不定期連載



「遠足」


(全1回)
 2012.12.3


「これから日曜は、きっと遠足ってことにしようじゃないか。」

 いつの事だったか、志村は或る日何を思いついたか、そんなことを言い出した。

「月四回ですか。」その時長男が言った。

「四回か五回か月によってだが、雨天は駄目だから、結局二回くらいと見ていいだろう  。」
「まあ二回が精々ですね。その時になれば色々(いろん)な故障も起きるだろうから。 で、皆んな行くんですか。」
「成るべくね。」
「お母さんも。」
「お母さんは足が駄目だ。」

 すると其の中には「よし己(おれ)もつれてって貰う」と飛び上がるものもあったが、中には学校とか友達とならだが、内輪の企てに加わることは、余り好まない子もあった。次男なぞがそうであった。
 で、「お前も行くだろう」と志村がきくと、「え、行ってもよござんす」と次男は答えるのであった。
 郊外の地図が直(す)ぐ拡げられた。測量部の地図などもあった。お弁当の相談なんかも出た。
 勿論そんな相談の出るのは、きっと三月か四月頃の陽気の好い季節に限るのだが、それから一月ほどたった六月の初旬に、第一回の遠足が漸(やっ)と実行された。その時は玉川縁へ出て、そこから府中へ、府中から国分寺へと歩いたのであった。志村はその時自分の心臓の大分弱っていることを感じた。

 それから一年たった。その一年のあいだいつ遠足に行くという日がなかったが、或る日それが企てられた。

「今度は余り歩かないことにしよう。」
志村はその前日にそんな話をして、もっと小さい子供もつれて行くことにした。

 その日は天気がよかった。子供達はもう洋服を着て飛びあるいていた。妻は子供にやいやい言われながら弁当の支度に忙しかった。

「どこにしますか。」
「さあ何処がいいかな。飯能は何うだ。」
「飯能もちょっと遊ぶところがあるけれど、汽車の長い割りに面白くないですよ。」
「井の頭は。」
「詰まらんな、それよりか寧ろもぐさ園か、浮間ヶ原だったら。それが遠ければ鴻の台 あたり何うかな。」
「そうだ、江戸川縁はわるくないな。」

 そんな評議をしている処へ、誰か来客があって、女中が出てみると、それが大阪のお客であった。声ですぐ判ったので、妻が飛び出して行った。

「まあ、お珍しい。いつ入らしたんです。」妻はそう言って、茶の間にいる志村へ、「あなた杉村さんが……」と声かけた。

 志村は座敷へ出て行って、暫(しばら)く逢わない杉村に逢った。勿論暫くといっても、志村は去年の冬大阪で逢っていたが、妻が杉村に逢うのは、八九年振りであった。
「随分お変わりになりましたわ。」志村の妻はすっかり紳士に成り切ってしまっている杉村の様子に呆れていたが、杉村が東京に学生生活をしていた頃に比べて、彼女がどんなに変わっているかは志村がよく知っていた。

「こっちに何か会社の用事でもあったんですか。」志村がきくと、
「実は本所の出張店が今度出来あがりまして……詰まらんもんですけれど、三階の鉄筋 コンクリートで、まあいくらか面目を新たにしました、そのお祝いに大阪の本店と各 出張店の店員を呼びましたので、私は若松の方から来た安岡と一緒に今着いたばかり で、安岡は途中ちょっと寄るところがあるさかえ言うて、事によったら後から来るか も知れません。」

 安岡は杉村の義理の兄に当たる男であった。

「ああ、安岡さんも。そうですか。では皆さんで。あの方もお子さんが沢山いらっしゃ るんだそうですね。」
「ええ、もう頭が禿げてますさ。」

 杉村は「いずれゆっくり遊ばしてもらいます。今日はちょっと伺っただけですよって」と今にも帰りそうな様子であったけれど、志村は遠足のことが気になりながらも、妻と二人で杉村を引き止めようとした。

「まあ、久しぶりじゃありませんか。ごゆっくりなすって。」
「いや、そうはしていられません。プログラムがちゃんと決まっておりますんで、今日 は社の楼上で祝賀会があって、晩柳橋とかだそうです。明日は帝劇で、その翌日が帝 国ホテル、芝居も見せてもらわんなりません。その間に事務の打ち合わせもせんなん なりませんさかえ、大抵やありませんわ。叔父さんなかなか喧(やかま)しんですか らね。」

 叔父さんというのは社長のことであった。

 志村は遠足がお流れになることは苦痛ではなかった。杉村がゆっくりしてくれればいいと思った。志村は以前極まりのわるい思いをしたことがあった。或る親しい出版屋を訪問して、呑気に話しこんでいると、大分たってから盛装した細君が美しく化粧した顔に少し上気して、入り口へやって来て、主人に何か言っていた。ぼんやりの志村はしかし気がつかなかった。その夫婦が二人連で芝居へ行くのが、何よりの享楽であることを後で知って、本当に悪いことをしたと思って、今でもそれを思い出すと、冷汗が出るのであった。それは芝居好きでなければ判らない心理であった。その心理は芝居好きな志村によく判るのであった。その積りにして、折角楽しんでいた芝居が、一幕か二幕すんだ後へ入って行くのも、興ざめのするものだが、中止にするのは尚更不愉快だ。

 志村はその日の遠足に、そう乗り気がしていた訳ではなかったけれど、どっちともつかない中途半端な時分に杉村に帰って行かれたことが、彼の気分を妙にこじれたものにしてしまった。

「子供は………。」志村が茶の室(ま)へ入ってきくと、
「もう先刻お弁当をもって、正雄がつれて三人で出かけて行きました。」
「二郎も。」
「二郎はお友達のところへ行きました。」

 志村は何うしようかと思ったが、多分市川だろうと思って、後を追うことにして、急いで家を出た。
 外は風があって、軽い埃がたっていた。志村はあわただしい、しかし何か物足りない気分で電車に乗った。そして錦糸堀まで行くと、そこで押上行の電車に乗りかえたが、どこかで逢いはしないかと、絶えず気にしていた。やがて志村は市川へおりた。そして今し方、子供たちが通って行ったであろう、町を辿って行ったが、やがて道の岐目(わかれめ)へ来た。志村はこの辺の地理をよく知らなかったが、そう広いところでもないので、片端から捜してみようと思った。彼は新しい住宅や、小さな別荘や、安料理などの続いている通りを、先ず最初に奥まで行き詰めてみたが、高い石段のうえにある神社の下まで来ると、やがてまた同じ道を引き返して、今度は田圃なかの道を取って、川ぞいの土手を江戸川べりの方へ出て行った。慵(ものう)い晩春の風が自転車などの通るたんびに、白い砂をあげて、冬帽子を冠った志村は、頭のむれるような暑さを感じた。
 やがて彼は江戸川縁へ突き当たったところで、右へ折れてだらだらした広い坂道を上って行った。右も左も高台で、その下をその道が果てしもなくつづいていた。兵士が奥に兵営のあるらしい、左側の高台から時々おりて来た。偶(たま)には騎兵もいた。花見気分の名残りの、ビールの広告自働車などが、旗を立てて幾台となく通ったりした。その度に砂が高く捲きあがって、志村は足袋も裾も、真っ白ぼっけにされてしまった。咽喉(のど)がむせっぽく干からびつくのを感じた。六七町も行ったが、行きつめる勇気がなかった。
 やがて彼は水辺に出てみた。草ッ原を、あっちこっち歩いても見た。葉桜の生い茂った向こう河岸も眺めてみたが、子供たちの姿はどこにも見えなかった。
 疲れきって、志村が江戸川から京成電車によって帰路についたのは、二時間ばかり探しまわったからであった。電車はやがて鉄橋を渡り、野を横截(よこぎ)って、きりきりした響きを立てて、ひた走りに走った。志村はその間も、絶えずあちこちと目を見張った。
 浅草へ来たとき、彼は可なり空腹を感じていたので、その辺で、軽く食事をした。そして自分だけで彽徊(ていかい)的な気分の落ち着きを求めようとして、其れにはちょうど歌舞伎劇の開演されていることを思い出して、その劇場の切符を買った。期待していた「盛綱陣屋」が今幕を開けようとしている処であった。陣屋はいくら見ても飽かないものの一つであった。
 長十郎の盛綱は、しかし今迄見た幾人もの盛綱と、型が変わっていた。それが誰の型であるかは判らなかったが、首実見(くびじっけん)は幾人かの名優のそれに比べても、見劣りがしなかった。志村はそれで漸(やっ)と償われたような気がした。
 その一幕がすむと、彼は直(じ)きにそこを出た。

 帰ってきた志村と正雄のあいだに、今日の行き違いの径路が明らかにされた。

「じゃあ、僕等はお父さんの乗って来た汽車を見ていたんだ。あの兵営のあるところが 鴻の台ですよ。お父さんが中途で引き返したから逢わなかったんです。僕等は草ッ原 で弁当を食べながら、その汽車の通るのを見囃(みはや)していたんだ。」

 正雄は牾 (もど)かしそうに言うのであった。 

       
                                   (完)


◎『秋聲全集』第7巻(雪華社)所収の本文を底本に、現代的仮名遣いに改め、適宜補訂を行なった。
  初出:大正1311日(「随筆」第2巻第1号)

 
 




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