不定期連載



「元日と未来」


(随筆/全1回)
 2012.12.28

 去年の元日には珍しく白鳥君がやって来た。多分私が「挿話」という作品を「中央公論」の新年号に載せたので、人の生活に興味をもつ白鳥君のことだから、ちょっと話したいような気になって来たんではないかと思う。白鳥君は結婚前には私のところで大晦日をすごしたこともあった。白鳥君の結婚後、私がまた君のところで越年したというようなこともあった。白鳥君と私とは割合に私交の親しい方である。去年は白鳥君は大磯の自宅から上京して、丸の内ホテルに細君携帯で来ていたので、私のところを元日早々訪問したのであるがやがて二人で私の家を出て、それからホテルへ寄って、帝劇へ遊びに行ったと記憶している。まあ友人と一緒に芝居に行くなぞは、老来ちょっと珍しいことで、春らしい若返った感じであったが、来年の元日は何をして暮らすか、私自身にすらちょっと判りかねる。

 来年はどう云う計画がありますかとか、来年の文壇は何ういう風になりますか、とかまたは政治界は何うだとか云う質問を、新聞や雑誌社などから能く受けることがある。私は先のことが少しもわからない方で、或いは理想家でないからだと言われるのが至当かも知れないが、理想とか希望とかが必ずしもない訳ではないが、何うもそこまで行ってみないと、世の中のことは総て判らないような気がする。自分のことでもそうである。今日は何処々々へ旅行したい希望があっても、明日はまた明日気分が変わってしまったり、外来の事情でまるで自分の意志でない方面へ行ってしまったりする。

 社会の現象がやっぱりそうで、一と頃は左傾的思想が澎湃(ほうはい)として漲(みなぎ)り、世のなかが今でも顚倒(てんとう)するかと思われるほどだが、今はまた反動思想が世界の到るところに擡頭(たいとう)して、日本などでもその色調が非常に濃厚になって来ている。勿論そのあいだに大勢は進展している。実際の生活の都合のいいようにいいようにと少しずつ変転しつつある。が、そう云う思想の波は、何か自然的なリズムにでも支配されているように、常に一進一退して、詰まるところそう突発的に劃時代的な変化も来さないようである。しかし何うなるか判らない。先のことは適確な判断は下せない。ただ人間は、何んなに其の日暮らしの人間、また何んな現実主義の人間でも、生きるためには、やはり明日の生活に期待をもたない訳には行かない。絶対境(さかい)では虚無主義でも、生きている以上は差し当たってまるで無成算ではいられない。そこで以上のような質問が発せられる訳で、その返答には善悪善魂、或いは肯定否定、積極消極どちらにしても、多少とも明日の生活を愛する意味で何等かの希望を寄せないものは、殆(ほとん)どないであろう。

 勿論絶望的の人間が、世のなかにないとは言えない。口腹の慾さえ充たすことの出来ない人間は明日の生活を望むことさえ出来ないほど、不幸で絶望的である。しかも人は新年に際会して、夫々(それぞれ)に新しい希望、新しい計画を立てるのが、生活気分を緊張させる意味だけでも、有意義である。私などは過去に於いて、余りに生活を濫費徒消しすぎて来たように思うがそれは私の愚鈍と怠惰からも来ているが、私達の仕事が社会的にそう希望のもてない運命にあったからでもある。しかし今日の日本人で、新年に逢って、何等かの希望や計画を立てうる運命にある人が果たして幾人あるであろうか。虐げられた生活のなかで、常に何等かの希望や計画に力づけられるということは普通人には困難である。そして日本にそう云う人が大分を占めているのである。

 希望や計画は希望計画として、新年になるといつでも友人の段々少なくなること、数に於いて交際が広くなっても、それは友人という意味ではなくて、それは文壇的の交際ということに止(とど)まって、しかも年代が段々ちがうので、其の友人が段々少なくなって行くと云うことは、年取ったものの斉(ひと)しく感ずる寂しさでなければならぬ。私などは相当長いあいだを生きて来たので、周囲が段々寂しくなって行くと云う感じは、年毎に痛切になって行く。しかも現在あるところの旧友ですらも生活が複雑になってくるにつれて、友情を温める機会が殆ど無いと言っている。

       
                                   (完)


◎『徳田秋聲全集』第21巻(八木書店)所収の本文を底本に現代的仮名遣いに改め適宜補訂を行った。
  初出:大正1511日(「福岡日日新聞」)

 
 




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