人たちについてお話ししました。
 「後の日の童子」や「戦死」ほか、いくつもの小説のモデルとなり、実際に室生家で大変可愛がられていた田嶼碩通少年のこと、その姉圭子と金沢出身の法学者高柳眞三が室生家で出会い結婚に至ったこと、姉弟の父親田嶼碩朗が北海道大学構内のクラーク像をはじめ多数の作品を製作した福井県三国町出身の彫刻家であったこと、そのクラーク像製作にあたり、犀星が田端に住むロシア人ワシリー氏をモデルとして紹介したこと、そのワシリー氏との哈爾濱での再会についてなど、田端という地を舞台につながる心温まる交流についてお話ししました。
(学芸員)
平成27年10月17日(土)
第58回講座「犀星」 『田端文士村と金沢ゆかりの人びと』
 ふるさと偉人館の学芸員、増山仁さんに、田端文士村と金沢との関わりについて、お話していただきました。
 東京都内には馬込、阿佐ヶ谷、落合などのいくつかの「文士村」がありますが、田端は最も古く、明治時代中期に芸術家が工房を構えたことに始まりました。その中心となった陶芸家板谷波山は、茨城の生まれですが、金沢の工業学校の教師をしていた時代に彫刻から陶芸に転向し、石川で陶芸の技術を身につけています。金沢に生まれた吉田三郎は波山を慕って田端に住み、その友人である犀星がまた田端に住むことになります。
 お話の他、田端にあった波山の窯や、吉田三郎の作品などの写真を映写していただきました。
(金沢ふるさと偉人館学芸員 増山仁氏)
平成27年9月26日(土)
第57回講座「犀星」 『我が愛する詩人の伝記』を読む 「島崎藤村」
 今日はこの講座の最終回で藤村を取り上げました。雑誌の連載中は6回目で藤村に言及しているのですが、単行本の段階では最後に藤村を載せています。日本近代詩の出(い)で来(き)初めの親、あるいは近代詩の母とも言われる藤村は何を置いても真っ先に取り上げるべき詩人です。それが何故、最後になったのかという所から始めました。
 詩人の説明では自分が詩を書こうとした時には藤村は既に古かったということのようで、その詩から特別の恩恵を蒙らなかったとのことです。むしろ、その小説から学ぶものが多かったと言っています。しかし、『愛の詩集』も詰まるところは『若菜集』に淵源があります。『みだれ髪』また然りです。そこで浪漫主義の起源と言われるこの詩集の意義に迫ってみました。
 合本『藤村詩集』(明37)の序に注目し、そこで指摘された「近代の悲哀と煩悶」「わが歌ぞおぞき苦闘の告白なる」「新しき言葉はすなはち新しき生涯なり」の言挙げが、時代的、個人的にいかなる意味を持っていたかを考え、『若菜集』始め、四詩集の意義に触れました。その過程で『みだれ髪』にも、また影響を受けた四高寮歌についても触れました。そして、改めて『若菜集』が果たした時代的役割について考えました。
 12人の詩人の内、半分の6人しか触れることが出来ませんでしたが、いつか、残りの6人の詩人についても語る機会があればと願っています。
(館長)
平成27年3月14日(土)
第56回講座「犀星」 『我が愛する詩人の伝記』を読む 「立原道造」
 本日は立原道造の話をしました。犀星はどういう訳か可愛がったこの年下の友人の命日を間違って覚えていました。昭和14年3月29日が立原の命日ですが、これを26日と書いています。亡くなってすぐに出た「四季」の追悼号では、四月になって一週間も経たずに亡くなったとも述べています。この犀星の錯覚から立原を捉えるとどうなるか。
 立原は犀星に限らずにかなり、誤解されて理解されている詩人とも言えます。夭折の詩人というイメージが付きまとい、どこかに未成熟、未完成の詩人という思い込みがあります。それはいいとしても、ここから「あまっちょろ過ぎる世界」(犀星)、気分だけの世界というような批評もついて回りますが、親しかった友人達の声を聞けば、彼の詩が理知的、技巧的であり決して、曖昧で非論理的なものではなかったことが分かります。
 有能な建築家であり、かつ、音楽に造詣が深かったそのセンスは『萱草に寄す』(昭12)『暁と夕の詩』(昭12)の製本やソナチネ、ソナタ形式の詩型にもよく現れています。建築を組み立てるように形式を整え、次に内容の詩の言葉を組み立てて行くその方法は正に職人的でスキがありません。
 立原は犀星の『愛の詩集』から出発した詩人であり、昭和の新しい『愛の詩集』を目指していたことは間違いなく、どのようにその愛を形象化して行ったかを跡づけました。
(館長)
平成27年2月28日(土)
第55回講座「犀星」 『我が愛する詩人の伝記』を読む 「釈迢空」
 〈わが心 きずつけずあれ〉の詩句で知られる釈迢空を取り上げました。犀星も指摘している額の痣を汚点としてだけではなく、「聖痕」(ステイグマ)として捉えることの重要性を指摘しました。矛盾するものの同居がこの詩人を考える時に大切で、その象徴が折口信夫と釈迢空という二つの名前の存在です。特に釈迢空というペンネームは法名(戒名)であって、23才から使用し始めたことの意味は何であったのか、これを巡り、「わが子・我が母」「留守ごと」等のエッセーや「口ぶえ」「死者の書」の短編を中心にその謎に迫ってみました。藤原南家郎女が大津皇子と阿弥陀仏を重ねて幻視した時に観念の世界で二つの魂は合一を果たしたので、その証のように曼荼羅の絵が完成します。しかし、それも白日夢であったかも知れません。断念を通して、永遠の否定生を以て現実に対する点では迢空は典型的なロマン主義者です。しかし、その詩や短歌には底知れないような悲しみや寂しさがあって、これがどこから来るかはよく分かりません。と同時に激しい怒りもその作品にはあり、特に戦後の作にそれが顕著です。三島由紀夫の言などを参考にその謎に迫ってみましたが、十分とは言えませんでした。資料をかなり配布しましたので、それをも参考にしながら、この希有な詩人の謎に迫ってみてください。
(館長)
平成27年1月17日(土)
第54回講座「犀星」 『我が愛する詩人の伝記』を読む 「萩原朔太郎」
 今日は生涯の盟友であった朔太郎について話しました。
 特に二人との出会いと、『月に吠える』(大6.2)の意義、破婚に至った朔太郎の家庭生活等が中心でした。二人の出会いは神話化されていますが、特にインパクトを受けたのは朔太郎の方で「犬殺し」のような無頼の徒に直感的な真実を見て取り、その愛魚詩篇を純粋な愛より生まれた「光明体」と名付けました。しかし、これは朔太郎にとっては、あくまでも願望の世界であって、自身は罪の意識に怯え(無職であるということも大きな負担でした)「浄罪詩篇」と呼ばれる詩集巻頭の作品制作に余念がありませんでした。この詩篇を考える時に重要なのは「ノート2」に書かれた「愛国詩論」です。松竹梅、鶴亀、元旦という目出度い日本の象徴生活を寿いでいるのですが、それと全く相反する形で、詩集では竹、菊、亀、笛、卵が詠まれています。極端に分裂した意識の連続に近代人朔太郎の苦悩があることを指摘しました。最後に「萩原朔太郎の詩はみな善良なキリスト教者の懺悔録として残る」と言った西脇順三郎の評を挙げて問題提起としました。
(館長)
平成26年12月13日(土)
第53回講座「犀星」 『我が愛する詩人の伝記』を読む 「高村光太郎」
 今日は高村光太郎についてのお話をしました。『智恵子抄』の人気は絶大で30名以上の参加者がありました。近代詩集中の愛のバイブルという位置は不動のようで、勢い、そちらの話が中心になりましたが、従来、言われているように、そのバイブルは智恵子の狂気によって贖われたものであるという厳粛な事実も忘れてはなりません。背景にある実家の破産や光太郎との芸術家同士の葛藤、又は役割分担等、それらの様々な事情を光太郎や智恵子の書簡で辿りました。狂気になってから男言葉で光太郎を罵る姿などは詩集からは想像できないものです。「あなたはだんだんきれいになる」という詩は「わたしはだんだんだめになる」という智恵子の悲痛な言葉と裏腹であり、その智恵子の立場にたてば、『智恵子抄』はまた、違った意味を持って我々に迫ってくるのではないでしょうか。それにしても、「みがき上げられた生きた彫刻」「智恵子はかれの性欲の中に生きているのだ」という犀星のそのものずばりの直言は犀星にしか言えないものでしょう。
(館長)
平成26年11月29日(土)
第52回講座「犀星」 『我が愛する詩人の伝記』を読む 「北原白秋」
 『我が愛する詩人の伝記』には12人(実際には1回分が削られて11人)の詩人が扱われていますが、今回は巻頭の白秋の話をしました。『性に目覚める頃』にも書かれているように犀星がその出版を待ち望んだ『邪宗門』の詩史的意義や、『思ひ出』の犀星に与えた影響、「桐の花」事件で騒がれた松下俊子とのこと、谷崎潤一郎の「詩人のわかれ」に書かれた江口章子とのこと、白秋の妹、家子さんとのこと等にも触れました。が、白秋への敬意が溢れたエッセーで、三島由紀夫が指摘するような「えげつなさ」はどこにも見られないと話しました。
(館長)
平成26年10月11日(土)
第51回講座「犀星」 『映画/文学をめぐる断層/断想』
 犀星の映画観を、三島由紀夫や谷崎潤一郎ら映画と関わりの深い文学者と比較しながら、お話ししていただきました。芸術として非常に親しい間柄でありながら、表現方法の大きく違う文学と映画。その差異と互いへの影響を確認したのち、犀星の映画時評を読みながら、その特徴をさぐりあてていきました。とくに、女優の肉体を賛美する描写は、谷崎の文学との共通性を感じさせるものでした。
 さらに三島文学にも特徴的にある<見る><見られる>という<窃視>の視点は、あるいは映画からの影響であり、文学においても重要な意味を持つ表現となっていることにも言及されました。
(金沢大学教授 杉山 欣也氏)
平成26年8月30日(土)
第50回講座「犀星」 『犀星流映画の楽しみ方』
 開催中の企画展「犀星と映画」にちなんで、犀星がどう映画とつきあっていたのかについてお話ししました。映画の主人公になりきって恋に恋した青春時代、極度のセンチメンタルが詩作に影響を与えました。やがて映画を娯楽としてだけではなく、新しい高度の芸術と認めて映画に学び、自らも映画の監督をしてみたいと考えてたこともありました。その他、犀星ならではの女優、時代劇、試写会などの楽しみ方を紹介しました。
(学芸員)
平成26年7月19日(土)
第49回講座「犀星」 『金沢の昔話と伝説 飴買い幽霊をめぐって』
 市内四つの寺院に伝わる伝承「飴買い幽霊」の成り立ちや変遷、広がりについて実地調査・文献調査の成果を元に詳しくお話しいただきました。
 夕暮れ時になると飴を買いに来る女は寺の墓地へ消えるので、不審に思った飴屋の主人が住職に相談し、最近埋葬した妊婦の墓を掘り返すと、墓の中で生まれた男の赤ん坊が飴をなめていた、その子が成長し、次代の住職となったという伝承です。伝承の元は越前府中の曹洞宗龍泉寺の開基となった通幻の誕生にまつわる伝説で、それが変容しながら伝わり、定着したものでした。
(金沢工業大学名誉教授 藤島 秀隆氏)
平成26年6月14日(土)
第48回講座「犀星」 『本多さんのこと』
 2011年2月に亡くなられた日本近代文学館理事で当館アドバイザーを務められた本多浩氏についてお話しました。犀星研究者である本多氏が集められた初版本などを、昨年弘子夫人よりご寄贈頂きました。そのお披露目である企画展のことや、開館準備にご尽力頂いたこと、長年にわたる室生家との交流についてお話しました。当日は弘子夫人も同席され、在りし日の思い出を語って頂きました。
(名誉館長)
平成26年5月17日(土)
第47回講座「犀星」 『犀星と校歌』
 犀星が作詞した27の校歌について、その由来や特徴、作詞の苦労や作詞料など、様々な側面から解説しました。今春閉校した母校、野町小学校の校歌作詞については、特別な思い入れのあったことをお話ししました。
(学芸員)
平成26年4月19日(土)
第46回講座「犀星」 『祖父のおしゃれ』
 生活を楽しむ達人だった祖父着物の着方、女性の見方、日常生活など祖父なりのこだわりについてお話しました。また、和菓子を用意し皆さんに召し上がって頂きながら、記念館に対するご意見を伺いました。とても参考になりました。ありがとうございました。
(名誉館長)
平成25年11月16日(土)
第45回講座「犀星」 特別講座『本を造るということ-犀星とその周辺から』
 犀星学会の会員でもある徳山工業高等専門学校の一色誠子教授にお話ししていただきました。同時代の作家や装幀を手掛けた美術家たちの言い分と犀星の主張、犀星と装幀を依頼した美術家たちとの関係などについて詳しく紹介し、犀星が終生ブックプロデューサーでありつづけようとした稀有な文学者であったこと、犀星は本を、作家の魂である作品をおさめる大切な入れ物ととらえていたこと、装幀は、その時々の心象風景をあらわしていると思われるなどの見解を示されました。
(徳山工業高等専門学校教授 一色 誠子氏)
平成25年10月12日(土)
第44回講座「犀星」 『本づくりの話』
 金沢市内で、個人で出版を手掛けている版元、龜鳴屋の勝井隆則氏に、お話ししていただきました。本の内容に合ったイメージを形にするため、古い着物をほどいて表紙に巻いたり、白木で製作した木箱に古色を施し、焼き印でタイトルをつけたりといった、様々なアイデアを実現するまでの試行錯誤や苦心のエピソードを披露していただきました。
 また、犀星の自装本について、文字の並びや頁の組み方、用紙選びなど、デザインのセンスの良さについても、言及されました。
(龜鳴屋主人 勝井 隆則氏)
平成25年9月14日(土)
第43回講座「犀星」 『犀星と恩地孝四郎』
 犀星と恩地孝四郎との交流を中心にして、両者の周辺にいた芸術家たちについて話しました。詩人の北原白秋・萩原朔太郎・山村暮鳥・多田不二・竹村俊郎・相川俊孝、歌人の前田夕暮・土岐善麿、小説家の有島武郎・武者小路実篤、版画家としては田中恭吉、画家としては竹久夢二・岸田劉生・広川松五郎、作曲家の山田耕筰・福田蘭童の計16名。それぞれとの関わりをざっと見渡しました
(館長)
平成25年8月17日(土)
第42回講座「犀星」 『島田清次郎のことども』
 当館にほど近い西茶屋街の妓楼で育ち、大正8年から11年にかけてベストセラー小説「地上」を書きましたが、その後数々のスキャンダルと精神病のために文壇から姿を消した清次郎の生涯と作品について、自身が戯曲「島清 世に敗れたり」を執筆した経験もふまえ、種々のエピソードを交えて紹介していただきました。
(鈴木大拙館アンバサダー 松田 章一氏)
平成25年7月20日(土)
第41回講座「犀星」 『犀星と尾山篤二郎』
 同年生まれで、生涯、文学上のライバルだった両者の関わりを見たうえで、両者が互いに相手のことを書き記した文章を読んでみました。金沢での文学を志した時から、やがてそれぞれの道に別れてゆくころに焦点をしぼり、時には激しい言い争いもしながら切磋琢磨した様子をたどることができました。文学ひとすじに生き、詩人・小説家として、また歌人・研究者として、それぞれ優れた業績を残したことを改めて理解していただけたものと思います。
(館長)
平成25年6月15日(土)
第40回講座「犀星」 『文学碑あれこれ』
 祖父が自らつくった軽井沢の文学碑を中心に、金沢、小松市波佐谷、静岡県伊東市、東京などの文学碑にまつわるエピソードをお話しました。
 どの文学碑にも、建てて下さった方々の祖父に対する思いが感じられます。その地、その地の碑には、それぞれの趣があることをご紹介しました。
(名誉館長)
平成25年5月18日(土)
第39回講座「犀星」 「童話『山の犬の話』のこと」
 東京に連れてきた犬が逃げ出し、故郷の山へ戻ってしまうという童話「山の犬の話」を入口に、元となった小説「山犬」や、モデルとなった犬のエピソード、さらに犀星の書いた様々な犬の話を紹介しました。
 犀星にとっての犬は野生の象徴であり、自分の分身でもある。文明的なものへの反発と同時に、本能、本性といったものへの同情、欲求を、犬を通して描いているのではないか、とお話ししました。
(学芸員)
平成25年4月20日(土)
第38回講座「犀星」 『春を迎える-犀星の抒情小曲を読む』
 犀星の抒情小曲の中から10編ほど選んで読んでみました。四季折々の風景に寄せる抒情の美しさを犀星は見事にうたっていますが、中でも厳しい冬とそして春の息吹を巧みに言葉に移しているのが印象的です。それぞれの詩に因む先輩や友人たちとの交流のほども見渡しながら、詩作の背景や韻律の美しさや創作の苦労などに話が広がってゆきました。次の機会には、犀星詩が単なる抒情詩にとどまらないことに触れられたらと思います。
(館長)
平成25年2月16日(土)
第37回講座「犀星」 『犀星手紙の面白さ』
 大正2年から6年(犀星24歳から28歳)にかけての、犀星から北原白秋あての手紙を10通ほど読みました。ちょうど「小景異情」が認められたころですが、まだ東京での暮らしは安定せず、詩人としての名声を得ながらも苦しい日々を送っていたころです。白秋だけでなく、尾山篤二郎や萩原朔太郎らとの交流にもふれ、金沢での焦燥の日々を再確認しました。そしてやがて、念願の小説家になるまでの歩みを手紙から読み取りました。
(館長)
平成25年1月19日(土)
第36回講座「犀星」 『犀星がいた頃の金沢』
 室生犀星学会会員の小林弘子さんに講師をお願いしました。「犀星がいた頃の金沢」と題し、犀星の少年時代の事や、上京するまでの金沢での様子をお話頂きました。
 小林さん独自の犀星像。皆さんとても興味深く聞いていらっしゃいました。
(室生犀星学会会員・日本ペンクラブ会員 小林 弘子氏)
平成24年12月8日(土)
第35回講座「犀星」 『犀星の小説家デビュー』
 開催中の企画展に合わせて、犀星が小説家としてデビューするいきさつを、著述や書簡などの資料をとおして、詳細に追いました。そこには、我が行くべき道を見極めようと自己をみつめ、悩み、努力し、行動する犀星の真摯な姿を見ることができました。
(学芸員)
平成24年10月27日(土)
第34回講座「犀星」 『犀星の「朝」』
 鶴彬の「暁を抱いて闇にゐる蕾」を参考にしつつ、室生犀星の抱いていた「闇」と「朝」をいろいろ考えてみました。『愛の詩集』巻頭にロダンの言葉が引かれていますが、ロダンとそれを訳した高村光太郎への犀星の親愛ぶりも一見して、犀星の「朝」は単なる朝などではなく、真っ暗な「闇」から明るく希望に満ちたものへの強い願望であることを一瞥しました。そこには犀星の不逞な居直りというか、不撓不屈の精神がみなぎっています
(館長)
平成24年9月29日(土)
第33回講座「犀星」 『朝子のエピソード』
 開催中の企画展「杏っ子 その生涯」にちなみ、母朝子の生涯を、いくつかのエピソードを交えてご紹介しました。父犀星との日常生活や父と娘、二人の愛情の深さなど、家族の視点からお話しました。また、朝子の作品や娘から見た作家犀星についてもお話させて頂きました。
(名誉館長)
平成24年8月25日(土)
第32回講座「犀星」 『犀星の描いた朝子』
 開催中の企画展「杏っ子 その生涯」にちなんで、犀星が随筆や小説の中で長女朝子をどう描いているかを紹介しました。
 誕生の頃、少女時代、女学生時代、結婚の頃とそれぞれの時代の朝子は、いずれも、父犀星がわが子への愛情をはばかることなく見つめ、描いたものでした。
(学芸員)
平成24年7月14日(土)
第31回講座「犀星」 『晩年の小説』
「杏つ子」「我が愛する詩人の伝記」「かげろふの日記遺文」など、晩年の犀星文学の見事な開花を取り上げ、とりわけ生母にまつわる「かげろふの日記遺文」を、くわしく読解しました。町の小路の女という、原作にわずかしか登場しない女性に生母を見出した犀星が、それに類する現実の女性を傍らにおいていたことで、鮮やかで新たな文学世界を切り開いたことを、美しくも哀しいこととして読みました。
(館長)
平成24年6月9日(土)
第30回講座「犀星」 『祖父の晩年』
 企画展「終の輝き~われはうたへども~」にちなみ、祖父犀星の晩年の生活や仕事ぶりについてお話しました。昭和36年10月、入院先の病院でも執筆をしていた姿や病気のため、ペンが持てなくなり苦労して書いた絶筆など、最晩年まで書くことに対する、強い執念をもっていた祖父の姿をご紹介しました。
(名誉館長)
平成24年5月19日(土)
第29回講座「犀星」 『芥川龍之介と犀星』
 今年生誕120年を迎えた龍之介と、没後50年を迎えた犀星の、交友を中心にお話ししました。
 大正7年に出会って以来、昭和2年に龍之介が自殺するまで、二人は正反対とも言える互いの性質、能力や価値観を認め合いながら、気の置けない友人として親しく交際しました。同じ田端に住み頻繁に会う一方、震災後に金沢に戻っていた犀星を龍之介が訪ねたり、軽井沢のつるや旅館で同宿して楽しく過ごしたり、思い出深い経験もありました。
 龍之介との触れあい、そしてその自殺が、犀星の人生と文学に影響を及ぼしたことにも言及しました。
(学芸員)
平成24年4月14日(土)
第28回講座「犀星」 『若き日の犀星と女性たち』
 犀星の青春時代を中心に、交流をもった女性たちを10人ほど取り上げ、その女性たちの実像を、判明しているかぎり紹介しました。その上で、それぞれの女性たちが犀星作品にどのように登場するか、また犀星がどんな風に描いているか、作品を読みながら検討し鑑賞しました。中でも犀星が強く心を惹かれた野村芳子、村田艶、石尾春子、浅川とみ子など、犀星文学に深い影響をもたらした人たちについては詳しく紹介できたと思います。
(館長)
平成24年2月18日(土)
第27回講座「犀星」 『執筆する犀星』
 午前中に執筆するとか、発想の情況とか、題のつけ方など、原稿用紙に向かう犀星の執筆の様子からはじめて、犀星がどのような心情で文学活動を続けたのかを時代順に検証しました。初期の医王山への思い、中期の「復讐の文学」観、戦時中の覚悟、そして「文学はたすけの神」といった晩年の文学観。これら生涯を貫く犀星独自の生き方は、やはり何と言ってもその出生と生い立ちに源があることを再確認できました。
(館長)
平成24年1月21日(土)
第26回講座「犀星」 『犀星の文字』
 開催中の企画展「館蔵品展~自筆原稿の魅力」にちなみ、犀星の文字にまつわるお話をしました。若い頃、自他共に認める「字の下手」な犀星でしたが、”秘かに”毛筆を習って以来、とても味わいの深い文字を書くようになります。
 「文字」への強いこだわりを持っていた犀星の、年代によって大きく変遷する字体の特徴について紹介しました。
(学芸員)
平成23年12月17日(土)
第25回講座「犀星」 『雨宝院と犀星』
 雨宝院のご住職にお話して頂きました。「幼年時代」「性に目覚める頃」から雨宝院を描いた部分を抜粋し、その時代のお寺の様子や仏教的背景をお話して下さいました。作品や犀星の日常の生活に雨宝院時代の影響が表れていることがよくわかりました。今までの講座と違った視点から犀星を感じる事ができました。
(雨宝院住職 高山光延氏)
平成23年11月26日(土)
第24回講座「犀星」 『室生家の動物たち』
 室生家で飼っていた鳥、犬、猫、金魚について母から聞いたことを中心にお話しました。我が家において動物とは、常に家族の一員として一緒に生活し、皆を癒してくれる存在でした。祖父がどのように動物を愛して、また作品の中に生かされている姿をご紹介しました。犬、猫たちとのベストショットもご覧頂きました。
(名誉館長)
平成23年10月15日(土)
第23回講座「犀星」 『犀星と旅』
 晩年は旅行嫌いで知られた犀星が、生涯に出かけた旅先、旅の意義とは?青春時代には鬱屈した日常を、旅に出ることによって打開していましたが、小説家となってからは、温泉場へ出かけることによって疲れ切った心身を癒しました。
 その温泉とは、伊香保温泉、伊豆吉奈温泉、湯ヶ島温泉、湯河原温泉、伊東温泉、塩原温泉などです。
 その他、京都旅行、満州旅行、水戸や新潟、金沢への講演旅行などについて紹介しました。
(学芸員)
平成23年9月3日(土)
第22回講座「犀星」 『〈いのち〉を見つめる犀星-「虫寺抄」を読む』
 虫の鳴き声やその姿を愉しむことの好きだった犀星は、生命軽視へとはしる戦時中にあって、こおろぎやくつわ虫の飼育に精魂を傾ける。そんな自らをとことん見つめることによって、自らの生誕の不可思議や文学にかける思いを再確認する。異常なくらいのリアリズムで虫の死を凝視するこの作品は、他に例を見ない独得なものをもつ。その視点のよってくるところを出生、生い立ちだけでなく、キリスト教、ロシア文学に検証してみました。
(館長)
平成23年7月23日(土)
第21回講座「犀星」 『「祖父犀星の日常」-日記を読む』
 昭和30年の日記から祖父の日常生活、交友関係を中心にお話しました。30年という年は6年ぶりに本を出し、文壇へ復活した年でもあります。前年に患った胃潰瘍や血圧などの健康状態や「女ひと」の売れゆきなどが克明に書かれ、生活の様子が伺えます。
 また、病気のため、14年ぶりの帰郷を断念するなど、金沢に対する思いも垣間見れます。
 作家は日記も読まれる事を考えて書くと言われますが、祖父は半世紀以上たって、このような形で孫に読まれる事を考えていたか聞いてみたいものです。きっと生きていたら「そんなことをしてはならん」と怒られたと思います。
(名誉館長)
平成23年6月11日(土)
第20回講座「犀星」 『「抒情小曲集」を読む』
 企画展「犀星の青春放浪―抒情小曲はこうして生まれた」にちなみ、犀星の青春時代の結晶である 『抒情小曲集』をとりあげ、本の体裁、構成などを含めて詳しく鑑賞しました。
 本書は全205頁中、序文や楽譜、抽象版画などに39頁を費やしており、その中で犀星は抒情詩を、”祈り”や”音楽”と同質であり、心を清らかに洗い流し、人を善良するべきものであるとくり返し述べています。
 収録詩は、独特の文語自由詩であること、個性的な擬態語や語法によって自然と自己を一体化しているという特徴について述べ、いくつかの作品を鑑賞しました。
(学芸員)
平成23年5月14日(土)
第19回講座「犀星」 『青春放浪を描いた作品』
 約7年間におよぶ犀星の放浪時代が、その詩に哀しくも美しく結晶したことはよく知られている。そのことを踏まえ、一方、小説にそれがどのように結実しているかを、24編の作品をあげて検証した。「一冊のバイブル」や「或る少女の死まで」「幻影の都市」「音楽時計」など周知のものだけでなく、あまり知られていない「魚と公園」「地下室と老人」「八衢」などにも触れて、文学一筋に自らの人生を紡ぎ出してゆく犀星の青春を垣間見た。
(館長)
平成23年4月9日(土)
第18回講座「犀星」 『藤沢清造と室生犀星』
 西村賢太氏の芥川賞に因み、西村氏が敬愛する藤沢清造について略述し、清造と室生犀星との親密な関わりについて話しました。私小説という日本独特の文学世界にひきつけられながらも、独自の文学を紡ぎ出してゆく犀星の、放浪と摸索の青春時代に焦点をあて、清造以外の犀星周辺にいた作家や画家たち、それに郷土出身の作家たちについても言及した。夭逝した作家を惜しむ犀星の、一方ではしたたかに生きるその文学者魂を強調しました。
(館長)
平成23年2月26日(土)
第17回講座「犀星」 『犀星と“雪”』
 開催中の企画展「水芦光子-なほそして雪かとおもふ。」と、季節にふさわしいテーマを選んで、講座を行いました。雪国育ちの犀星の少年時代の思い出や、詩、俳句に詠まれた雪について、紹介しました。犀星にとっての雪、それは優しいもの、あたたかいもの、楽しいもの、美しいもの、そして命を呼び覚ますものでした。
(学芸員)
平成23年1月22日(土)
第16回講座「犀星」 『犀星の周辺にいた女性文学者たち』
 多くの女性作家たちが、犀星というちょっと不思議な男性作家に関心を寄せていました。今回は、中でもかかわりの深かった萩原朔太郎の娘葉子と、森鴎外の娘茉莉を中心にして犀星との交流にふれました。犀星にとって朔太郎は親友であり、鴎外は尊敬する先輩でしたが、それぞれの娘は親と異なる独自の文学世界を展開しました。そして、葉子、茉莉と仲の良かった室生朝子にもふれ、その遺された立派な業績に言及しました。
(館長)
平成22年12月18日(土)
第15回講座「犀星」 『室生家の食卓』
 祖父の好物、嫌いなもの、金沢から取り寄せていたお酒やお菓子など、室生家の食生活について話しました。祖母は明治生まれにしてはハイカラな人で、天火を買い、鶏を焼いたり、ケーキを作って家族を楽しませました。食いしん坊で料理好きだった祖母が考え出したレシピなども紹介しました。
(名誉館長)
平成22年11月27日(土)
第14回講座「犀星」 『少年犀星の吉野紀行』
 犀星は明治39年4月、16歳のとき、勤め先の裁判所の職員4人と、金沢から鶴来、手取川上流、吉野谷方面の景勝地を巡る一泊の旅をしています。
 メンバーの一人、葛巻桂花という人がその旅を記した紀行文「遊吉野」を読みました。俳句を詠みつつ楽しむ、当時の風流な旅の様子や、初めての旅にはしゃぐ犀星がユーモラスに描かれています。
(学芸員)
平成22年10月9日(土)
第13回講座「犀星」 『犀星と軽井沢の文学者たち』
 開催中の企画展「軽井沢の日々-木もれ日のなかの犀星」に合わせて、多くの文学者から注目された犀星と、軽井沢で交流した作家・詩人たちとのこまやかな交流を一瞥しました。堀辰雄・松村みね子・立原道造・津村信夫・福永武彦・釈迢空・中村真一郎・円地文子・網野菊・川端康成・中野重治らに触れながら、芥川龍之介や志賀直哉と犀星との軽井沢での交流に焦点をあててみました。
(館長)
平成22年8月21日(土)
第12回講座「犀星」 『室生家と軽井沢』
 祖父(犀星)は大正9年から昭和36年まで毎夏7月1日から9月30日までを軽井沢で過ごしました。別荘という言葉が嫌いな祖父は「軽井沢の家」または「山荘」と言っておりました。
 祖父にとって軽井沢は避暑地ではなく仕事場でした。「暑い東京では仕事もはかどらず、涼しい軽井沢に場所を移し、仕事をする」というのが、祖父のスタイルでした。軽井沢に行っても東京の家と何も変わらなく生活していました。皆様には室生家の軽井沢での日常をお話させて頂きました。
(名誉館長)
平成22年7月24日(土)
第11回講座「犀星」  『医王山に寄せる犀星の想い』
 少年時代の犀星は毎日のように犀川のうえに見える医王山を眺めながら、文学に生きる自分を鼓舞していた。作家となって東京や軽井沢に住みながら、金沢を思い出すときは、まず医王山の美しい姿を思い出していた。そしてできたらそこに住みたいと願っていた。しかしそれはかなえられるわけがありません。そんな医王山について犀星はたくさんの小説や随筆を書いています。そのいくつかを読みました。
(館長)
平成22年6月12日(土)
第10回講座「犀星」 『歩いて巡る昔話』
 約20名の参加者が学芸員の解説で犀星が幼少期を過ごした記念館周辺を散策。
 開催中の企画展「犀星と加賀の昔話~城下町に伝わる怪談・奇談」を観賞した後、犀星の作品に関係する寺などを巡りました。
平成22年4月24日(土)

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室生犀星記念館

〒921-8023 石川県金沢市千日町3-22 TEL:(076)245-1108 FAX:(076)245-1205
saisei@kanazawa-museum.jp