不定期連載

「炬燵(こたつ)」


(随筆/全1回)
   2013.12.18

 私の狭い庭も、黄ばんだ木の葉に霜がしっとり朝日にとけて、ほろほろ散る山茶花(さざんか)に小禽(ことり)が来たりして、日ごとに冬ざれの風情が深くなって行きますが、しかし何といっても中部山脈から南の方は空があかるくて、日が出ていさえすれば、冬ともおもわれない天(そら)の晴々(はればれ)しさである。私は北国産れで炬燵に育ったものだけれど、東京にいるとそんなことも想い出せないくらい北国の冬が忘られてしまうのである。しかし炬燵はやっぱり我々のストーブであったので、北国の冬を憶い出すと同時に、炬燵が思い出される。家によって色々だが、炬燵は大抵薄暗い中の室(ま)のような部屋とか、家人の居間とかに切ってあるので、北国の空がそろそろ時雨(しぐら)んだような暗さになってくると、その炉の畳があげられて、炉縁がはめられ、炬燵が開かれる訳である。

 やがて雨が霙(みぞれ)になるときが来る。霰(あられ)がばらばらと廂(ひさし)を叩く。丈草(じょうそう)か北枝(ほくし)かの句に、「鮒(ふな)売りの姿は見えず霰かな」(※)と云うのがあるが、このくらい北国の冬の情趣を描出(びょうしゅつ)したものは他にはない。鮒売りは今は余り来ないが、以前は蓑(みの)なぞを着て、小判形の桶に、そうした小魚などを入れて、頭にのせて、潟(がた)から女が町へ売りに出てくるのである。私達は炬燵に当たりながら、よく其(そ)の霰の音に耳をすましたものである。

 するうち段々冬が深くなって来て、雪が降りつもる。私達は炬燵にあたりながら、昔噺(むかしばなし)に耽ったり、櫓(やぐら)の上で歌留多(かるた)を遊んだりする。外で雪いじりなんかやって、氷のようになった手足を、そこへ入って温める。どうかするとじわじわした寒い日があって、炬燵を離れることができないで、御飯も食べたくないようなことがある。それに年頃の子供などになると、その炬燵が、冬中室内に閉じ籠もりがちな彼等に、不思議な異性間の懐かしい初(うぶ)な感覚を唆(そそ)ったりして、甘いアイドルな気持ちに耽りがちである。

 しかし三月の末の雪融け時分になって、今迄雪に包まれていた庭の黒土が、ぼやぼやとした柔らかさでその肌を露(あら)わし、今まで全く死んでいた木の枝に生命が通い、霜やけのしたような南天や、青木が少しずつ息を吹きかえしてくると、春らしい空に凧(たこ)の唸りなどが聞こえて、陽気がめきめき暖かくなる。でもまだうっかり炬燵を塞いでしまうことはできないで、桃や李(すもも)の花の咲くお節句の頃までもそれが懐かしまれる。しかし陽気が次第にぽかついてくると、炬燵にあたるのが苦しくなって、それこそ慈姑(くわい)のようにお尻から芽でも出そうである。

 この炬燵は、しかしずいぶん人を遊惰(ゆうだ)にもするし、空想家にもする。私などは炬燵に屈(かが)まっていたために、どのくらい持ち前の怠け性を助長されたか知れない。 

 

 ※丈草や北枝かの句に…内藤丈草/立花北枝:江戸時代の俳人。松尾芭蕉の弟子。
  実際には金沢出身の俳人・野沢凡兆の句「呼びかへす鮒売り見えぬあられかな」の
  誤りか。




                                    (完)

                                       

 

◎八木書店版『徳田秋聲全集』第20巻の本文を底本に、現代的仮名遣いに改め適宜補訂を行なった。
  初出:大正13年2月1日(「女性」第5巻第2号)









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