不定期連載

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(※作品の区切りは当館の任意によります。)


徳田秋聲「這ひあがる」


(随筆/全1回)
 2017.3.11

 自然の暴威もおそろしいが、しかし又人間の生きやうとする力の強さにも驚かざるを得ない。私は、十四日の夜おそく、恐る恐る旅行先きから崩壊後の帝都へ入って来たのだが、その頃はどこを見ても災禍当時の怖ろしい光景を想像させるものばかりで、思わず慄然としたのであるが、二三日前に外へ出て見ると、見渡すかぎり焦土と化した大都会の跡に、新しい亜鉛張りの屋根が、きらきら日光に耀いて、人はみな跡片着けと、バラックの建築を急いでいる。帰京後わずか数日で、一旦地に仆れ伏したものが、絶望の底からにょきにょき這いあがろうとしている有様は目ざましいばかりである。そしてそれは涙のこぼれるような痛ましい努力でもあり、哀れな歓喜でもある。勿論色々の試練と苦酸を嘗めて来た日本人が世界戦前後から、物質的にも精神的にも相当のんびりした積極的生活気分を味わうことができていたおりなので三国干渉とか、ポーツマス談判とか言ったような対外的関係からくる圧迫抂屈とちがってばかばかしい悪魔の暴力なのだから、痛憤のしようも悲観のしようもなく、それはそれとして諦めて、飛躍するより外(ほか)仕方ないことではあるが、それにしても実際の状況は決して楽観を許さない、しかし人は絶望していない。寧ろこのおそろしい経験から悪いものを総(すべ)て振りおとして新たにより好いものを生み出そうと努力している、自然力の一部であるところの人間も、またなかなか強いといわなければならぬ。悲観の色調の乏しいところには、総て生活の力が薄いし没調子になり易いと同時に、絶望しやすい生活を否定するものには、必ず生活の肯定力がある。否定は肯定を確実にするための否定で、悲観は楽観の根拠を見究めるための用心ぶかさである。少なくとも自然主義的な生活の底には、肯定の力が流れていたが、肯定必ずしも肯定ではない。

 思想界とか芸術界とかについて言っても、物によろうけれど、好いものの生れたのは必ずしも文明の黄金時代ではない筈だ。困苦を耐(こら)え忍ばなければならない時代に、総て好いものの種子が育まれている。そういう点からいうと今度の災害は恐るべきことは恐ろしいが、日清戦争や日露戦争のような苦しい時代を経験して来た国民に取っては、そう大したことではない筈である。天災の対応策は総ての点に於いて十二分に講究してもらいたい。大都市計画などは後廻しにして……私は寧ろ徒らに首都をのみをかざることは不賛成で、あらゆるものを出来るだけ分科的に地方へ分布してもらいたいので、その点では今の知事制度などは困りものだと思うが……真に執実堅固で同時に芸術的な都市を作ってもらいたいと思うが、文壇や出版界なども今後貢献すべきものは益々多いだろうと思う。

 
 

(完)




◎八木書店版『徳田秋聲全集』第20巻の本文を底本に、現代的仮名遣いに改め適宜補訂を行なった。
  初出:大正12年9月29日(「時事新報」)




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