不定期連載



「折鞄(おりかばん)」


 第1回
 2012.10.1

  融(とおる)は何時からかポートフォリオ(注1)を一つ欲しいと思っていた。会社員とか雑誌新聞記者とか、または医者のように、別段それが大して必要というほどのことはなかったけれど、しかし其れがあると便利だと思われる場合が時々あった。一日の汽車旅行とか、近いところへ二三日物を書きに出る場合とか、でなくて長い旅でもこまこました手廻りのものを仕舞っておいて、手軽に出し入れのできる入れものが一つ有った方が便利であった。煙草、マッチ、薬、紙、ノート、頼信紙、万年筆、雑誌、小さな書冊、そんなような種類のものは、その全部でなくても、ちょっと出るにも洋服の場合は、ポケット、和服の場合は袂や懐ろに入れておけないことはなかったけれど、矢張何か入れ物に取り纏めておく方が都合が好かった。しかしもともと事務的に出来ているポートフォリオが、事務家とも遊民ともつかない老年の彼にふさうか何うか考えものであった。融は時々手提の袋などを買って、その当座に三度持って歩いて喜んでいたこともあったが、何だかじじむさい気がして、いつでも棄てっぽかしてしまった。

「何うだろう、ポートフォリオを一つ買おうかな。」

 融は子供や妻と町を散歩したり、買いものに出た場合などに、鞄屋の店頭や飾店の前によく立ち停まって言ったものであった。勿論それは実用品といい条(注2)、彼に取っては人のもつものを、ちょっと玩具に持って見たい程度の、子供らしい欲望でもあった。

「お父さんには少し可笑しいな。」子供は言うのであった。

 融はその時は子供に遠慮するように、買うことを止めたが、しかし何うかすると、鞄屋の前に足を止めることが、其の後も時々あった。
 すると大晦日ちかい或る日のこと、彼は二三日それが続いたように、その晩も妻と大きい子供と町と散歩した。彼はその前の晩も三人で、本屋を三四軒覗いて、劇に関する著述と俳諧に関する書物を買ったが、そのまた前晩にも、妻と二人で贈りものでお屠蘇(とそ)の道具を買ったりした。或る晩なぞは途中で彼女が俄(にわ)かに気分が変になって、急いで家へ引き返した。

「何だか頭が変ですから、私帰りますわ。」

 彼女は悲しげな声で融に告げるのであった。

「ああ、それあ可けない。大急ぎで帰ろう。俺が手を引いてやろう。」

 融は吃驚(びっくり)して、彼女の顔を見ながら言った。

「いいんですの。そんなでもないんですけれど、何だか変ですの。」

 融は若い時分、時々出逢っているように急に、足の鈍くなった彼女が今にも往来に倒れそうな気がした。それほど彼女の顔色が蒼かった。顔全体の輪廓や姿も淋しかった。

「お前の顔色は大変に悪いよ。まるで死人のようだよ。明朝医者においでなさい。何を措いても屹度(きっと)だよ。」

 融は語調に力をこめて、少し脅かすように言った。勿論顔色が凄いほど蒼かったことは事実だし、秋以来ずっと健康を悪くしていることも解っていたけれど、その言葉には兎角病気を等閑(なおざり)にしがちな彼女を、少し驚かしておこうという気持ちの方が勝っていたことは事実であった。

  ※1ポートフォリオ…平らな書類ケース。
  ※2 いい条…言い分、言い訳。「…といい条」=「…とは言いながら」


 第2回
  2012.10.6

 融は持病もちの彼女の健康に、彼女自身より以上の不安を抱いていた。もう二十年の余りも前に、産後その病気が発生したときほどの歎きと恐怖は、それほどでもなさそうな其の後の経過と医者の診察とで、時々に薄らいでいて、年月がたつにつれて慣れてしまっていたけれど、でも融はひびの入った危なっかしい瀬戸物か何かを扱うような不安から始終離れることが出来なかった。そしてその病気に慣れて来て何うかするとまるで余所事のような顔をしている彼女を腹立たしく思うことすらあった。

「自分一人の体だと思われては困るじゃないか。この頃はちっとも医者に行かないようだが、近頃新聞によく出る、腎臓から脳溢血を惹起して死ぬ人のことを読む度に、俺はぞっとするよ。」

 融はついこの頃も、朝早く起きて、子供の弁当なぞの支度をして、疲れた顔をして長火鉢の傍に座っている彼女を窘めたことがあった。頭のわるい彼女は、朝起きを昔から辛がっていたが、ごたつく台所の音が耳に入ると、矢張り寝てもいられないのであった。それに一度起きると、ちょっと横になって体を休めるというようなことが、絶対に彼女は嫌いであった。

「早起きしたときは、子供を出してから少し寝るようにしたら可いじゃないか。」融はそうも言ったが、しかし融が心配して何か干渉がましいことを言っても、彼女はいつでも素直に「そうしましょう。」と答えたことはなかった。格段融の言葉が耳に逆らう訳ではなかったし、腹では感謝しているんではあったけれど、彼女の気分は、融がじれじれするほど硬くてむずかしかった。融は煩く世話をやくことを、控えなければならないようになった。勿論融が気づかない時でも、利尿剤か処方によった薬などを、そっと飲んでいることもあって、融が苛々(いらいら)するほど、ずうずうしくなっている訳でもなかった。
 その晩も、それほど気分が悪くなかったけれど、一晩熟睡すると、翌朝はまた、何のこともなかった。そして不断のように働いていた。それで其の翌晩もまた町へ出て行った。
 それからまた一日おいて、親子は三人で暮の町へ出て行った。別に大した買いものもなかった。化粧品屋で何か二三品彼女が買っただけであった。

「どこかへ行こうかな。」融は途中旅へ出る自分を想像した。
「行っていらっしゃいよ。」彼女も勧めた。
「余り遠いところは可けないし、近いところは一杯だろうしね。」融は不決断に言った。

 彼等は、いつもの家で、彼女の好きな鮨を食べに寄ってから、帰路に就いた。
 途中融は思い出したように、鞄屋の飾店の前にふと立ち止まった。
 
「一つ買おうかな。」彼は子供のように惹き付けられた。
「お買いなさい、お買いなさい。」妻も賛成した。
「お父さんが使わなければ、僕が持って歩いてもいいや。」
「それも可いだろう。」

 三人はぞろぞろ鞄屋へ入って行った。そして品物の選択に取りかかった。あれかこれかと三人で良(やや)久(しば)らく詮議した果てに、彼女の助言で、到頭その中の一つに決めた。そういう場合の彼女の助言が、いつも不決断な融の意志を決定させた。必ずしも彼女がいつでも好い買いものをするとは決まっていなかったかもしれなかったが、よく物を買いそこなう融には遠慮のない助言が必要であった。
 融は何だか嬉しかった。そして家へ帰ってからも弄くりまわしていた。彼はそれを提げて、ちょっと何処かへ行ってみたいような気がした。


 第3回
   2012.10.14

  その折鞄をさげ出して、融が駅前のホテルへ行ったのは、その翌日の晩方であった。融は年のうちに遣らなければならない小さい仕事が、まだ二つ三つあった。それに最近持病の胃腸がまたちょっと可けなくなって、暫くお粥ばかり食べていたので何処か暖かい海岸の温泉へでも行きたいと思ったが、仕事の都合でそうもいかなかった。彼はしかし健康は害していたけれども、気分は寧ろ積極的に傾いていた。今迄やって来た仕事や、現在の生活境地に或る飽き足りなさと空虚を感じていたので、いくらか根本的な計画に取りかかりたい希望に急き立てられていた。そして其れと同時に、自分自身の健康と妻の健康とを悉皆(すっかり)よくしなければならないことを感じていた。そしてもし経済状態が許すならば、家庭を離れて、静かな孤独の生活に入りたいとも願っていたが、長いあいだ染みこんだ家庭の臭み――それは重(おも)に彼女特有の気分や流儀から割り出されたところの、決してそう無趣味でも不愉快でもないながらに、余りに世俗的で外面的な仕事に煩わされがちなことや、一応目端がきいて、しっくり彼の気分に合って行くらしく思われる、日常生活の底に、どこか本当に融け合って行くことのできない性格や気質からきている矛盾が、遂に何うすることもできないものであることに、気づいて来たからであった。極端に言えば、彼女がほんとうに彼のものになり切ってしまったのは、三年前脳溢血で死んだ彼女の母を失ってからだと言ってもいいくらいであった。それでもまだ、小心で臆病で勝気な彼女はほんとうに自分の両手をひろげて、良人(おっと)の胸に体を投げかけて来ることのできないような、それは遠慮と言って可いか、頑固(かたくな)といっていいか、兎に角(とにかく)良人を信じ切ることのできない硬い感じが、彼女をひどく窮屈で哀れなものにしていた。そして何かにつけ人情ぶかい彼女ではあったけれど、本質的な深みのある夫婦愛には触れえなかった。恐らく融も、長いあいだの色々の場合に於ける自己保存の必要から、対立的に自我的にならずにはいられない事情もあって、彼女が母を失うまでは、本当に彼女をいとしむことが出来なかった。

「M-は郵便を出すのに不便だし、熱海や湯河原も億劫(おっくう)だし、いっそ松の内だけでもホテルへ出てみようかしら。」

 融は二三日前、東京に出る度に、いつも泊まることにしている、そのホテルへ来ているS-氏夫婦(※)に或る劇場でひょっくり逢って、一緒に観劇に行っていた子供の一人を連れて、帰りに銀座のふじ屋の食堂へ入ってから、ホテルへ同道して、その部屋で暫(しばら)く遊んで帰った。その時「暫くここへ来てもいいな。」とふと考えたので、ちょうどS-氏夫婦も来ているし、原稿を出すのにも便利なので、ポートフォリオをさげて、そこへ行ってみようかと思った。子供のないS-氏夫人は、その時融の子供を見て、大きくなったのに驚いていた。

「お湯へお入りになりませんか。」夫人はお愛想に言った。

 融の長男は、何んな人中へ出ても、どんな豪(えら)い人の前へ出ても、俛(うつむ
)いたり硬くなったりするようなことは、決してなかった。余り卑俗な人間でさえなければ、何んな年長者とでも話の調子を合わすことの出来る性質に生まれついていた。そして融が辞退したところで、夫人は子供に勧めた。

「さあ。」彼はにこにこしていた。 
「以下用意させましたから。」
「そうですか。それなら入っても可いですが……。」

 後でS-氏の子供観が出たりしたが、融は子供と一緒であっても、少しも父親らしいぎこちなさを感じなかった。

 ※正宗白鳥夫妻をモデルとするという。


 第4回
    2012.10.20

 そのホテルで一週間ばかり書いたり談じたり読んだりしようと思って、彼は家を出て行った。

「年越しには帰ろうね。元旦の雑煮も家で食べるからね。」
「貴方が留守だと人も来ませんし、私も体が楽ですから。」

 妻もポートフォリオに物をつめている融の子供らしさを可笑しく思いながら、笑うこともできなかった。

 兎に角彼は感冒にかからないように、防寒の設備のあるところが必要であった。 
 室(へや)を極めてから、彼はS-夫婦の部屋の戸を叩いた。戸が開いたところで、ぬっと顔を入れると、夫人は今湯からあがって、浴衣一枚であったところで、ベッドの上に体を悚めてしまった。融はあわてて廊下へ出た。
 暫くすると、婦人が部屋へやって来た。そして脚本が上場されるについてS-氏が劇場へ行っていることと、間もなく帰るであろうことを告げた。暫く話しているうち、夫人が、
「食堂へ入らっしゃいませんか。」と言うので、融も、
「行きましょう。飯を食べて来ましたが、しかし紅茶くらいなら。」

 案内役の夫人について、やがて融は食堂へおりて行ったが、時間がちょっと早かったので、ホールで待つことにして、隅の方の椅子にかけた。融は彼自身と反対に子供や係累のないS-氏夫婦が、海岸の家を閉め切りにして、大晦日だというのに、東京へ出て来て、二人でホテル住まいなどしている幸福が、如何にも羨ましくて仕方がなかった。そういう生活も余り幸福なものでないことは、時々S-氏から聞かされたことだが、融のような家庭の囮となってしまったものにはそれは、寧ろ贅沢の沙汰だという気がした。
 食堂の時間が来たところで、夫人は自分の食事の外に、融にも何か取って、葡萄酒などを注がして待遇したが、その間に劇場の良人(おっと)へ電話で融の来たことを通じたりした。
 間もなくS氏は帰って、食堂へやって来た。そして食事をしながら、例の快活な調子で、舞台稽古の話などした。
 食事がすむと、またホールへ出て煙草をふかしたが、夫人の発言で三人で暮の銀座へ行くことになった。

「行きましょう。」夫人が言うと、
「さあ。」S氏は目を輝かしたが、「昨夜は大変だった。尾張町付近はまるで動きが取れない。何が面白いんか知らないけれど、外に行くところがないからな。」

 やがて四階へ外套なんか取りに行ってから、揃って外へ出た。融はいつもの癖で、そうやっていても、やっぱり家のことが気にかかったり、暮に書いた作品に対する不満があったりして、創作興味の緊張し切っているS氏が生活と芸術とがぴったり一つのものになっているのに比べて、余りに自己分裂の多い生活の煩わしさに堪え切れない自己を憐れまずにはいられなかった。
 銀座はその晩も、歩行が困難なくらい人出が多かった。融は暮の外の気分が好きであったが、家のなかの暮気分も悪くはなかった。そして賑やかな銀座を歩きながらも、自分の子供達と同じ新時代の青年達などの愉快そうにぞろぞろ歩いているのを見ると、何だか場ちがいの人間のような淋しさをすら感ずるのであった。

「ああ、あれが暮の銀座へ一度行ってみたいと言っていたっけ。」

 融はふとそんな事を思いだした。するとずっと以前の或る年の大晦日に、彼女と二人で此処へやって来て、春の贈り物の半襟などを、彼女が猟っていたことなどが思い出されて、妙に気が滅入るのであった。

 

第5回 
2012.10.25
 
「どうせ春になれば、どこかへ行くつもりだ。来年は二人で伊勢へでも行こうかね。それから京都や大阪も見せてやろう。行かないかい。」

 融はつい此の頃の晩も、そんなことを彼女に話した。

「え、よし子をつれて行ければね。」彼女は答えたが、余り気も進まないらしかった。「行ってらっしゃい。」長男も傍から勧めた。

 しかし二日でも三日でも家を棄てて夫婦で旅などして歩く気分になりうる彼女ではなかった。最近母を失ってからは、一層そうであった。

 母を失ってから、いつも淋しそうにしている彼女を、融は痛ましく思いながらも、弱くなった彼女を労りうることに、寧ろ今までにない年取った夫婦の暖かい愛を感じうるのを悦ばずにはいられなかった。彼は数日前も、彼女と子供と三人で、彼女の好きな文楽を浅草に聴きに行った。家では頭から爪の先まで、彼女の世話になって駄々っ子のようにふるまっている、我が儘一杯の融ではあったけれど、一歩外へ出ると、今度は反対に持病のある彼女を、心持ちそっと労らなければならない立場にあった。その日も、融は粗雑な敷物のうえを上草履(うわぞうり)なしで歩いている彼女が、その敷物を気味わるがっていることを知った。

「草履を出さないのは困りますわ。足が冷たいんですよ。」
「そう。じゃ僕が草履を買って来てやろう。」融はそう言って外へ出て行った。

 そしてかなり遠いところまで行って、上草履を一足買って来た。

「好いのがないんだ。」
「上等ですわ。これなら暖かくて……。」
「スリッパがよかったかな。」
「いいえ結構ですわ。有難うございます。」彼女は嬉しそうにお礼を言った。

 そして一晩親子三人で大阪浄瑠璃を聴いて帰った。そんな事もあった。

「そりゃあ、よし子をつれて行けば安心だけれど、大変だぞ、五日くらい可いじゃないか。」

「そう行きたいと思いませんね。勿体ないんですもの。子供がもっと大きくなってから……。」彼女は矢張気が進まなかった。

「子供が大きくなる時分には、此方が年を取りすぎてしまう。」融は言ったが、病気のある彼女が、長い旅に堪えるか何うかは不安であった。

 彼女が行くと言っても、融はつれて言ったか何うかは素より疑問であった。彼の頭脳は最近殊に忙しかった。行楽的な旅などする余裕はなかった。ホテルへ来る前の晩か、その前の晩かにも、彼は不断のように、家庭の年末気分とは全く離れた、彼一人の世界を考えていた。

「お餅を切ってくれませんか。」

 ホテルへ立つ前の晩にも、餅を切っていた妻が、いきなり融に言った。不断なら切ってやろうと言っても、後で手がふるえるのを案じて、切らさない彼女がどうしてそんな事を言ったかは、其の時の彼には全く気のつかないことであった。

「笑談じゃない。おれはそれどころじゃないんだよ。」

 融は読みたい本を少しずつ集めようと思って、その晩も子供をつれて、本屋を猟りに出た。妻も買いものがてら従いて来た。
 

第6回 
2012.11.3

 銀座から帰ってから、融はS-氏夫妻の部屋で、二時間も話しこんでしまった。
 翌朝もS氏夫妻と時に顔を合わしたが、重(おも)に新聞を書いたり、雑誌を読んだりした。
 晩には夫妻にさそい出されて、風月の食堂へ行った。

「やっぱり風月がいいのかね。」
「何うだかわからんが、M―なんか一番旨いと言っているね。あの連中は西洋にいて、洋食の味は知ってるだろう。××屋(俳優)もよく行くよ。」
「僕も久しく行ってみないから。」

 三人は自動車を僦(やと)った。S氏夫妻の生活振りが、最近かなり余裕のある幸福なものになっていることが、融にも感づけた。それも子がないからだと思われた。彼は子供を多勢もったことを、不仕合せとも仕合(しあわせ)とも考えなかった。ただそういう風に運命づけられた自分の生活だと思うだけであった。自分のように何時までたっても子供っぽい人間には余りふさわしい運命だとは思えなかったが、子供で苦労して来た自分が、真実(ほんとう)の自分だ、という感じもするのであった。

「Sに大勢の子供をもたせたら。」融はちょっと皮肉な考えを浮かべてみたりした。

 兎に角子供をもたないS氏の前では、自分が弱者であることを感じないではいられなかったが、それも世間的生活だけの意味であった。事によると、それは単に経済的な問題であるだけで、そう本質的なものではなかった。 

 自動車の窓にうつる日本橋や京橋の大通りは、昨夜と同じく人の海であった。 
 風月の食堂ではS氏夫妻はお馴染みであった。融は幾年目かで来たが――無論震災で昔の建ものは焼けたにしても少数の御常連に旨いものを喰わせる家だという落ち着いた感じがあった。大晦日のことで、客はそう立てこんでもいなかったが、三人ばかりの子供をつれた、四十三四の紳士夫妻が、ここで年越しの晩餐を楽しんでいるのが、何となし融の目を惹いた。融は今頃家でも、妻の拵えた煮もので、子供たちが打揃って年越しをしているだろうと思うと、その方が旨く味わえるような気がした。大きい方は銀座でも歩いているかもしれないと思った。兎に角彼は家庭人の悲哀といったような気分に躓いたような感じであった。実際彼が家庭人か何うかは疑わしいので、今目の前に見る紳士のような怡楽(いらく)は、感じていないのであった。むしろ人間的な悲哀が、彼を繋ぎ止めているに過ぎなかった。

「これは旨いんだろうかね。」彼はカリフラワーを食べながら言った。
「こんなもの些(ちっ)ともおいしくはありませんわ。」
 夫人は若い娘のように言った。
「ここは一番レファイン(※1)された料理なんだろうが……。」

 食事がすんでから、ストーブの傍でお茶を飲みながら料理の話をした。

「ここのビステーキ(※2)が有名なんだそうだ。」
「ビステーキは確かに好いな。まあ食ったあとの腹工合の好いところを見ると、調理の好いことだけはわかるようだ。そういう点が好いんじゃないかな。」

 それから其処を出てから、銀座へ出た。途中で近代劇の舞台へでも出てきそうな洋装のH氏夫妻に出会った。連中がライオンへ来ていることを、H氏は告げたので、帰りにライオンへ寄って、其の人達としばらく話を交えてから、やがて其処を出た。

 
  ※レファイン…refine(英):洗練された
  ※ビステーキ…ビーフステーキ。ビフテキに同じ。

 
第7回  
2012.11.13
 
 元日の朝が来た。

 融は少し寝過ぎて、時間がおそかったけれど、約束がしてあったので、電車で雑煮を祝いにわざわざ家へ帰った。雑煮は彼自身の好みで、いつも其れに決めているので、それでないと寂しかった。

 家へ帰ると、子供たちの多くは、もう屠蘇と雑煮を祝ったあとで、台所も一片付けすんだところであった。妻はちょっと億劫そうな顔をして、彼の来たことを、そう悦ばなかったが、ガスに点火して支度に取りかかった。

「どうしたんだ、また子供と喧嘩でもしたのか。」融は不平そうに言った。

 雑煮の鍋を仕かけている彼女の顔が、不断でもよくあるように、其の時も滞んだ色に少し脹(むく)んでいた。でも、融は気にもかけなかった。
 彼女もいくらか元気づいて来た。
 風呂から上がって来た、十七になる愛子が、今にも消え入りそうな呻吟声(うめきごえ)を立てて、縁側まで来て、ぐたぐたと倒れた。融はあわてて妻を手伝って寝床へ抱きこんで介抱した。

「逆上(のぼ)せたんですよ。」妻はそう驚きもしないように言った。

 愛子は間もなく顔色が出て来て、口もはっきり利くようになった。そこへ年始の客が来た。妻は愛想よくそれを迎えて、屠蘇の道具やお重のものなどを運んで煮ものを取配(とりわ)けたりした。部屋は例のとおりに、狭いなりにきちんと片着いていた。
 その客が帰ったのを機(きっかけ)に、融もホテルへ帰ろうとした。

「ええ、貴方は忙しいんだから。」彼女も言った。

 融は彼女が疲れているのに気づいていた。帰ってしまえば、後で寝るであろうことを期待しながら、第二番目に来た回礼者と前後して、表へ出た。そして忘れた薬や何かを取りに、二度ばかり小戻りしてから、急いで大通りへ出た。
 ホテルへ帰ってみると、S氏は卓子の前にかけて、一心に何か書きはじめていた。顔が緊張していた。融は部屋へ帰って、雑誌を読みはじめた。
 その晩彼はS氏夫妻と、帝国劇場へ行ったが、何か落ち着かない気分であった。愛子が若(も)し可けないようなら、ホテルへ電話がかかるだろう、そうしたら此処へも知らしてくれるだろう。彼はそんな事を考えながらも、いくらか春らしい劇場の空気に浸っていた。

  

第8回  
 2012.11.18

 翌朝彼はけたたましい電話のベルに呼びさまされた。劇場から帰った彼は、疲れてぐっすり寝込んでしまったので、あわただしい其のベルの音の震動を耳にしながら、やや暫く其れがどこで鳴っているのかを意識しなかったが、ふと愛子のことが、仄かに頭脳に浮かんで来たので、慌ててベッドから辷(すべ)りおちるようにして、卓上電話にかかって行った。

「もしもし。」彼は夢現のなかで呼びかけた。
「お父さんですか。僕ですが……お母さんが悪いんです。何うも脳溢血らしいんですが……。」

 融は遽(にわ)かに暗い気持ちになったが、脳溢血という言葉を其のままに受け容れることは困難であった。

「じゃね、今直ぐ帰るから、好いお医者を一人呼んでおいてくれ。」
 融は顫(ふる)える声で、好い医者に力をいれた。

 融は大急ぎで、しかし割合に落ち着いて、着ものを着たり、折鞄に紙や万年筆を仕舞い込んだりして、別れをS-氏に告げに行った。S-氏はもう床を離れて、窓ぎわで仕事に熱中していた。

「家内が病気だそうで、僕はこれから帰ろうと思う。」融がいうと、
「そう。すっかり引き揚げるですか。」
 S-氏も無論それほどの事とは思わないらしかった。

 融はそれからまた一旦部屋へかえって、下へ電話をかけて、会計と自動車を頼んでから、外套や衿巻をして、力ぬけのした足で、エレベータの乗り場へ出て行った。
 下へおりると、S-氏夫人が、もう其処へ出ていて、口数は利かなかったけれど、悲しげな目をして彼の降りてくるのを待っていた。融は滞在を略(ほぼ)一週間ときめて部屋代を払ってあったので、残りの分の金を受け取って、しばらく自動車の来るのを待っていた。

 「小型がよろしいでしょう。」

 夫人はそう行って、二度ばかり出口までおりて見たりした。
 静かな朝の町に、初荷の荷馬車や、貨物自動車が動いていた。融は苦い経験があるので、病気というと医者の不快を買うまでも、大騒ぎをする癖がついていた。で、その時も脳溢血という言葉を、そのまま妻の現在の病気に引き直して考えることは出来なかった。それは劇場や電車のなかなぞで、真蒼になって仆(たお)れたことが、若いおりから三四回あったからで、今度も多分それだろうという気がしたが、しかし其れにしても何時(いつ)ものより重いという感じが強かった。そして町が春気分に輝いていただけに、彼の気分も一層暗かった。
 

最終回 
 2012.11.22
 
 家へ飛びこむと彼は部屋の隅にあった座布団のうえに、折鞄を投げ出して、そこに横たわっている妻を見た。妻は彼の裏の家にいるT-氏の夫人に介抱されて、静かに目をつぶって寝ていたが、眠ってはいなかった。掛かりつけの医者のG-氏と、T-氏が融の机の傍の火鉢に当たっていた。

「今ね、電話でお帰りを止めようとしていたところです。」

 そう言って皆が割合何でもなさそうな顔をしているので、融は出鼻を折られて、遽かに頭脳が軽くなるのを感じたが、決して楽観はできないという気がした。

「そうですか。心配ないんですか。」
「大丈夫ですよ。静かにしておけば、落ち着きますよ。」
 G-氏は事もなげに言うのであった。

 融は何だか安心出来ないような気もして、そのまま火鉢の傍にすわって、ホテルの話などをしているあいだも、時々G-氏にきいた。

「誰か一人呼ぶ必要はないでしょうか。」
「いや、いつものあれですから、心配はないですよ。」
 G-氏は言うのであった。

 融は脳溢血の危険なこと恐ろしいことは、十二分に分かっていたけれど、診断がむずかしいものだとは思わなかった。で、今朝お雑煮をしまったあとで、何時ものとおりに長火鉢にすわっていた彼女はふと嚔(くしゃみ)をしたところで、頭がぴりぴりと痛んだ。そして洟(はな)をかむと、痛みが一層強くなったと同時に、顔の色が変わって体が崩れそうになった。子供があわてて、背後へまわって介抱しようとした時には、彼女はもうぐったりとなっていた。
 融はぼんの窪のところへ手をやったり、鼻と耳のあいだを痛がったりしている彼女の状態に不安を感じながら、割合医者に信頼していたところもあった。彼女は後脳のあたりに、ざくざく針が刺さっているような感じがしているらしかったので、何うやら脳溢血らしいという気もしたが、それにしては口も利けるし、手も動くので、やっぱり医者を信じてもいいようにも思った。

「まあ夕方までこうやっておいて下さい。」G-氏は間もなく帰って行った。

 融は病床へ寄って行った。

「何うだね。」

 妻は目と顳顬(こめかみ)のあたりへ手をやって、痛みを訴えた。

「いつもとは違います。」彼女は低い声で言うのであった。

 融の頭は脳溢血だという直感が大部分を占めた。

「急いでM-博士を呼んで来てくれ。」彼は長男に命じた。

 長男は出て行こうとしたが、急にまた彼女が止めるように何か言うのであった。そして同時に便通を訴えた。

「じゃ、ちょっと往って。」
 融は子供に言った。そして女中に便器をもってくるように命じた。

「じいっとしておいで。大便は僕が取ってあげるからね。動いちゃ可けないよ。」

 そう言っているうちに、上半身を擡げた彼女は、苦しげな歪んだ顔に嘔吐を催して来たことを告げた。小さな洗面器が、持ち越されてきたところで、彼女の口から濁黄色をした悪いものが、だらだらと吐き出された。そして吐いてしまうと、「私もう駄目です。」と言って、ぶるぶる頬のあたりを顫わせながら、枕のうえへ仆れたが、口籠もってしまった。目もあがってしまった。

 それを見ると融は遽かに大変だという気がした。そして、「早くM-さんを……それからG-さんにもそう言って。」

 G-氏が来て、一本注射をして間もなく、M-博士もあわただしい様子で駆けつけてくれたけれど、何にもならなかった。恐らく彼女はそれから一時間ともたなかったであろう。そして其れが彼女の生涯の終わりであった。

 

                                     (完)


◎『和解』(豊国社、昭和16年)所収の本文を底本に、現代的仮名遣いに改め、適宜補訂を行なった。
  初出:大正1541日(「改造」第8巻第4号)


 
 




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