室生犀星

室生犀星年譜

明治22年(1889年) 当歳 8月1日、小畠弥左衛門吉種の子として生まれる。生後ほどなく雨宝院住職・室生真乗と内縁関係にあった赤井ハツにもらわれ、照道と命名される。
明治28年(1895年) 6歳 9月、金沢市立野町尋常小学校に入学(四年制)。
明治29年(1896年) 7歳 室生真乗の養嗣子となり、室生姓を名乗る。
明治33年(1900年) 11歳 4月、金沢市立長町高等小学校入学(四年制)。
明治35年(1902年) 13歳 5月、長町高等小学校を中退し、金沢地方裁判所に就職。
明治39年(1906年) 17歳 「政教新聞」掲載の詩で、初めて「犀星」の名を使う。
明治40年(1907年) 18歳 北辰詩社を尾山篤二郎らと結成。
明治43年(1910年) 21歳 上京。金沢地方裁判所の上司であった赤倉勇次郎(錦風)を頼って寄宿する。
大正2年(1913年) 24歳 「朱欒」に詩が連続掲載され、晩春、同誌を見た萩原朔太郎より手紙をもらう。以来親交を結ぶ。
大正3年(1914年) 25歳 萩原朔太郎、山村暮鳥と3人で人魚詩社創立。
大正4年(1915年) 26歳 人魚詩社より「卓上噴水」を創刊するが、3集で廃刊。
大正5年(1916年) 27歳 感情詩社を結成し、「感情」を創刊する。
大正6年(1917年) 28歳 9月、養父、真乗死去。
大正7年(1918年) 29歳 1月、『愛の詩集』を自費出版。
2月、浅川とみ子と結婚。
9月、『抒情小曲集』を出版。
大正8年(1919年) 30歳 8月、「中央公論」に初めての小説「幼年時代」が掲載され、同誌編集長、滝田樗陰に執筆を依頼される。その後、10月に「性に眼覚める頃」、11月「或る少女の死まで」を「中央公論」に掲載。
大正10年(1921年) 32歳 5月、長男・豹太郎誕生、翌年夭折。
大正11年(1922年) 33歳 6月、「忘春詩集」を出版。
大正12年(1923年) 34歳 8月、長女・朝子誕生。9月、関東大震災に遭い、10月、家族とともに帰郷する。
大正15年(1926年) 37歳 5月、金沢の天徳院寺領を借り、作庭を始める。昭和7年まで。
9月、次男・朝巳誕生。
昭和2年(1927年) 38歳 7月、親交を結んでいた芥川龍之介が自殺。その死に大きな衝撃を受ける。
昭和3年(1928年) 39歳 4月、義母ハツ死去。
昭和6年(1931年) 42歳 7月、軽井沢1133に別荘を新築。
昭和7年(1932年) 43歳 4月、大森区馬込町東763番地(現東京都大田区南馬込)に新築転居。
終の住家となる。
昭和10年(1935年) 46歳 前年に連載した「あにいもうと」で第1回文芸懇話会賞受賞。
翌年、映画化される。
昭和17年(1942年) 53歳 5月に萩原朔太郎、佐藤惣之助死去。
昭和19年(1944年) 55歳 8月、軽井沢に疎開する。昭和24年9月まで。
昭和23年(1948年) 59歳 8月、日本芸術院会員となる。
昭和27年(1952年) 63歳 母校・金沢市立野町小学校の創立80周年記念に校歌を作詞。
昭和30年(1955年) 66歳 1月、「随筆女ひと」を「新潮」に連載開始。
昭和31年(1956年) 67歳 11月、「杏っ子」を「東京新聞」に連載開始。
翌年、同作品が第9回読売文学賞を受賞し、東宝で映画化される。
昭和34年(1959年) 70歳 10月、妻とみ子死去。
『我が愛する詩人の伝記』で第13回毎日出版文化賞受賞、『かげろふの日記遺文』で第12回野間文芸賞受賞。
昭和35年(1960年) 71歳 「室生犀星詩人賞」設定。第1回、滝口雅子氏が受賞。
昭和36年(1961年) 72歳 7月、軽井沢矢ヶ崎川畔に自ら詩碑を建てる。
10月、虎の門病院に入院。
12月、第2回「室生犀星詩人賞」 辻井喬氏、富岡多恵子氏が受賞。
昭和37年(1962年)   3月26日、肺癌のため死去。
翌年、金沢市野田山墓地に埋葬される。
昭和39年(1964年)   5月、金沢市中川除町に文学碑建立。
平成14年(2002年)   8月1日、室生犀星記念館開館。

※年齢は、その年にむかえる満年齢を記した。

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室生犀星記念館

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