不定期連載



「花の精」


 上
 2013.5.3

 太郎は今朝早くから起きて、隣のお秋さんという娘の花畠から、無慚(むざん)にも色々(いろん)な花を引きちぎって来たので、お秋さんの美しい大切(だいじ)の花畠は、散々になって了(しま)った。お秋さんというのは、花売の娘で、少しばかりの花畠の花を、毎朝毎朝剪(き)っては町へ売りに行って、それで一人の阿母(おっか)さんを養っている、孝行娘であった。花畠には色々の花が、四時の絶えまなく咲いているのであるが、この娘のような可愛らしい花というのはあるまい。

 太郎は意地の悪い子で、女郎花(おみなえし)だの小萩(こはぎ)だの、桔梗(ききょう)だの刈萱(かるかや)だの藤袴(ふじばかま)だの、有ると有らゆる花をへし折って、そして垣根を踰(こ)して、人の知らぬまに外へ出た。で、好い気味だと思って、ちぎって来た花を、大きな松の樹の根に坐って、むしっていると、松風が吹いて、好い心持ちになったと思うと、何うしたのか、段々眠気がさして来て、到頭(とうとう)花束を枕にして、すやすやと眠入(ねい)って了った。

 ぽたりぽたりと冷やっこい露の雫が、額の上へおちて来るかと思うと、何か好い匂いのする風が習々(そよそよ)と腋下(わきのした)のところから、背(せな)へ吹き込んだので、太郎は起(たち)あがろうとすると、其の躰(からだ)の軽いことといったらない。変だ!と思ってみると、躰中が黄色くなって、そして所々に水晶のような露の白玉が喰着(くっつ)いていて、日の光にきらきらと光っている。

「何だな、これは?可笑(おか)しいな!」と気味わるがっていると、また吹いて来る風に、ふわふわと躰が吹かれて動き出した。

「妙だ!」と不審がっているまに、此方(こっち)の草の葉の上から、向こうの草の葉まで飛んで行って。ひょろひょろ其処等中(そこらじゅう)を風に吹かれるのであった。
「己(おれ)は一体何うしたのだろう。」と変な気になって、悲しくなって来たので、泣き出しそうにしていると、

「お泣きでないよ!」という優しい、はっきりした声が耳へ入ったので、誰かと思って、驚いて振り返ってみると、茫々(ぼうぼう)と生えた花のない秋草の中から、矗(すっく)と、立っているのは、気高い女のような、人かと看ると、頭から裾まで秋の花ばかりで飾った、天女のようなものであった。で透徹(すきとお)るような肌は、顔から胸、腕の辺りまで、まるで露を見るようで、花で綴った着物が、風の吹く度に好い匂いを放つので、太郎は呆気(あっけ)に取られて、ぽかんとして見とれていると、何処か隣の花売のお秋さんに似ているようにも思われたから、「お前さんは誰なんだい?」と聞いてみた。すると、寂しい笑顔(わらいがお)をして、「花の精。」と言った。

「おれは、一体何うしたのかしら?」と聞くまでもなく独語(ひとりご)ちていると、花の精は微笑んで言った。

「お前は蝶々だわ。」
「おれが蝶々なもんか。」
「でも、ごらんよ、羽が生えて、草葉の端に止まっているから蝶々だわ。」
「何うして己が蝶々なんかになったんだろう。」
「余りお悪戯(いた)が過ぎるから、私が為(し)てあげたのだわ。」
「可(い)けないな、元の通りにしておくれな、よう、これから学校へ行こうてぇんだから、こんな姿(なり)じゃ恥ずかしくって行けないじゃないか。」
「ああ可いよ、今に元の通りにしてあげるから暫(しばら)く辛抱しておいで。」

 太郎はまた泣き出しそうになって、浅猿(あさま)しく変わり果てた自分の姿を見ていると、不思議に奇麗なもので、日に映る羽の色の好いことというのはなかった。で、拡げようと思えば、羽は何時(いつ)でも拡がる、飛ぼうと思えば何処へでも飛べるので、惰(なま)けものの太郎は、結句好いことにして一日でも二日でも、恁(こ)うして遊んでいるのも面白いと思った。

 花の精だと言った、例の天女は迹(あと)から蹤(つ)いて来て、
「何うだえ、段々面白くなるから、然(そ)うやって遊んでおいで。そろそろ暑くなって来たから、私は是(これ)で御免を蒙(こうむ)りますよ。」

 太郎は是に別れてはと思ったので、
「可厭(いや)だな、お前さんが行っ了(ちま)っちゃ可厭だな。」とおろおろ声になった。

「でもごらんよ、お日様の力が強くなるので、悉皆(すっかり)躰の露が乾いて、迚(とて)も恁(こ)うやっている訳には行かないのだから、晩方にまた来ようじゃないか。」
「そして、己は何だかお腹が空いて来た。」
「お腹が空いたら、勝手に露をお吸いよ、甘くって、本当(ほんと)に美(おい)しいものだから、屹度(きっと)所好(すき)になるに違いないから。」
「露は何処にあるの?」
「花の中にあるわ、何処へでも行って勝手にお吸いよ。」
「花は何処にあるの?」
「花は何処にでもある訳だけれど、毒な花があるから気をおつけよ。そして、こんな草っぱらの中にいると、鳥や何かが来て、お前さんを食べて了(しま)うから、矢張(やっぱり)黄色い花か何かの側にいる方が安心だわ。蜘蛛の巣に引っかかると、蜘蛛に喰い着かれるから、用心おしよ。可いかい、さようなら。」

と言う声に力がないと思ったが、躰の色は看々(みるみる)変わって、忽(たちま)ち見えなくなって了った。 

「待っておくれよ待っておくれよ。」と呼んでみたが、何処にも見えなかった。と思うと、今まで四辺(あたり)に薫(くん)じていた匂いもなくなって、遽(にわか)に淋しくなって了った。
 

 
  2013.5.17

 太郎は、気を揉んで、暫く其処此処(そこここ)と飛んで行(ある)いてみたが、日が段々高く昇って来たので、何(ど)の草にも露というものは一雫(ひとしずく)もない。で自分の躰は草熱(くさいきれ)に焦(ほて)って、その息苦しいことと言ったら無かった。

 太郎はがっかりして、羽を拡げたまま、草の葉末から、株の間へ落ちたと思ったが、気味の悪い、羶(なまぐさ)い風が、鼻さきへ通(かよ)って来るので、驚いて目を張ってみると、株あいに、ぎろりと光るものがあった。途端に火のような真紅(まっか)の舌を出して、苦しそうに喘いでいたのは一匹の蛇で、首を持ちあげて、此方(こっち)を睨(ね)めていた。太郎は思わず、慄然(ぞっと)身顫(みぶる)いをして、起(たち)あがろうとすると、蛇はするりするりと、草の上を這い出したので、太郎は可怕吃驚(おっかなびっくり)で、後をも見ず、羽に力を入れて、一生懸命に飛び出した。

 太郎は為方なし、涼しそうな木の陰を見つけて、飛びよろうとすると、可憎(あいにく)何の木にも蝉(せみ)が喧(やかま)しく啼いているのでなければ、何という鳥が知らぬのが、ちゅうと囀(さえず)っているので、可恐(こわ)くて寄りつく訳に行かなかった。で可成(なるべく)寂しい方を選(え)って行(ある)くと、何処にも蜘蛛の巣が直(ぴっ)たり張ってあって、其の又(また)糸筋には、甘そうな露が、綺麗な色を放っているのであるが、大きな目を見張って、毒々しい蜘蛛が番を為(し)ているので、これも可(い)けなかった。

 花の精が来て、助けてくれれば可(い)と思ったので、「花の精やい花の精やい。」と出来るだけ大きな声を出して呼んでみたが、咽喉(のど)が乾いているのだから、直(じき)に弱って了(しま)って、長くは続かない、暫くほっつきまわっているうち、何処か好い匂いが為(す)るので、占(し)めた!と思って見廻すと、木槿(むくげ)の花が咲いていた。けれどもう大方萎(しぼ)んで、咲いているのは、葉うらに一輪か二輪しか残っていない。為方(しかた)がないから、是(これ)でも思って、寄りつこうとすると、ぶうぶう唸(うな)って、四周(まわり)は飛んでいるのは蜂で、花の蕊(しべ)に止まろうとすると、いきなり、「手前(てめえ)の来る処じゃねえ。」というので、剣を振り廻して、寄りつかそうともしないので、為方(しかた)なし、今一ツの花に寄ると、何処には黒く蟻(あり)が塊(かたま)っていた。

「おいおい、手前(てめえ)、人の仕事の邪魔をしちゃ可(い)けないぜ。彼方(あっち)へ行かないかよ。」と口々に喚(わめ)くので、太郎は疲れきった羽を立て直して、何処と当所(あてど)もなく飛び出した。

 危なく茨(いばら)の刺(とげ)で薄っぺらな羽は引き裂かれようとしたり、疲れているので、水に陥(はま)ろうとするのを、やっとの思いで脱(のが)れて、草花一つない野原を飛んであるいた。

「何うして這麽(こんな)に花が払底(ふってい)なんだろう。」

 花というものは、何所(どこ)にもあるものだと思ったが、偖(さ)て蝶になって、捜してみると少ないもので、太郎は今更驚いたのである。逈(ずっ)と丘の下の方に、黄色い咲きのこりの花は瓜(うり)の花であろう。百姓が何か柄杓(ひしゃく)で撒(ま)いている。今時分まで瓜の花が咲いているのは、不思議だと思って、精々(せっせ)と息を切って駆けつけてみると、鼻持ちのならぬほど悪臭を放つので、太郎は直(ひた)と弱って怨めしげに四方(あたり)を飛んでいた。

「おいおい、ここいらに花が咲いている所はないか。」
と百姓の側へよって聞いてみた。

「間抜(まぬけ)な蝶ったらありゃしねえ。逈(ずっ)と向こうのお秋さんという可愛い娘の花畠に、どっさり花が咲いているのを知らねえのか。羽が汚れるから、退かねえかよ。」と言い言い肥(こやし)を撒いたので、太郎は面喰らって、さっさと逃げ出した。

 太郎は此(ここ)で気が着いて、急いでお秋さんの花畠の方へ飛び出した。

 お秋さんの花畠は低い垣根で結い繞(めぐ)らした小さいので、森が横にあるから、まだ日が劇(はげ)しく差して来ない。で側へ来ると、冷々(ひやひや)とした。露気(つゆけ)沢山(たくさん)の風がそよそよと羽に当たって、一時に蘇(よみがえ)りそうである。太郎は悦(よろこ)び勇んで、羽に任して飛んで入ってみると、何(ど)の草も草も頭がもげて花という花は皆(みん)なちぎられてあった。で昨日まで美しかった花畠は悉皆(すっかり)寂れて、丸で末枯(うらがれ)の体(てい)であった。太郎は初めて気が着いて、悔しそうに花のない桔梗(ききょう)の葉の上に止まって、露をしゃぶっていると、
「おやおや。」と銷魂(たまげ)たような愛らしい声で、叫んだのは、出て来たお秋さんであった。太郎は驚いて、慌てて葉裏へ隠れて覗っていると、お秋さんは、力を落として、茫然(ぼんやり)花鋏(はなばさみ)を持ったまま立っている。

「屹度(きっと)お隣の太郎さんだわ。あんな悪戯(いたずら)っ子ったらありゃしない。」とぽろぽろ口惜し涙を零しているので、太郎は悪い事を為(し)たものとであると、今更後悔した。

 太郎は極(きまり)が悪くなったので、急に其処を飛び出して、若(も)しちぎった花束が元のままで在るならば、切(せ)めて其れでもお秋さんに戻してやろうと、思ったので、以前の松の木の下に還ろうとしたが、路(みち)が解らぬので、散々(さんざ)骨を折った揚げ句、辛々(ようよう)の事で、前の場所を見つけ出した。羽はもう悉皆(すっかり)憊(くたび)れて、何時(いつ)のまにか、端の方が少し破けかかっていた。只(と)看(み)ると、叢(くさむら)の中に仆(たお)れているものがある。それは例の花の精で、白い肌は土気色になって、紅い着物はどす黒くなって、萎れ切っている。

 「花の精やい。」と声を絞って呼び生けようとすると、集(たか)っていた夥(おびただ)しい蟻の群が、ぞろぞろ自分の躰へ這(は)いあがって来た。太郎は驚いて、振り払おうとうすると、羽の根を咬みきられた故(せい)か、自由に動かれなかった。で、もう争う力もないので、地面をじたばたのたうち廻っていると、段々息が塞(つま)りそうになって来た。

「太郎さん、何をしているの、太郎さん?」

と呼ぶものがあって、弗(ふ)と目を張ってみると、側に立ったお秋さんが莞爾(にっこり)微笑んでいた。持っているのを見ると、自分がちぎった花で、不思議に活々(いきいき)している。其の嬉しさというものはなかった。

「こんな悪戯をするもんじゃなくってよ。花がなかってごらん、皆なが甚麽(どんな)に寂しいか知れやしないわ。」と言ったので、太郎は初めて夢の覚めたような顔で、熟(じっ)と俛(うつむ)いていた。 

 

                                     (完)


◎初出雑誌掲載の本文を底本に、現代的仮名遣いに改め適宜補訂を行った。
  初出:明治32111日(「少年世界」第5第23号)


 
 




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