不定期連載

「能の絵」


 全1回
   2013.9.13

 稚(ちいさ)い時分――自分が十歳くらいの時であったらしく思えるが、自分は普通の子供に比べて、躰も心持ちもたしかに二つ三つは後れていたから、七八ツの頃と言っても可(よ)かろう。その頃私は新たに片着いた姉の家(うち)へちょいちょい遊びに行った。

 その家は、私の家からは余り隔たっていなかった。その家はまた、零落(おちぶ)れていた。その頃の自分等の家よりは、広くもあり綺麗でもあった。自分等の家のように、鼈甲(べっこう)のように黄色く透徹(すきとお)った実の熟(な)る李(すもも)や巴旦杏(はたんきょう)、八方へ蔓(はびこ)らせた枝一杯に珊瑚珠(さんごじゅ)のような棗形(なつめがた)の大粒の実の出来る茱萸(ぐみ)の老木がない代わりに、裏には可也(かなり)広い茶畠があった。暗い土間には茶の焙炉場(ほうろば)があって、日の通いのわるい中庭には古びた泉水に、緋鯉などがのろのろと泳いでいた。北国(ほっこく)の町家(まちや)に能(よ)く見かけるような茶の間の上がり口のつるつるした黒い板敷きのところに、炉が設(しつ)らわれて、そこにぴかぴかした銅(あか)の銅壺(どうこ)などが埋(い)けられ、自在鉤(じざいかぎ)の鯉が、墨のような煤気(すすけ)に染みていた。炬燵(こたつ)の掘ってある中庭から、薄暗い座敷へ出ると、そこから直(じき)に隠居所(いんきょじょ)になっている離房(はなれ)のような部屋が二室あった。中悸(ちゅうき)で死んだ、白い髪(け)を五分刈りにしていた丸顔の爺さんと、水を汲んでいて、過って釣瓶縄(つるべなわ)と一緒に、深い内井戸のなかへ引きずり込まれて死んだ躰の大きい角張った顔の婆さんの顔とは、今分明(はっきり)した印象もない。

 私の異腹(はらちがい)の姉は、目鼻立ちの人形にように優しい女であったが、姉婿も肉附きの好い、血色の優れた愛嬌のある男であった。この夫婦の縹致(きりょう)の好いことは、時々他所(よそ)から自分の耳へ入った。姉がここの店へ茶を買いに来(き)い来(き)するうちに、縁談が持ち込まれたと云うことも、誰か話しているところを、傍で小耳に挟んで「然(そう)かな」と子供心思っていた。

 自分は此の姉に抱かれて寝たり負(おぶ)われたりして育って来た。姉は淋しい顔をした口数の少ない、滅多に笑ったことのないような女であった。

 姉婿は、才気のある、気の爽(さく)い男であった。医師(いしゃ)に成り損ねて、店の方を遣ることになってから、間もなく姉を迎えた。この男の、その頃まだ希(めずら)しい靴などを穿いて、能く新地へ入り込んで行く様子の生意気であったことを、あるお茶屋のお神から、自分は大きくなってから話して聞かされた。

 自分が英語の手釈(てほど)きをして貰ったのは、此の姉婿であった。姉婿は、能く夜その日の新聞を懐にして自分の家へ遊びに来た。そして三面記事を、面白く節をつけて、自分の母親に読んで聞かせなどした。八犬伝の貸本を持って来て、自分等の前に説明してくれたのも、この男であった。

 姉がそこへ片着いたのは秋の末頃であった。自分はある日、その家へ遊びに行って、一ト晩泊まった。

 翌朝は雨がじとじとと降っていた。泉水のほとりに植わった竹や、窓の下に繁った葉の蘭に雨の降るのを、自分は窓から淋しげに眺めていた。そこへ二階から降りて来た姉婿は、能の絵の刷物(すりもの)を一枚自分にくれた。其の絵には橋がかりの処で、赤い髪を振り散らした、猩々(しょうじょう)が袖を突っ張っていた。その絵のぼかされたように消えた右の方には、細かい字で句が画(か)き並べられてあった。

 姉婿はその絵を眺めている義弟を、店の火鉢の傍へつれて行って、句を詠んで聞かせた。姉婿のもその中にあった。

「発句(ほっく)は子供でも出来る。僕が教えてあげるから、今から少しずつやると可(い)い。」

 姉婿の弁は東京に近かった。

 姉婿はべらべらと講釈をして聞かせたが、自分には、そんな事が何の役に立ちそうにも思えなかった。

 少時(しばらく)すると、姉婿はまた二階へ上がって行った。そして今度は何やら手垢のついた厚い本を一冊持って来た。その本の翻訳ものであったか、日本のものであったかは、今覚えていない。が、自分はその本を開けると、子供心にも耻(はずか)しいような気がした。それでも所々繙(まく)って見るのが、然程(さほど)極まりの悪いこととも感じなかった。その本は一種の生理書であった。

 姉婿は手捷(てばしこ)くその本の或る頁(ページ)を翻(かえ)して、自分に読んでみろと云って、その箇所を示した。自分にはまだ其れを読むだけの力がなかった。そこに書き現された画(え)も、自分の稚(おさな)い旨には、何となく可恐(おそろ)しいような気がした。

「……十三になる少年があったんだね。なかなか悧巧な子で、性質も活発であった。処(ところ)が如何(どう)したことか、其の少年の紅味(あかみ)を持った顔が、段々蒼くなって痩せて行く。精神も痴鈍(ちどん)になって、始終ぼんやりして鬱(ふさ)いでいる。双親(ふたおや)が心配して、懇意な医者に見せても、別にどこと云って、病(わる)いところがあるようにも見えん。しかし頭脳(あたま)がぼんやりして、躰の衰弱していることだけは解っている。医師(いしゃ)も色々原因を考えて見たが、到頭(とうとう)こう言い出したんだ。(何等の病原がなくて、恁(か)う衰弱して来るのは可笑しい。少し私に考えがありますから、二三日私にお宅に泊まらしてみて下さい。然(そ)うしたら何か原因が解るかも知れん。)
 かかりつけの其の医師(いしゃ)は、二三日夜間だけそこの家に来て泊まり込むことになったんだ。それで子供すぐ傍の部屋に寝て、段々床(とこ)へ就いてからの子供の様子を探ってみたところ、果たしてその原因があったんだ」と、口軽な姉婿は少年が毎夜ふらふらと部屋から脱け出して、どこへか入って行く様子を詳しく話した。その行く先がどこであったかは、今分明(はっきり)覚えていない。その紳士の屋敷には、無論若い女の召使いなども住み込んでいて、部屋はそれぞれに隔離していた。

 少年はとぼとぼと部屋に帰って来ると、また自分の臥床(ふしど)に就いて、朝まで深い眠りに沈んだ。

 医学生であった姉婿は、自分の顔をじろじろ見ながら、それが少年の躰に及ぼす、可恐(おそろ)しい生理的影響を説明して聞かしたが、自分の稚(おさな)い頭脳(あたま)には能くも解らなかった。

 自分は自分の罪悪を嗅ぎつけられでもしたように、じッと俛(うつむ)いていた。顔がいくらか熱くなったようにもあった。

 能の絵をかいた発句の巻、何かのあいだに挟まれて、その後暫(しばら)く残っていたが、胎児や女の生殖器の内部を示したような図の沢山あったらしい、その生理書のことは、ぼんやりした印象しか留めなかった。しかし、躰の尫弱(ひよわ)い、蒼い顔をした神経衰弱性のその少年が、時々自分のことのように思われてならなかった。自分の暗い少年、寧ろ少年時代の事を振り顧(かえ)ると、いつも微かに残っている姉婿のその話を想い出された。



                                    (完)

                                       

 

◎八木書店版『徳田秋聲全集』第9巻の本文を底本に、現代的仮名遣いに改め適宜補訂を行なった。
  初出:明治44年9月10日(「読売新聞」)









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