不定期連載



「不安のなかに」


 一
 2013.3.1

 十時(ととき)はその時姉の家の茶の間にいた。一昨日の夜の十二時に妻と子供に送られて東京を立って、昨日の午前にここへ落ち着いたばかりであった。兄の家にしようか、姪の家にしようかと、彼は仕事をするのに落ち着きのいいところをと思って、暫(しばら)くの予定ではあったけれど、居所を定めかねていたのであったが、用事のために来たその用事が姉の一家のうえに係わることなので、余り落ち着きの好い家ではなかったけれど、とにかく一旦そこへ落ち着くことにしたのであった。

 立つ前に彼は幾日も幾日も不愉快な、腹立たしい自分の心を凝視(みつ)めるのに飽きはてていた。勿論妻に対する或る不満から来たことであったが、孰(どっち)も頑なな心の持ち主であったので、そうして睨み合っていることを疎ましく思いながら……そしてまた今更それが何うなるものでもないので、好い加減に胡麻化(ごまか)して行くより外(ほか)ないのだとは知りながら、やはりそう出来ないのであった。しかし十時が立つ前には、滞在のあいだ必要だと思われるものを、彼女はいつものように、ちゃんと鞄につめ、兄や姉達や姪達に贈るべき土産なども取り揃え、鍵をかけないばかりにしておいてくれたのであった。そして来なくともいいというのに、停車場まで送って来たのであった。寝台の下がなくなっていたので、十時は子供に上を取らせた。彼はしばらく腸をわるくして、歩行するのも頼りがなかった。

「下がないのかしら。何だか危うござんすね、大丈夫ですか。」
 彼女はそこへ上がって行く十時を見上げながら言った。

 発車間際になった。十時は開いた窓から首を出して、歩廊に立っている三人を見下ろしていた。

「何だかそこから墜ちそうでやっぱり上は可けませんね。」
 言っているうちに、汽車が出てしまった。

「じゃ、行ってらっしゃい。」子供が言った。

 十時はそうやって出てみると、また何だか留守が気にかかりながら、いくらか気分が安易になって、何うかするとにょきにょき出てくる彼女の厭な性癖や、それに拘(こだわ)りがちな自分の苦しみから解放されるのであった。

 十時が今度来た用事というのは、姪の悦子の結婚についてであった。去年十時が母の法要に来た時も、別れぎわに姉から一寸その話が出た。姉は良人(おっと)の没後、あいている部屋へ学生を置いたりしていた。その時も郡部から出ている学生が二人、ずっと前からいて、家族的に暮らしているらしく、その親達とも親類同様に付き合っていたのであったが、その一人と悦子との間にいつとはなしそうした愛が柔らかい根をおろしはじめていた。

「今度はどうもそういう風になるかと思う。先もその積もりらしい。」
 
 十時を送って来た姉の千代子は、瀬戸物屋の陳列を見ている傍へ来て、その青年の聡明なこと、前途に期待の多いこと、子のように自分に昵(なじ)んでいることなぞを話した。

「若しそういう事にでもなったら、おしらせなさい。しかし親達や親類もあるし、とかく破れがちのものだから。」

 十時はそう云って、軽率(かるはずみ)なことのないように警告を与えて別れたのであった。

 今年になって、気軽な千代子が其の事で十時の帰国を促しに、七月末の或る日にひょこひょこと遣って来て、事態の切迫している事と、十時が行ってさえくれれば、先方は訳なく納まる筈だと言って、挨拶をするかしないうちに、いきなり十時の承諾を求めたのであった。十時もその時は直ぐにでも行くつもりであったが、落ち着いて考えてみると、其も軽率(かるはずみ)のように思われたので、其の話が破れた時のことをも予想において、わざと悦子の父方の従兄にあたる人に、一応話をしに行くように計らわせたのであった。しかし先方では親類に不同意の人もあったけれど、結局は、親達の意志に基づいて、結婚が証人されることに成ったので、今はただ十時の来るのを待つばかりだというのであった。十時は健康がすぐれなかったのだが、漸(やっ)と忙しいなかを都合して、東京を立ったのであった。

 で、昨日お昼前に着いたばかりの十時は、その午後早速懐かしい上の姉や兄の家を訪ねて、今日は東京では行く隙(ひま)のなかった床屋へなぞ行って、帰りに公園をぶらりぶらりして来たところであった。彼はまだお粥を食べていた。そして歩いたために疲れが出たので、腹這いになって千代子や悦子と話していた。学生は二人ともまだ来ていなかった。二階の十二畳も、下の六畳もがら空きであった。裏には孟宗の籔があって、白い粉を吹いたような竹と、其の枝葉が二階の十二畳と下の六畳とを薄暗くしていた。

「ここは何うです。」
 
 千代子は十時と一緒に二階へあがって、仕事をするような位置を考えたりしたが、十時には其の座敷よりも、上り口の明るい三畳の方が好かった。そこには悦子の兄の小机に、本箱に収まった謡曲本、尺八の譜などがあって、その傍の尺八掛に尺八が立てかけてあった。兄貴の宗一は、小学の五六年時代から、白髪など生えて、頭脳が悪かった。十時の家に来ていた頃は、写真だの簿記だのやらせたこともあったが、それで生活するほどの技術はなかった。彼は自分の生活費にも足らない月給で、或る会社へ勤めていた。十時は真実(ほんとう)の一人の姉の子であるこの兄妹が一番心配であった。彼等はその父の亡くなる前に、永く住みなれたその家を離れていた。

 十時は去年来た時も、兄妹で尺八と琴の合奏をやっている処へ来合わせて、余り好い感じがしなかった。亡くなった父親からしてが、職を失ってから碌に収入もないのに、床に花を生けたり、謡や碁に耽ったり、苗や朝顔を作ったりする方であった。彼は町の敗残者の一つの型であった。

 しかし宗一ももう四十であった。十時は小言を言っても追っつかないと思った。まだしも尺八でも吹いていられる彼の幸福を悦んでやりたかった。

「好い尺八があるな。」十時は手に取りあげて、袋を払ってみた。

「それ好いのですよ。なかなか高い。不思議に尺八が好きでね、もう少し詰めてやると、物になるそうだけれど。」

「それで御飯がたべて行けるようだったら。どうせ頭脳のいることは駄目な宗一のことだから。」

 十時はそんな事を言いながら、また下へおりて何か食べようかと思って、横になっていた処へ、微動を感じたのであった。


「地震だ。」


 敏感な十時はそう言って、電燈を見上げた。千代子も悦子も、同じく見上げた。そして初めて気がついた。

「あら金魚の水が……。」

 悦子は簾戸格子のところにある金魚鉢の水のだぶだぶ波立っているのを見ながら言った。

 少し止んだかと思うと、まだゆらゆらと揺れていた。微動ではあったけれど、その揺れ方が気味がわるかったので、十時は下駄を突っかけて外へ出た。二人も後から続いた。往来の人は誰も気づかぬらしかった。隣の家では、絞りの浴衣を着た上(かみ)さんが外へ出ていた。十時は暫くして入ろうと思うと、まだ揺れているらしいので、大分長く道の真ん中へ出て跪坐(しゃが)んでいた。

 内へ入ってから、十時は姉と濃尾の地震の話などをしていた。其れは父の死んだ年であった。十時はその前に、夜中に医者を迎えに駆け出した時、紺絣の単衣の藍の匂いが、鼻をしみたことを覚えている。十時は近頃のように地震を恐れもしなかったので、机の前に坐っていた。大阪から来ていた長兄が、地震嫌いの母が何うしたろうかと思って、奥へ入ってみると、母の姿がみえなかった。そして暫くすると、低い垣根の壊れたところを超えて、庭つづきの余所の竹藪からのこのこ彼女が出て来たのであった。十時が母を東京へ迎えなかったのは、地震の心配もあったからであった。

「どこだろう震源は……。」

 十時はぼんやり思ってみたきりであった。

 が、何だか不安を感じた。

「東京に地震があったかもしれん。」
「東京のはここまで来ん。」



  2013.3.8

 その日七時頃配達された夕刊に、横浜に大地震があって、町が盛んに焼けているということと、鈴川で汽車が転覆したとか、東海道線が名古屋以東不通になったとかいう極(ごく)簡短な大阪からの電話が載っているのを見たたけでは、十時の頭脳には東京にも同じような地震のあったことは、はっきりとは浮かばなかったのであったが、しかし不安は感じた。

「東京もきっとやられている。」十時は呟いた。

 悦子達が傍からそれを打ち消すので、十時もその気になりながら、矢張り気にかかった。彼は年取ってから、長いあいだ振り顧ることをしなかった、故郷が年々好くなっていた。そして帰る度に未知の自然や数ある温泉へ行ってみようと思いながら、いつも忙しいので果たさなかったので、今度は少しゆっくりして、子供のおり行った記憶のある白山の裾にある美しい谿谷だの、二三の温泉場などを巡って見ておこうと思って、今朝もそれらの土地の地理や汽車の時間や、交通の便などを折角研究していた処であったが、もうそうしていられないような気がした。そして東京の事情が何か少しでもわかり次第何時(いつ)でも出発できるように、目的の用件を片着けておかなければならないのであった。その前に瀬踏(せぶみ)の役を勤めてくれた悦子の父方の叔父の松木にも逢って、一応先方の意嚮(いこう)を聞いておく必要もあるのであった。何よりも自分の胃腸を早く癒さなければならなかった。

「今夜松木へ行こう。」

 十時は夕飯のとき、お粥を食べながら少し焦燥気味で言った。

「いいですわ。貴方が行かなくとも、お出でることになっているから。もう役所へ電話をかけた。」千代子が言った。

 その晩方に一人の方の学生が出て来て、竹藪に臨んだ下の六畳に荷物を持ち込んでいた。十時は木村というその青年に逢って、悦子の愛人の浜野の家の周囲関係を聴き取ったりした。七月に姉の千代子が来たとき、「おれが東京へ行って叔父さんに話をする」と言って意気こんでいたというその青年が、木村なのであったが、十時が逢ってみると、田舎の町の医師の一人子息で、親達の死んだ後は、老祖母と二人きりで暮らしているという彼は何処か坊ちゃん坊ちゃんした、丸顔の口数の少ない穏和な青年であった。しかし木村の唯一の大切な胤(たね)であるところから、学問なぞにはそう激(はげ)まない彼の輪廓が大まかで、ふっくらしている割りに、頭脳の好いことは、その晩皆なで花を引いたとき、十時に解ったのであった。 


 夜になってから、十時は気分を紛らせるために、彼等と二階で花を遊んでいた。こんな事をしていて可いのか、と彼は気が咎めたが、仕方がなかった。
 そこへ松木が来てくれたので、十時は下へおりて逢った。

「私も忙しいものですから、漸(やっ)と都合して行ったようなことで……。」温良な松木は言うのであった。

「先方では、私が行くと、東京から来たかと言って聞かれたくらいで、貴方の来られるのを待っているのです。私が逢った姉さんのお婿さんだという人が、ちょっと首(かむり)をふっているらしいので、少しむずかしいことを言っていたのですが、今はその人も表面へは出ないことになって、手紙で申し上げたとおり板谷という本人の従兄とかに当たる人から、円満解決の旨を言って来たのです。いや何うも、汽車をおりてからが、随分遠うござんしてね、朝夙(はや)くだから、足袋も袴も草の露でべとべとになって……しかしK―駅まで乗ってお出になれば、車もあるそうで。」

 松木は話がすむと、子供の話などして直きに帰って行った。

「あんな素直な人見たことがないと言って、松木の叔父さん先方へ大変受けがいいそうでね。」姉は後で噂した。

「僕もあの人が適任だと思ったんだ。」十時も言った。「僕はそう行かないから、自分でも用心したんだ。

 十時はまた二階へあがって、花の仲間に加わった。

「さあ、こんな事をしていて、東京はどうかな。」

 十時は時々呟いていた。何か未曾有の物凄いことが起こっているようにも思われたが、横浜だけのようにも思えた。


 そこへ蒔絵(まきえ)をやっている、一人の甥の信吉がやって来た。骨董などに目が利くので、彼はその時も自分の作品と茶器を一点もっていたが、少し酒気を帯びていた。彼は長いあいだ東京で蒔絵の権威について修業したので、叔父の十時に何かと心配もかけたし、一緒に下宿にいたこともあるので、十時の故郷へ来るのを誰よりも懐かしがっていたし、十時もまた何か食べに行く場合なぞ、信吉と一番話が合っていた。

「何だかもっているようだね。ちょっと見せないか。」

 十時は花札をつかんでいながら、解らないながらにそういうものにも興味をもっていたところから、そう言ってその包みを見ていた。


「いや、詰(つま)らんもんです。」信吉は笑っていた。

「信ちゃんはやらないかね、花を……。」
「その方ちっとも遣りません。」
「花は花でも、お上品な方だね、お茶もやっぱり遣ってるの。」
「ほんの時々。」信吉はやっぱり笑っていた。

 そこへまた田舎の方へ片着いている十時の妹がやって来た。彼女は町の方に家をかりてそこから子供を中学に通わせていた。十時は花を引き引きおりおり信吉や妹と断片的な話の遣り取りをしながら、気を紛らせていたが、やはり胸に痞(つか)えでもするようで気分がはずまなかった。もって来た仕事を取り上げる気には尚更なれなかった。

 裏の竹藪に爽やかな夜風の音がして、露虫が高い植物性の声で啼いていた。そして皆なが帰ってしまうと、十時はがらんとしたその部屋に釣られた蚊帳(かや)に入って、独り寝たが余りのうのうとした気持ちではなかった。



 三
 2013.3.19
 
 明朝早く起きて新聞を見たけれど、東海道筋のことが出ているだけで、東京の様子ははっきりわからなかった。しかし大なり小なりの影響のあることは確かであった。電車に乗っても、彼の心は鉛のように重かった。ざわざわした停車場の群集のなかへ入っても、名状しがたい気懶(けだる)さを感じた。それが単に盲目な本能的の不安であっただけに尚更不快なのであった。

「もう何(ど)うかなってしまっている。」

 彼はぼんやりした想像をめぐらしてみたが、それが何程の程度で何うかなっているか、見当のつけようもなかった。進歩した科学の智識を以てしても、何程のこともわからない空間的にも時間的にも無辺際な自然界が、いつも感ずるとおりにあるものとは勿論思えなかった。四時の風物などに本能的な敏感をもっている十時の感じうる処だけで見ても、この二三年の自然の現象は、それ以前の季節季節の陽気に比べて可也(かなり)な変化を見せていた。科学者でない十時は、それを学問的に考察する余裕をもたなかったけれど、いつもあったような初夏の爽やかな気分のかわりに、秋風のようなあわただしい冷たい風が、柔らかに萩の若葉を裏返らせたり、長いあいだの経験では、菊日和の好晴がつづく筈であるのに、梅雨期のような淋雨が降りつづいたりした。勿論それは一時的のものかもしれないし、太陽の熱が目にみえて弱くなったとか、地熱が冷却したなぞという、大きな変動でもなかったけれど、現在の生命に限りのある自然界が刻々死滅か新しい他の生命かに向かって、変化しつつある途中の出来事であることは明らかであった。そしてこれは随分原始的な人間の恐怖には違いないけれど、十時はいつ何時(なんどき)何んな目に逢わされるかもしれないという気がして、一日一日生きている心が竦(すく)みがちであった。人間が残らず平均に富んで、皆なが平和なお人好しばかりである社会が、どんなにか無興味な退屈なものであろうかの如くに、暴風雨や雷霆(らいてい)や海鳴のない好晴つづきの自然がいかに刺戟のない慵(ものう)いものであるかは、想像するだけでも、不愉快になるのだが、親しみ易いだけそれだけ可怕(こわ)い自然界のことだから、いつ何んな力を出して踏ん反り返らないとも限らないのである。


 十時には殊にも大地が不安であった。彼は不断から足の下がゆらゆらしているような気がしてならなかった。一生のうちに一度は投(ほう)り出されるような気がしていた。自分の一生に来なければ、子供達の代に来るかも知れなかった。そして其が今遣って来たのではないかと思われた。

「来たなら来たでもいい。」

 十時はそう思ったと同時に、今迄遭遇して来た「国民難」といったような色々の出来事を回想した。

 停車場の気分は不断と変わりはなかった。十時は自分と同じ心配をもっている人があるかと思って、色々の人の顔を見た。東京から来る途中、場末の女優のような女が、変な洋服を着た茶目を二人つれて、町が近くなった頃に、舞台の衣裳のような安価な、しかし其れがよく其の女の顔に映る着物を大きなバスケットから出して着込んだり、窓枠に鏡をかけて、熱心にお化粧をしたりしていた。茶目が母親の叱るのを面白がって、窓へ足をかけたり何かして、人をはらはらさせた。それは乗客に取って、不時の怠窟凌(たいくつしの)ぎであったが、あの女なども、好い時に来合わせたのだと、十時はその女が町のどこへ紛れこんでいるかを想像したりした。

 汽車は鈍かったが、結局予定どおりにK―町へついた。十時はそこから俥(くるま)を僦(やと)った。彼は俥のうえで、今ステーションで買った大阪の新聞を繰り拡げた。俥は寂しい町を走っていた。海辺から来るようなそよそよした風が、まともに吹くので、新聞を拡げるのに骨がおれた。その新聞では東京のことは矢張り漠然としていた。警視庁が焼けたとか、宮城に火が移ったとか、内閣員の親任式の最中首相が泡を喰って逃げ出したとか、其の元老が圧死したとか、誰某の行方が不明だとか、丸ビルや三越で幾百の死傷があったとか、其の他学校、病院、官衙(かんが)、銀行、会社などの重立(おもだ)った建造物の震害と火災などが大業ではあるが簡短に報告されてあるばかりで十時の頭脳に映じた印象は都(す)べて混沌としていたけれど、一昨夜まで其の中に平気で暮らしていたあの東京が今は容易ならぬ大動乱の渦中にあることだけは、やや彼の感覚に輪廓づけられて来た。十時は詳しく読むのも厭なような気がしたので、其の儘膝の上に新聞を畳んでしまった。

 俥は長いあいだ走り続けた。荒廃した町堺から広い平野へ出ると、澄みわたった大空の碧や、黄ばみかかった稲穂にそよぐ微風などが、遽(にわ)かに心の痛みを拭き取るようで、富裕らしくは見えながら、夢のような静かさの湛えられた平凡な村邑の、森から森へと繋がっているのが、如何にも平和な感じを与えた。十時は何はともあれ、地に俯して働いている者の幸福さを感じたが、若しも東京が一朝にして滅茶滅茶になって、総ての生活が虚無に帰してしまうとなると、懐かしい故郷其物(そのもの)すらが、今迄もっていた意義を失って、彼が見棄てた時の住み辛い三十年前の其れよりも、頼りない寂しいものであるに過ぎなかった。そこに生活の根をもたない十時は、甥の信吉や宗一や、其の他の多くの町の人が、兎にも角にも持っているような何物をも所有していないのであった。

「若しも自分が産まれたとき、父がくれてやる約束をした貧しい農夫につれられて、こんな土地に百姓の子として育っていたとしたら……。」

 十時はそんな事を思って苦笑した。

 楆(かなめ)や高野槙(こうやまき)などの垣根の多い村へ入って来た。道傍に穀物が干されてあったり、鶏がくくと餌を猟(あさ)っていたりした。俥は籔蔭の道を通ったり、無花果(いちじく)の熟した枝葉と、十時の帽子が摺れ摺れになったりした。

 浜野では十時の来るのを今日も待ち受けていたように、老婆が彼の姿を見ると「おいでじゃ」と言って奥へ駆け込んだ。十時は綺麗に拭き込んだ板の渡されてある広い土間から、炉が切ってある茶の間へあがって挨拶したが、間もなく書院作りの奥へ通された。髪の毛をのばした、目の澄んだ小柄の青年が、帷子(かたびら)をきていて、「板谷へ行ってきましたか」と聞くから、「後で伺うつもりで……」と答えると、彼は従兄の板谷を呼びに行ったらしく、お茶など飲んでいると、其の人がやって来て、「お互いに角目立(つのめだ)っている場合でないから、詰まらない感情を棄て、本人達の幸福を図っているように、御同感であるなら結婚させたい」という意味を、親しみのある打ち釈けた調子で話し出した。

「そういうふうの御見解だと、私の方も非常に有難いんです。」
十時も安心したように同感の旨を述べた。

 水の迸(ほとばし)りそうな紅い西瓜(すいか)が、そこに盛られてあった。

「さあ、お暑いですから何うぞ。何もないところで、西瓜が名物でして。」

 話がきまったところで、一献汲もうといって、杯盤が持ち出され、年取った父親や本人もそこへ連なった。

「倅(せがれ)も一粒種ですので、そう学問の方を深入りさせる積もりではなかったのじゃが、幸か不幸か幼い時分から頭脳(あたま)が好い方で、私も卒業まで生きられるか何うか、心細いとは思いますが、まあ仕方がないと思って、……倅もそれを心配して、医大の方なら東京まで行かんでも済むから、医者になろうというので、今度その方へ入学しましたが、まだ先が四年もあるさかえ、結婚は早いが、そうも言うておれんで、式は卒業の時として、とにかく内祝言のようなことにして、極(き)めておきさえすれば、却って落ち着いていいかもしれんと、こう思うて……。」

 耳の少し遠い、実直と几帳面その物のような老人は、煙管に煙草をつめながら、微声
(こごえ)で話した。

「それで念には念を入れておきたいのは、町に育った娘さんのことですもんだからこんな田舎は不自由で居辛かろうし、厭にもなろうと思いますので、私はそれが案じられる。」
「いや、本人はその点十分承知しているようです。いつぞや私が東京へ連れて行ったことがありましたが、若い女には珍しい、東京が嫌いで、何うしても居つこうとはしなかった位ですから。」

 十時は答えたが、それは彼のお座なりではなかった。それに浜野は志望が大きかった。博士論文の下準備さえ、もう頭脳(あたま)に描いているくらいで、開業などする意志もないらしかった。行く行くは町で暮らすか、それとも東京へ出るか、勿論洋行なども一度はしないではいないだろうと思われた。 

 飯の支度をするから、袴でもとって寛いでくれと、勧められたけれど、十時はそうしても居られなかった。

「また重ねて。何しろ東京の方が、生死のほども判りませんので。」

 十時も暇がないし、文字通り杯だけさせることにして――それも姉の家の二階で、ひっそり遣ることにして、その日取りを、十時は明日にもと思いながら、つい明後日ということに決めて帰った。

 数十分すると、彼はK―町の停車場へ入った。停車場には何となく、慌忙(あわただ)しい不安の気が漂っていて、今そこへ地方新聞の号外売りが出て行ったり、一頁(ぺーじ)大のその号外を見ている軍人があったりしたが、十時がそこへ寄って行った時分には、軍人達は号外をもって出て行った。十時は胸がわくわくした。そして誰か号外をもっている人はないかと思って待合室を覗いたり、構外の広場へ出てみたりした。寄り寄り地震の噂をしている者もあった。十時は傍へ寄って行って耳を傾けた。

 すると間もなく、入り口の方で、多勢の人が一枚の号外に集まっているのが目に着いたので、十時は急いで寄って行った。ふいに「ポンペイ最後の日――東京は今や焦土と化しつつあり」という大きな活字が、彼の微弱な心臓に強い衝動を与えた。そして「神田、本郷被害甚大」という文字が目についた時には、彼は目がくらくらして、体を支えるのがちょっと困難のようであった。彼は辛うじて自ら支えることができた。



  2013.3.25

 それからは来る報道も来る報道も、ただ恐ろしいことばかりであった。悪いことにしても好いことにしても、新聞の報告はとかく誇張になりがちなことは十時も知っていたが、彼は何時(いつ)でも「もっと酷いことがある」といったような気持ちで、それを受け取るほど、本質的に用心深く産まれついていた。しかし世間的には可なりルーズな生活気分もあって、それによって、今まで彼は生きて来たのだと思われた。今度のことなぞも、姉や悦子の気休めでは安心することはできなかったが、どこまで悪くなって行くか知れないような、各方面の情報に接する毎に、彼は全く今迄踏み込んで考えようとしたこともない禍が、自分達のうえに落ちて来たことを感じた。押詰め押詰めして考えていた以上に、彼は次第に押詰められつつあることを感じた。
 
 そうして概括的な、或いは部分的な各種の報道のなかで、火災の悲惨な事実を最もよく描写したものは、何といっても東京の街々を見てあるいた汽車の報告で、そのなかには覿面(てきめん)に十時の目の前へ、妻や老人や大勢の子供達が火焰に追われて、そこここと逃げ惑い、幼いものは路上に棄てられて群集に踏みにじられ、若いものは若いもので、足腰の不自由な老人や、不断から病気がちで、よく外で卒倒したりすることのある母や、幼い弟妹だちに引かされて、手足の自由を失ったり、火煙に蒸された人波に押し隔てられたり、死骸に躓いたりして、散々離々(ちりぢりばらばら)になって、辛い思いで生死の境に呻吟(うめ)き苦しんでいるであろう活きた図を、まざまざと見せてくれるようなのもあって、それによって色々の場合や光景を想像すればするほど、彼は頭脳が磨ぎすましたように鋭くなるばかりであった。彼はただ溜息を吐くより外なかった。

「ひどい事になるもんだな。」

 十時は号外のうえに顔を伏せながら、冷笑的に呻吟(うめ)いていた。人と口を利くのも慵(だる)かったし、手や足にも力がなかったが、しかしまた折角楽しんで来た故郷の温泉の匂いもかかず、いつもお預けにして帰ったので、今度こそは仕事の隙々に、行ってみようと思っていた街の料理屋へも行かずに、このまま帰ってしまうのが、残り惜しいような、妙に低回的な気分が、滓(かす)のようにどこかに、こびりついているようにも思われて、彼が不思議な自分の心理を、底から見透かし得るような疎ましさを感じた。それに東京に残して来たものは、故郷の土の匂いのなかにそうして肉親の人達に囲まれている十時の感じでは、みんな他人だという気さえするのであった。子供ですらが、より多く母体の系統を引いている、当然母方の肉親たちに属すべき性質のもののように思えるのであった。

 午後から夜へかけて、十時が病人顔(づら)をして浴衣がけで坐りこんでいる茶の室(ま)へ、上の姉や信吉や妹やが入替り立替りやって来て、姉と悦子は送迎に忙しかったが、大抵の人は東京か横浜か鎌倉かの孰(どっち)かに関係をもっていた。十時の一人の甥は横浜に店をもっていて、去年山の手の方に邸宅を新築した。二人は東京にいた。信吉の姉の長女は、或る物産会社員に片着いて、柏木に住んでいた。嫂(あによめ)の弟の子達は鎌倉の別荘にいた。そして其の嫂が伺いをたてた結果によると、何れもこれも安全なものはなかったが、十時の家族だけは、家は少し傷んだけれど、打ち揃って無事であるというのであった。それには上の姉が見て来た卜者(ぼくしゃ)の言葉と符合するところがあった。

「それで、急いでお立ちになるのは危険だそうで、一両日のうちに急度(きっと)何かの知らせがくるから、それまで立つのをお見合わせになるように。当てにもなりますまいけれど、不思議によく中(あた)りますので。」嫂は言うのであった。

 しかし十時は仮りの盃をするために、浜野の人達に約束した翌々日まで、同じ懊悩のうちに時を過ごすのが、堪えられない苦痛であったので、遽かにそれを明日に繰りあげてもらうことに電報を打たせておいて、その晩は少しでも体を安めておくために、十時頃に二階へ上って寝ることにした。勿論帰るにしても、迚(とて)も一人では駄目だと思った。皆んなもそれを気遣った。兄の家出は人夫(にんぷ)を、姉達のうちでは信吉や宗一を附けてくれることになっていた。

 翌日は朝から雨が降っていた。窓から見ると、北国らしい空一面に漠々(ばくばく)した雨雲が瀰漫(びまん)して、東南の方だけが微かに明いていた。悦子が浜野青年と盃をすることは、まだ兄の宗一には話していなかった。十時は初めからそれを不思議に思いながら、早く打ち明けることを姉に勧めていた。

「それなら叔父さんが話して下さい。」姉は言うのであった。


「それでもいいが、そういう事がいけないと思うね。いくら無能でも、総領は総領だから。親類一同へも、秘し隠しに隠しておかないで、皆なに話すがいい。己がいいようにする。」

 十時は言っていたが、しかし姉も悦子も、何故かそれを躊躇していた。勿論この零落(おちぶ)れた一家だけが、孤立の形になっていることも事実であった。


 十時はその朝新聞にさわるのも厭であったが、しかし矢張り気になった。大分色々のことが
判って来たらしかったが、饑餓に苦しんでいる市民は、更にまた鮮人の騒ぎなどで、まるで無政府状態におかれてあることなどが、十時の心を新しく傷つけた。昨夜彼は、疲れた神経が、不愉快な幻想に苛まれて、それから寝られなくなったところで夜なかに寂しい二階をおりて、茶の室で空の白むのを待っていた。末の女の子を振り返り振り返り何処へともなく歩いて行く妻の姿が、硝子に映るように浮かんだ。長男が力味返(りきみかえ)って、拳を固めて何かを打ち破ろうとしている半身が見えて、その掛声で十時は目がさめたのであった。彼は霊魂の不滅などを信じなかったが、死の前後、意力の惰性で、しばらく中空にふわふわしているくらいのことは有りそうに思えた。十時は夜の白む頃に再び、二階へ上って蚊帳のなかへ入ったのであったが、彼はその時ほど、心が死に近づいていったことはなかった。彼は呪わしい生活破壊を今迄幾度考えてみたか知れなかったが、思いがけない自然の暴力で今その家庭が虚無に帰したときの、彼の姿を思うと、寂しい行脚僧(あんぎゃそう)なぞよりも、死を択(えら)んだ方が優(まし)だと思われた。


 午後になっても雨は遏(や)まなかった。信吉が来て、上京するには身元の証明が必要だと告げてくれたので、彼はどしゃ降りのなかを、裾を蹇(から)げて市役所まで出向いて行った。公園の下の道を通ると、雨水が河のように流れて、電車の線路が洗い晒されたようになっていたが、いつも時代に置いて行かれている此の町も、今は無上の楽土だと思われた。市役所では手続きが面倒だったので彼は更に警察の方へ行ってみた。証明を取りに来ている人が、殺到していた。そして証明書には写真の貼附(てんぷ)が必要だというので、更にそこから十町ばかり先にある。早取の写真屋を教わってそこへ行った。

「翌日の午後一時ですな。」写してから写真屋は言った。

 暫くすると、十時はまた人々の集まった茶の室にいた。そこへ山からおりて来た兄が俥でやって来た。

「どうも今度はまた大変なことになったものだね。」

 兄はズボンをたくし上げるようにして坐りながら、

「しかし心配することはないぞ。己(おれ)は本郷は大丈夫だと思う。各区のことが出ているけれど、未だ本郷のことは一向出ておらんじゃないか。新聞で見ていると、大変なことのように思うけれど、色々綜合的に想像してみてもわかるが、安全な処も其の中にはあるに決まっている、若しまた焼けたとしたところで、大きい子供もいるし、人も来てくれているだろう。」と言って、極力慰めるのであった。

「いや、なかなかそうじゃないらしい。」十時は首をひねった。

「こういう目に逢った子供は好くなるぞ。」

 兄はそれから、どうせ途中だから立つなら寄るようにと言って、直ちに他の方面へまわって行った。

 直きに四時頃になった。彼は今朝から今日の支度に奔走していたが、もう其の時分には雨のふるなかを、料理を入れた籠をかついだ男がやって来て、姉は一つ一つそれを台所の方へ運びなどしていた。やがて浜野青年と、その従兄の板谷とが雨に濡れながら遣って来て、挨拶がすむと、町で仕立てて来た柳樽や、熨斗(のし)や鯣(するめ)や結納の包みなどを、別の部屋で取り飾って、十時と姉との前へ、容(かたち)を更(あらた)めながら差し出した。その中には黒い水引をかけた、仏前の一包みもあった。十時はこっちがぬかっていたことに気がついて、ちょっと狼狽したが、しかしそれは何うでもなることだと思いながら、苦しい弁解をしたりした。

「いや、何も知りませんもので、……まあ親達の申しつけ通りに」と板谷も謙遜していた。

 人の出入りがあるので、二人はやがて二階で上って行った。

「なかなかちゃんとしているね。」十時は姉に私語(ささや)いた。
「何と言っても、はずむ時ははずむ人達だから。」姉も気が引けるように言った。

 十時はそれらの品と礼服とを、バスケットや風呂敷包みにして、二人で背負って来たことなどで、殊にも好い感じを与えられた。

 日の暮れ方に、宗一が会社から帰って来た。十時は今迄の経過と、今日のことを告げて、松木も二日の晩、社長が東京にいるので、若い人達と一緒に上京して、他に列なる人もなかったので、宗一だけは列席さしたいと姉が遽に気を揉むので、気軽に姉から話してみさせることにした。薄暗い奥の納戸で、姉は宗一の前に一切を打ち明けた。

 十時は今まで無気力な宗一が、何一つ自分の意志らしいものを表明したことを聞かなかったし、人と人との交渉で、少しも自己らしいものを出した例を曾て知らなかった。仏のようなお人好しであった。勿論尺八なぞ吹くほどだから、時代の空気とも没交渉で、遺伝的に少し許(ばか)り手の器用さをもってはいたけれど、強いてそれを発揮しようともしないのであった。障りにはならない代わりに、頼りにもならなかった。

 十時はまだ子供のように思っていたが、姉に聞くと彼ももう四十であった。

「埒(らち)があかん。何うしても出ようと言わんもの。」
姉は十時の傍へ来て言った。

「何うして……。」十時は袴の紐を結びながら、「承認しないとでも言うのかね。」

「まあそうや。」姉は溜息を吐いた。

「尤も今迄秘しておいたのは悪い。しかし宗一はそんな男かね。」

「あの人には困る。言い出すと頑固で。」姉は途方に暮れたような顔をして、「実のところは、今迄打ち明けようと思うても、私も悦子も可怕(こわ)うて言い出せんのや。浜野さんも可怕がってや。」

「乱暴でもするかね。」

「そんな事もないけれど。」姉は今更十時に見えをしても仕方がないと思って、「浜野さんを二階からおろして、悦子と一緒に謝罪(あやま)らせろと言うて、肯(き)かんのでね。」

 十時は信じられなかった。

「一体何ういうのだね。それには何か原因がありそうだが。」

「そや、原因と言うほどのこともないけれど、会社の仲間で、妹をくれれば宗ちゃんにお嫁さんを世話するという人もあるし、あれは去年やったか、宗ちゃんの知っている憲兵隊の将校さんからも話があって、宗ちゃんは悉皆(すっかり)気になっていたけれど、そんな人軍縮で駄目でしょう。任地が挑戦では尚更厭だし。宗ちゃんは、その時大変に怒って、己の言うことを聞かないなら、家におかないから、何処かへ行ってしまえと言うてね。そんなことで長いこと紛紜(いざこざ)して、悦子が夜なかに家を飛び出したこともある。」

「まるでお話にならん。」十時は思ったが、今夜の処を穏やかに済ますには、悦子に手を突かせでもするより外はなかった。

「わたし可怕(こわ)い。」悦子は躊躇していたが、納戸へ入って行った。

 暫くすると、悦子の泣き声が微かに洩れて来た。十時は仕方なし納戸へ入って行ったが、その時は宗一はその先の籔蔭の六畳にいて、椅子に腰かけて、木彫のような無表情な可怕い顔をしていた。十時はその傍へ寄って、下から優しい言葉を以て、硬張った彼の気持ちを釈しなだめようと努めたが、彼はじっと目を据えたきりで、口を利こうともしないのであった。十時はまた悦子や母親の立場を説明して、誰に頼(よ)るところもない悦子の、それが当然択ぶべき道であると同時に、それを成立たせるのが、宗一の責任だというような意味を、繰り返し説いてみたが、彼はびくともしないのであった。童蒙な目が血走ったように光っていた。

「とにかく出ることにしよう。己もそんな処じゃないんだ。出るだろう。」

 宗一の唇が漸(やっ)と動いた。

「どうも出られん。親類へ極まりも悪いし、莫迦莫迦しくて。」
宗一はにやりとして笑った。

 十時はまた其の事が、宗一の考えているように、極まりの悪い理由のない事と、親類へも公開する旨を話したが、其の時心臓が苦しくなって来たし、その場の光景が芝居じみているのに興ざめがして、そこを出て、濡れ手拭で冷やしながら、暫く横になっていた。そして気分が快くなったところで、二階へ上がって行った。

 大分たってから、急かしに下へ降りてみた。

「宗ちゃんが乱暴して、お吸物の鍋を引くらかえしたもんやかえ。これには困る。悦の着物だって、みんなあの人が引き裂いてしまうから、家におかんようにしておる。」
白足袋に紋附を着た姉はそう言ってお膳立てに忙しかった。




  2013.3.31

 十時は翌日にも立とうと思ったけれど、証明が間に合わなかった。それに大宮口などは、竹槍騒ぎで近寄れないから、今二三日見合わすようにと、皆なに引き止められた。

 宗一は昨夜浜野たちが帰ったあと、皆なが寝てから、鎖(さ)した戸をあけてからからと下駄を鳴らして出て行ったきり、帰らなかった。

「あいつ何うしたろう。」十時が言い出すと、
「さあ、何処へ行ったのやら。」と、悦子も笑っていた。

「宗一はああいう男かね。」
「まだまだ酷い。皆なこわがってや。」

 で、姉や悦子の話によると、いつも皆なから除外されている孤独な彼の生活も、可なり荒み気味であることが想像された。俸給なぞも、大部分飲み食いに費(つか)うらしかった。

「けれども何うして、悦子の邪魔をするだろ。嫉妬じゃないか。」
「そうかね。」姉も首を傾げていたが、「それやから早く嫁をもたそうと思うけれど、それには余程働きのある人でなければ……。昨夜もあれから色々話してみたけれど、宗ちゃんは、明日にも悦子を余所へ出せと言うて肯(き)かん。其れができなければ、自分で出るというのやけれど、此の前だって、直きに謝罪(あやま)ってきたさかえ。」姉は笑った。

「それは浜野さんも、謝罪っても可いと言うておいでのやけれど、」
 十時はもうその問題に深入りしても、仕方がないと思った。

 十時は昼頃家を出て、大阪新聞の支局を訪問したり、支那の詞曲通で京阪や東京にも交友の多い旧友のH氏を訪ねたりして、四時頃に家へ帰って来た。警察へもまわってみたが、立つのは暫く見合わせろと言って、署長までが引き止めたので、明日はと思っていた決心が鈍って来た。

 四時頃に信吉が来て、散歩に誘われたので、十時はこの間に墓参りでもしておこうと思って、家を出た。途中信吉の姉の家へ寄ってみたりした。そこでも不安の気が漂っていた。お産をして、つい近頃帰ったばかりの淀橋の娘夫婦よりも、何かの力になってくれている横浜の義弟の方が、余計気遣われた。

 十時はどこへ行っても落ち着いている瀬はなかったが、歩いていても妻子の姿が、頭脳にこびりついていて、離れなかった。

「お寺なら、ここから抜けましょう。」
信吉はそう言って、彼の叔母さんの家の格子戸を開けて、入って行った。

 いつか見た時よりも、その家は一層綺麗になっていた。娘夫婦に子がないので、軍人の娘さんなどに、琴や花などを教えて、悠楽に暮らしていた。

「御心配でございましょうね。」娘も老母も出て来て、お見舞いを言った。

 十時はこういう世界もあるのかと、羨ましく思いながら、長い土間を通りむけて、庭の木戸をあけて貰って、裏通りへ出た。

 静かな町であった。とってんかんとってんかんと箔を打つ音などが、微かにしていた。貸席の電燈を出した洒落た家などが、目についた。

 十町ばかり川添いの町を行くと、そこにお寺があった。近年昵(なじ)みになった住職はいなかったが、お経料をおいて、墓地へ入って行った。可也な広さの十時の先祖の墓所に、幾基かの墓が立っていて、そこに父や母や長兄が眠っていた。目をつぶっていると、過去の幻影が浮き出してきた。

 帰りに川に沿った料理屋へあがった。どの部屋もどの部屋もがらんとしていた。十時と信吉は、汗を流すために、瀟洒な露次庭の飛び石をわたって、湯殿へ入って行った。それから湯をうめたりして、浸かろうとしている処へ、信吉の妹婿から電話がかかって来て、信吉が行ってみると、今日五時に、第一回の避難民が四百ばかり着くから、若し其のなかに十時の家族がいるか何うか見に行っては何うかと言うのであった。

 信吉は湯殿へ復って来て、「いかがです、行ってごらんになっては」と勧めた。

 勿論十時が宗一をつれて行くことになれば、皆なを此処へ引き揚げさせるようにとの説もあったし、昨日あたりもぽつぽつ帰って来るのもあって、十時の気分では、妻や子供が自分のところへ帰って来るのが、そう不自然だとも思えなかった。

「だが、万に一つその中にいるとして、誰と誰とが生き残っているか。」
十時はそう思った。

 二人は急いで着物を着て、ステーションへ向かった。ステーション前は、群集で身動きができなかった。そして三四十分もすると、避難民を載せた列車が入って来たが、勿論十時の子供達の居よう筈もなかった。もっと近いところに、妻の田舎があるのであった。

 夜はまた姉の家の茶の室で、十時は色々な人に逢ったが、此等(これら)の人達が帰ってから、宗一もそこへ来てお茶を飲んでいた。宗一は不断と少しも変わらない調子で、十時に話しかけた。まるで昨夜のことは忘れたようであった。そのうちに話がまた昨夜の問題に移って行った。

「今まで何遍私は悦子に警告したかわからん。その度に悦は鼻で笑っておったんだ。浜野だって無礼だ。人の横間(よこあい)から人の妹を褫(うば)っておいて、私(わし)に一言の断りもないんだからね。今度のことは皆なで共謀(ぐる)で、私を出しぬいてしもうたんだ。こんな莫迦莫迦しいことはありゃしない。」宗一は言い出した。

「それは悪かった。だから己はお前に陳弁しているんだが、除外されても仕方のないことがお前にもあるんじゃないか。お前は今まで悦のために何をしてやったんだ。」

「それと是(これ)とは別問題だ。」
「それで、何うしてもこの話を打ち壊すというなら、打ち壊しても可い。お前は後始末をつけるかい。」

「後始末というと。」

「先方へ行って、話をつけるのさ。そして悦子の体の処置をするのさ。」

「そんなこと言ったって……そりゃ弱いもの窘(いじ)めというもんで……。」
宗一はしおしおした目を細くして笑った。

 十時は怒れもしないと思った。

 宗一はやがて二階へ上がって行った。

「お話にならんこと。」姉も悦子も笑っていた。

「誰に似ているのかな。」十時は宗一と自分の顔に、相似点のあることを知っていたが、気質も共通しているように思えてならなかった。

「あれはお父さんにも、ああいうところがあった。京都の叔父さんは、もっと酷い。」姉は言った。

 二階では尺八を吹きはじめていた。十時はその音を余り好かなかったけれど、宗一の吹くのは彼のために好いと思った。子供の時分から持っている姉の三味線が二階の床脇のところにおいてあるのも思い合わされて、近頃の彼女の気分がわかるように思えた。この一家族がいつも気遣われていた十時もいくらか安易を感じた。


 

                                     (完)


◎初出雑誌掲載の本文を底本に、現代的仮名遣いに改め適宜補訂を行った。
  初出:大正1311日(「中央公論」第39第1号)


 
 




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