不定期連載



「初奉公」


(全1回)
 2013.6.23

 お初が叔父さんに連れられて、初めて麹町の方のお屋敷へお目見えにあがったのは、或る日のお午(ひる)少し過ぎでした。お初は漸(やっ)と十歳(とお)になったばかりでしたけれど、躯(からだ)は十二歳位の大きさでした。

 お初は、お父さんが亡くなってから、お母さんと一緒に四谷の叔父さんの家(うち)へ来て、そこで世話になっておりましたが、其処(そこ)もそんなに楽な家でもありませんでしたので、叔父さん夫婦とお母さんと相談のうえで、叔父さんの出入りしているそのお屋敷へ奉公に上がることになったのでした。

 その日はお母さんが朝のうち、お湯につれて行ってくれたり、髪を結って白粉をつけてくれたりしました。其(そ)の間にもお母さんはお初に色々のことを聞かせました。

『誰方(どなた)の仰ることでも能(よ)く聴いて、皆さんに可愛がられるようにしなければ駄目だよ。お行儀がわるいからと言われて返されて来たり何かするのではありませんよ。』

 お母さんは言いましたが、どうやら目のうちが曇(うる)んでいました。六つになる妹のお花も傍でそれを聴いて、様子を感づいたようでした。そして『姉さんは何処へ行くの』と、幾度も幾度も心配そうに聞きました。お初は何だか悲しくなって、ほろほろ涙を流していました。どこへ叔父さんが、晴着(はれぎ)の羽織なぞを着込んで、奥から出て来ました。

『さあ初坊、叔父さんと行こうや。何にも悲しいことはないや。奉公だって、外(ほか)のお屋敷と違って、あすこならもう皆さんが、実に好い方ばかりで、きっと親切にして下さるよ。』

 お初は新しい下駄を穿いて、蝙蝠(こうもり)と、お目見え中の着替えとを持って、叔父さんの後から家を出ましたが、何だか厭(いや)な気がしたので、お母さんやお花の顔を見ないようにしていました。

 叔父さんは経師屋(きょうじや※)でした。そして永年そのお屋敷へ出入りしていましたから、そこの隠居さまや若い御主人や奥さまにも能く気心を知られていました。

 行ってみると、お屋敷は成程立派なものでした。まだ木の新しい門を開けて入ると、玄関まで砂利が敷き詰めてあって、右左(みぎひだり)に美事な植え込みがありました。未だ寒い時分でしたから、木の根方には枯松葉(かれまつば)が沢山(どっさり)敷いてありました。叔父さんの後について、お初がおずおず勝手口の方から顔を出しますと、直ぐそこにお料理場がありましたが、勿体ないほど綺麗で、見たこともないお料理の道具が色々揃っておりました。中には何やらぴかぴか光る器械のような物もあって棚の皿や鉢、コーヒー茶碗や杯(コップ)なども、孰(いず)れも贅沢な品ばかりでした。

 お初はお茶の間のような処を、二間も三間も通って、些(ちょっ)と部屋の入り口へ来て、叔父と一緒に坐りましたが、そこには若い束髪の綺麗な奥さまが、切髪(きりがみ)の品のいいご隠居さまと一緒に、産まれて八月(やつき)か九月(ここのつき)くらいの可愛らしい赤ちゃんを愛(あや)しておいでになる処でした。床の間には美事なお花が生かって、お琴が立てかけてありましたが、皆さんのお傍にはお菓子器やお茶道具や、赤ちゃんの玩具(おもちゃ)などが散らかっていました。

 世のなかには、こんなに綺麗に暮らしている家もあるのかと、お初はきょときょとしていましたが、そこの障子の腰硝子(こしガラス)から見える、お庭は公園よりも広そうで綺麗でした。

『好さそうな子ですね。』
『躯もしっかりしていますから、役に立ちそうでございますね。』

 隠居と奥さまとが、然(そ)う言って話しておいでになるので、お初は漸(やっ)といくらか気が落ち着きましたが、まだまだなかなか安心することは出来ないと思いました。叔父さんは、此の子が哀れな身のうえだと云うことをお話しました。年の割には悧巧(りこう)だと云うことも、少しは自慢しました。

『夙(はや)く親に別れるような子はどこか違いますね』
 隠居さまは然(そ)う言って、気の毒そうにお初の顔を眺めました。

『まあ置いて行ってみてごらんなさい。此の子が落ち着くようでしたら、私が末長く面倒を見てあげますからね。』
 親切そうな隠居さまは然うも言いました。

『まあ当分この子を少しずつ見てもらいましてね。それも体を背中へ縛りつけておくようなことはしませんから、子守(こも)る方でも然(そ)う骨はおれませんよ。』そんなことも言っていました。

『何分どうぞよろしく』と、叔父さんは幾度(いくたび)もお辞儀をしました。

『それじゃ叔父さんは帰るから皆さんの仰ることを能く聴いて、いつまでも置いて頂くようにせんけりゃ不可(いか)んよ。』

 叔父さんは帰りがけに、女中達にもお初のことを頼んでから、勝手口でまたお初に言って聴かせました。その時はお初はにこにこした顔を見せていましたが、叔父さんに別れてしまうと、急に何だか家のことなどを想い出されて、小さい胸が塞がって来ました。お母さんや妹の顔も、目にみえるようで思わず涙が湧いて来ました。

 しかしお初は直きに気を取り直すことができました。そして皆(みん)なで四人いる女中の傍へ行って、その日のお八(や)つを頂いた頃には、何を聴かれても、はっきり返辞も出来たし、衆(みんな)が好い子だといって、褒めてくれましたので、何だか気が引き立って来ました。中にはお初が、つい四月(よつき)ほど前に、父親に別れたのだと聞いて、可哀(かわい)そうだといって、目を曇(うる)ませてた女がありました。そして衆(みんな)は各々(めいめい)に自分の親のことを話し出しました。するうちに奥の掃除に取りかかるものもあり台所で奥さんのお手伝いをして晩の御飯の御馳走ごしらえに立ち働くものや、風呂の日の加減を見に行くものなどもありました。

 お初はそのあいだ、奥の部屋で赤ちゃんのお守りをしたり、二人ある上の子どもたちの用をたしたりしていましたので、もう気がまぎれて、家のことなどは暫(しばら)く思い出しもしませんでした。上の子は二人とも愛らしいお嬢さんでしたが、色の白い、目のぱっちりした二番のお嬢さんが、どうやら少し意地がわるそうに見えるだけで、一番上のお嬢さんは、いかにも素直そうな優しい顔立ちをしていました。

 御主人のお帰りになったことも、お初は少しも知りませんでしたが、湯殿へおいでになるその姿が廊下の方に見えたとき、お初はじきに其(そ)れと気がつきました。そしてお目見えをしたのは御飯の時でしたが、御主人は、家のことはそう介意(かま)ってはおいでにならぬらしく『ふむふむ』と云って、奥さまのお話を聴いておいでになるだけでした。御主人はその時美しい色をした洋酒などを召し食(あが)ってでしたが、そのお座敷には室内暖炉がすえてあったり、目もさめるような屛風が置いてあったり、器具がおいてあったりしました。

 お初はそんな立派な部屋を初めて見ましたので、目に入るものが、一つ一つ何だか芝居の舞台でも見るような気がしました。そして東京にこんな暮らしをしている人のあることを見も知らない母親などが、気の毒のように思われて来ました。

 御飯のすんだお嬢さんたちも、お父さんやお母さんの側へ来てそこにあった蜜柑(みかん)などを食べたりして、さも楽しそうに学校のお話や、活動のお話をしあっていました。お父さんはお酒をちびちび飲みながら、にこにこした顔をして、それを聴いておいでになりましたが、時々さも嬉しそうな声を出して、奥さまと一緒にお笑いになりました。

 お初は世のなかには、こんなに浮々(うきうき)した楽しい家もあるのかと、つい自分もそれに引き入れられるような気がしました。

 御主人はお初の膝にいて、時々手足を動かしたり、何か感動したように、張りつめた目をしたりする赤ちゃんの方へも、時々目を見張ってお愛(あや)しになりました。赤ちゃんはお父さまのお顔を、もういくらか覚えているようでした。

『初は兄弟が幾人(いくたり)あるのかい。』などと御主人がお聞きになりましたが、お初はただ淋しげに笑っただけでした。

 お湯へ入ってから、洗濯したお襁褓(しめ)などを幾組(いくくみ)も熨(の)したり、畳んだりしてから、お初が床についたのは、もう大分遅うございました。お初は目が変になって、電気の明るいのなどに、反って疲れをおぼえましたが、床に入ってからは、目が冴えだして来て、急に寝つかれそうもありませんでした。傍にぐっすり寝込んでいる他の女中たちの歯ぎしりや寝言なども耳につきました。するとまた、夢のような今日一日のことがごちゃごちゃと疲れた頭脳(あたま)に思い出されてきました。そして昨夜(ゆうべ)まで枕をならべて寝ていた妹やお母さんのことが、恋しくなって来て仕方がありませんでした、しかし半日で自分になついたような、あの可愛い赤さんをおいて、此処を出ようとは思いませんでした。

 

 ※経師屋(きょうじや)…屛風、ふすまなどの表装をする職人。



       
                                   (完)


◎初出雑誌掲載の本文を底本に現代的仮名遣いに改め適宜補訂を行った。
  初出:大正331日(「少女の友」第7巻第3号)

 
 




▲ ページトップへ

展示日程の一覧

金沢文化振興財団